きみとずっと

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 もっとゆっくり時間が経ってほしいのに、あっという間に約束の二十三日になった。時間は待ってくれず、明後日にはもう水沢は引っ越してしまう。  終業式が終わって、ふたりで学校を出た。  次に学校にくるとき――三学期には水沢はここにいない。考えるだけで胸が張り裂けそうに痛む。 「なにか食べてから帰る?」 「いや、テイクアウトして仲村の家で食べたい」 「じゃあそうしよう」  ファストフード店でハンバーガーを買って、水沢と一緒に帰宅する。心配をかけないように明るく振る舞おうとしているのに、すぐに言葉が出なくなる。なにを話したらいいかわからないでいるうちに家についた。 「ただいま」 「お邪魔します」 「ちょっと待ってて」  リビングに行くと、親はいなかった。買いものに行っているのかもしれない。お茶を持ってふたりで二階にある仲村の部屋に移動した。  フローリングの床に置いてあるローテーブルで水沢と向かい合って座る。ふたりでハンバーガーを食べるけれど、どうしても無言になってしまう。 「あのさ」 「俺、引っ越したくない」  言葉が重なった。水沢は思いつめたような顔で、じっと仲村を見ている。強い視線に捕まってどきりとした。 「でも、引っ越さないわけにはいかないよね? 水沢だけ残れるの?」  そんなことができるはずはないとわかっていたけれど、小さな期待が胸に宿った。砂金粒ほどの可能性もないのに、なんでもいいから縋りたかった。それくらい水沢と離れるのが嫌だ。 「……残れない。今からひとり暮らしなんてできないし」 「そう、だよね」  わかっていても、落胆に心がしぼむ。視線が手もとに落ち、唇を噛んだ。  言ってはいけない。言ってもどうにもならない。でも、自分の思いはひとつだった。  行かないで。  言ったら困らせるのに口から飛び出しそうになる言葉を、必死で呑み込む。それでもまだ溢れそうな感情をぐっとこらえた。 「だから逃げたい」  弾かれたように顔をあげると、怖いくらいに真剣な瞳が仲村に向けられていた。 「仲村、俺と逃げてくれ」  手を伸ばした水沢が、仲村の手に触れる。ぎゅっときつく握られて、胸が高鳴った。 「俺、仲村が好きだ」 「え……?」 「友だちだからじゃなくて、つき合いたい。抱きしめたいし、キスしたい。そういう『好き』だ」  急な告白に脈が速くなり、甘く疼く心が止まらない。水沢の真剣さが嬉しくて、せつない。 「仲村は特別だから」  まっすぐな視線に捕まり、また心臓が跳びはねた。鼓膜を叩いていた心音が徐々に遠ざかり、すうっと冷静になる。 「うん。俺も水沢が特別。一緒に逃げよう」  水沢の手を握り返す。親も出かけてるし、今から家を出れば遠くまで行ける。貯めたお小遣いを持って、手を握り合って、離れなくてはいけない未来から逃げ出そう。水沢となら怖くない。  仲村の決意を読んだのか、水沢が力強く頷いた。かと思ったら手を離された。 「――なんて」 「え?」 「逃げるなんて、できるわけないよな」 「そんなことない。できるよ!」  悲嘆に表情を歪ませる水沢に、胸が鷲掴みにされたようにひどく痛んだ。もう一度、今度は仲村から彼の手を握るが、握り返してくれない。 「なんで俺、子どもなんだろう」 「水沢……」 「もっと大人なら、仲村といられるのに……っ」  黒い瞳が揺れている。こんなにつらそうな顔は見ていたくない。水沢の手を握る力を強め、離れたくない、と気持ちを込める。 「一緒にいようよ。俺も水沢といたい」 「そう言ってくれるだけで嬉しい」  今にも泣き出しそうな笑顔は痛々しくて、仲村の胸を抉った。  自分も子どもだ。願ったって叶えられない。  水沢の言葉を頭の中で繰り返し、仲村もまた自分の力のなさを痛感した。 「手、握っててもいいか?」  答えるかわりに頷く。口を開いたら涙が溢れそうで、なにも言えなかった。  ベッドに背を預けてふたりで並んで座り、手をきつく握って肩を寄せ合った。暖房がついているのにひどく寒い。苦しくなるようなせつなさが、水沢と自分だけではなく部屋にも充満している。 「俺、高校卒業したらすぐにこっちに戻ってくる」 「え?」 「絶対仲村のところに戻ってくる。約束する」 「……うん。約束」  絡めた小指に約束をのせる。まだ口から「逃げよう」と出そうで、唇を引き結んだ。そんな仲村を、水沢は優しい瞳で見つめる。 「そのときには、俺もひとり暮らしするのかな」  気持ちをごまかすように、未来に思いを馳せて仲村がぽつりと言うと、水沢がさらに強く手を握ってくれた。落ちつく温もりに胸がいっぱいになって苦しい。 