HE

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HE

どこかでカタリと物音がした。 思わず身を立ち上がろうとして、ガタンと体勢を崩しそうになる。目の上に感じる圧迫から、(はな)()(ゆき)()は自分が椅子に縛り付けられ、目隠しをされた状態であることを察した。周囲の音に意識を集中していたが、辺りの気配は不気味なほど静まり返っており、聞こえるのは自身のかすかな息遣いだけだ。 志弥が覚えているのは、会社のオフィスを出て帰宅する途中、突然連れ去られた瞬間まで。そこから、どうやってこの場所まで連れて来られたのか、その記憶はまったくない。志弥の意識が戻ったときには既に拘束されており、足元は冷たく硬いコンクリートの感触を感じていた。 「おいっ!誰かいないのか!これは何だ!?」 と叫んでみるものの、自分の声が空しく反響するだけだった。 どれほどの時間が経過したのかはわからない。やがて、どこからか低く歪んだ音が地下室全体に響き渡り、ボイスチェンジャーで加工された不気味な声が耳に届いた。 「お目覚めかな」 と、声はまるで意図的に感情を排除したような無機質さで話しかける。続いて、荒々しく目隠しが取り去られると、視界に飛び込んできたのは黒い外套を身にまとい、道化師のような白い仮面を被った人物だった。真意を悟らせないように慎重に振る舞っているようだ。 「なぜ、私をここに連れてきたんだ?なぜ、こんなことをする?……お前は誰だ!?」 怪しげないで立ちの男に対して、志弥は矢継ぎ早に質問を浴びせた。 「花亥社長。質問は一つずつにして戴けませんか。まぁおいおい、そのご質問はおわかり戴くことになります。私のことは……そうですね、まぁ男ですので、ヒーとでも呼んで戴きましょうか。三人称の『HE(ヒー)』ですよ」 「HEだと?ふざけやがって。……で、これは何の真似だ?答えろ」 志弥は怒りを抑えながら尋ねる。志弥は大学卒業後に3年ほど会社勤めをした後に、もともと興味があったネットワークビジネスの個人会社を立ち上げた。そして、その会社が順調に軌道に乗り、いまはその界隈でも名が知られるネットワークビジネス企業の社長である。先程、このHEを名乗る男は「花亥社長」と言った。少なくとも自分の素性を知る人間であることには違いない。
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