おいしいレシピをどうぞ

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おいしいレシピをどうぞ

見つけた。 私はそっとページを開く。 お母さんが持っていたお料理の本。 まるで凶器のような分厚い料理の本は、それを見ながらキッチンに立つことをまるで想定していない重さ。 昔お母さんがリビングでめくっていたのを思い出して真似をしてみたけれど、辞書をもっているようで気分が乗らない。 ふうう。 思わずため息がもれた。 包丁の持ち方、ピーラーの持ち方、米一合の量り方。 そんなところから写真付きで教えてくれるその料理本は、目次も大ボリューム。目当てのメニューがまずどこにあるのかわからない。 えっと。 パン、じゃなくてナン。カレーにつけて食べる、あのナン。 目次を開きメニューを探す。上のほうのメニューから指でなぞっていく。 「あった」 ナンのページを見つけ、そこまで本をめくった。 よかった。 これで私が嘘つきじゃないってちゃんと言える。 * きっかけはクラスの男子の──泰之の──言葉だった。 小学校区内に一店舗だけある、ネパールカレー屋さんによく行くという。 「あそこのナンって絶対家じゃ作れない。すげーおいしいんだもん」 その店のナンがおいしいことは小羽だって知っていた。 おばあちゃんが元気なころは家族みんなでよく通っていたから。 でも「家じゃ作れない」というその言葉には納得がいかなかった。 だって。 「うちだったら作れるよ。お母さんがよく作ってくれるもん」 思わず反論してしまった。 泰之が一瞬ぽかんと口を開けて、すぐに眉をつりあげた。 「うっそ」 「ほんとだもん」 むむむっと頬を膨らませていた(いたと思う。たぶん)私に、泰之がへへん、と鼻で笑ってきた。 「じゃあさ、作ってきてよ。俺が試食してやる」 「いいよ! ぜったいおいしいって言わせてみせるから」 言ってしまってから私は口をぱっと押さえた。 どうしてこの口は!! 「今度の日曜な、小羽んちまで試食しに行ってやるから」 私の様子に、またへへんと笑ってみせると、泰之は腕を組んで言った。ああもう。 ──どうしてこの口は。 * それが水曜日の給食のあとのこと。 たまたまカレーの給食で、おいしいカレー屋さんのことを話していただけだったのに。 なぜだか、泰之の言葉にカチンときてしまった。 私はお料理の本のナンのページを見つめながら、またため息をついた。 はあああああ。 お母さんは、よく作ってくれたけど。 私、作ったことなんかないんだよなあ。 『本格的ナン 簡単レシピ』 見出しはそんな感じだけど。 ほんとに簡単? 疑問が頭をぐるぐるまわる。 ぐるぐるまわる疑問に混ざって泰之の言葉もぐるぐるしている。 ──じゃあさ、作ってきてよ。俺が試食してやる できるわけないって顔してたな。 思い出すと悔しくなる。 こんなときにお母さんはいない。 お母さんがおばあちゃんの入院に付き添って朝から夜まで出かけているのだ。毎日帰ってくると疲れていて、ナンを作ってとはとても言えない。 いいもん。 自分で作る。 私はナンのページに書いてある材料をメモした。 * 強力粉? 薄力粉? ヨーグルト……? どらいいーすと……? 小麦粉に違いがあるってことがまず不思議。 ヨーグルトはわかるけど、ナンに入ってることが不思議。 どらいいーすと、それは何? 存在自体が不思議。 私はとりあえず冷蔵庫を漁って書きだした材料を探し出した。 きれいに整頓された冷蔵庫。 すぐに見つけられた。 並べてみる。お母さんって料理が好きなんだなって思った。 お母さんが作るものはおいしくて、なんでもおいしくて。 私が食べたいと言えばなんでも作ってくれて。 ──どうして私、一緒に作りたいって言わなかったんだろう。 * 『イースト菌を発酵させます』 えっと、小さじ2? 私のスプーンでいいのかな? 40℃のお湯? お風呂くらいの熱さ、ってこと? 『放置します』 ほっとけばいいのね? そしたら20分してから小麦粉をボールにいれてっと。 あ、なんか量が違うかも。 強力粉と薄力粉どっちがどっちだったかわからないや。 まぜちゃえ。 うわ。 発酵したいーすときん。 