「じゃあ一緒に住もう」 「水沢とふたりで?」 「そう」 「うん。一緒に住む」  もう離れなくて済むように、と近くて遠い未来の約束をする。手をつないだまま、未来予想図を作っていく。キャンバスはまだ真っ白だ。たくさんの色を水沢とのせていける。 「どういう部屋がいい?」 「自分の部屋はほしいな。でも、なるべく水沢と一緒にいられるように、あんまり広い部屋じゃないほうがいい」 「そうだな。俺も賛成」 「それから――」  まだ見ぬ未来の展望をふたりで紡ぎ、気持ちを確かめ合うように視線を交わらせる。今の水沢と仲村にあるのは別れだけれど、また同じ時間をすごせると信じる。 「今は少し離れるだけだよね」 「ああ」 「もう一回、約束してくれる?」 「する。何度でもする」  もう一度小指を絡めて、その約束に縋るように心を込めた。  指をほどこうとしたら再度指を絡められ、水沢の目を見る。 「もうひとつ約束」 「なに?」 「仲村の誕生日には、お返し持って絶対会いにくる」  強い瞳は嘘をつかないことがわかる。そのことが仲村の心を前向きにさせてくれた。ずっと離れているわけではない――それが確信できた。 「うん。約束」  指を絡めたまま見つめ合っていると、水沢の瞳がせつなげに細められた。とくん、と心臓がひとつ大きく跳ねる。ゆっくりと、どちらからともなく顔が近づき、柔らかい温もりが重なった。  顔を離してまた見つめ合う。絡めた指も、触れた唇も、少しのあいだの別離を乗り越えるための糧となる。 「あ、そうだ」  キスをした事実に照れくさくなって立ちあがり、クローゼットからラッピングされた袋を取り出して、また水沢の隣に座った。 「プレゼント。誕生日おめでとう」 「ありがとう。開けていいか?」 「うん」  ラッピングをといて中から出てきた手袋に、水沢は柔らかく目を細めた。穏やかな表情が綺麗で、ついじっと見ていたら苦笑された。「見すぎ」と囁かれて頬が熱くなる。先ほどのせつなさとは正反対の優しい気持ちが胸を占める。  手袋は悩みに悩んで、大人っぽい水沢に似合うようにチャコールグレーを選んだ。手袋をしたままスマートフォンも操作できるものだ。 「ありがとう。本当に嬉しい」 「よかった」 「お返し、期待しててくれ」 「うん」  手を握り合い、水沢の肩にもたれるように身体を寄せる。 「俺、バイトする。それで俺も水沢に会いにいく」  顔をあげると、水沢も頷いた。 「ああ、俺もそうする」  そのままふたりで寄り添い、互いの体温を忘れないようにきつく手を握り合う。なにを話すでもなくそうしていたら、夕方になっていた。外は暗くなってきている。 「そろそろ帰るよ」 「……うん」  まだそばにいたかったけれど、そういうわけにもいかない。水沢は引っ越しの準備で忙しいだろう。 「ねえ、水沢」 「うん?」  立ちあがった水沢を見あげる。自分は縋るような目をしているかもしれない。それでも水沢は微笑んでくれた。 「ぎゅってして」  両手を水沢に伸ばすと、その手を引かれ、勢いで膝立ちになった。床に膝をついた水沢が、きつくきつく抱きしめてくれる。思いのたけをぶつけるような抱擁に、仲村もすべての気持ちを込める。  力強い腕と温もりをしっかり覚える。この温もりは、またそばに戻ってくる。 「仲村は小さいな」 「水沢が大きいんだよ。……見送り、行ってもいい?」  最後の最後、ぎりぎりまで顔を見ていたい。でも水沢は首を横に振った。 「泣いたら恥ずかしいから、だめだ」 「泣いていいよ」 「嫌だ。仲村の前では恰好つけていたい」  抱きしめてくれる水沢の腕の中で、仲村のほうが泣きそうだった。水沢が恰好悪いことなんてあるはずないのに。おかしくて笑いたいのに、涙が込みあげる。 「水沢、好き」  ずっと好き。  帰宅する水沢を駅まで送るとき、彼はさっそく手袋をつけてくれた。あの日に冷えていた手は、もう冷たくない。それだけでほっとした。 「暖かい。ありがとう」 「よかった」  会話が続かず、すぐに互いに無言になる。静かにゆっくりと、薄暗い道を歩く。街灯の明かりの下、水沢が足を止めた。 「どうしたの?」 「俺、大人になったら仲村にもう一度告白する」 「え?」 「だから待ってて」  彼から向けられる瞳がせつなくて胸がきゅうんと締めつけられる。外気の冷たさもわからなくなるくらいに水沢だけを感じたくて、その手を握った。 「うん。待ってる」  駅はもうすぐそこだ。それでもしばし足を止めて手を握り合った。  水沢を見送って帰宅し、部屋にひとりきりなことがつらくなった。 「水沢……」  呟いた声は震えていた。
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