べったべたする。 私はべたべたする手で一生懸命粉とまぜた。 ええ。 こんなのをずっとこねるの? 丸まるってほんと? かたいよ、粉が。 ほんとにまとまるの? ちらちらとページに目をやりつつひたすらに捏ねる。 * 私は暗い気持ちで目の前の物体をみていた。 捏ねてみたから小さくちぎって丸めて平たく伸ばして…… フライパンで焼いてみたけどおいしくない。ごわごわして粉っぽい。 なんだか。 なんだかなあ。 これは見せられない。 泰之の『やっぱりできないじゃん』っていう顔が目に浮かぶ。 その時。 ぴんぽーん 玄関のチャイムがなった。 インターホンで確認する。 今日は日曜だけどお父さんもお母さんもいない。 こんなときはインターホンの画面を確認して、知ってる人なら出ていいっていうルール。 「あ」 ぱたぱたと玄関まで走ってカチャリとドアを開けた。 「これ使え」 ドアを開けた途端。 ぐいっと私の胸にノートを押しつけてきたのは。 泰之だった。 「俺のかあさんがあそこで調理の補助してんの」 「え」 「カレー屋」 「え?」 ぐいぐいと押しつけてくるから私はノートを受け取ってしまった。 薄いノート。 でも何度もめくっていたことがよくわかるくたびれ具合だった。 「中見て」 「ん? うん」 ぺらりとめくってみれば、きれいな字でなにやらレシピが書かれていた。 ページの一番上に『ナン』って書いてある。 そしてすぐ下に。 『小麦粉』 あれ? この材料の名前、さっきは薄力粉と強力粉だったけど。 「ごめん、おまえのばあちゃん入院してるって。おばさんが付き添いで家にいないって。母さんに聞いた」 「そう、だけど」 「でもきっとおまえのことだからナン作ってるだろうと思って」 私は思わずキッチンのほうを振り向いた。 ──見てたの? と思わずにいられないタイミングだったから。 「おまえさあ、俺と同じくらい不器用なの調理実習のときに見てたから知ってんの。おばさんが得意でも、おまえは絶対に得意じゃないって思って」 「どうせ」 「だからごめん」 「ごめん?」 泰之は頭をぼりぼり掻きながら、私の目を見ずにうつむいて。 また、ごめん、と言った。 「母さんの行ってるカレー屋さんのナンが一番うまいって思ってたから。絶対にあれ以上のおいしいのって家じゃ作れないって思ってて。母さんも調理手伝ってるし。だからおまえの母さんも作るって聞いてすげー対抗心でちゃった。ごめん」 「やだ」 「え」 私はノートのナンのレシピのページを開いてぐいっと泰之に見せた。 「教えて。これ、どらいいーすととか書いてない。できるの? ナン」 「えっと、知らないけど母さんは家でつくるときはこれでいいってい言ってた。そんでおまえがナンに挑戦してるっていったらこのノート貸してくれた」 「ふうん」 なんだかお母さんの本についていたレシピとは違う感じがする。材料がすでに違うし。 でも泰之のお母さんが嘘をつくわけがないんだから──。 「じゃあ、ついでに手伝ってくれる?」 * ドライイーストは使わない。 小麦粉は1種類。 あとはヨーグルトと塩とオリーブオイルだけ。 とにかくまぜるまぜるまぜる。 べたべたするけどずっとこねこねまぜてねってメモが書いてある。 泰之のお母さんの字かな。 私がノートを覗き込んでいると、泰之が横から指示を出してきた。 「おい、とにかく捏ねるんだって」 「だって粉がかたいよ」 「大丈夫。そのうち丸まるって……母さんが言ってたから」 「うう」 なぜだか泰之の指示を受けながら私は一生懸命捏ねた。 手が疲れるよう ってぶつぶつ言いながら。 随分長いこと捏ね続けていたら、なんとなくまあるくなめらかな生地になってきた。もしかしてゴールが近いのかも、と思って手を動かし続ける。 あれ。 なんで私、こんなことをしてるんだろう。 うちのお母さんの作るナンがおいしいって話から始まって。お母さんのレシピじゃなくて泰之のお母さんのレシピならさ。 もう、私がナンを作る意味なんてないような。 ふっとそんなことも思ったけれど頭の外に追いやっておく。 泰之が頑張れって声をかけてくれて、なんとなく楽しくなってきたから。 疲れたけど。 そうして捏ね続けてやがてなめらかな丸になった生地にラップをかけた。しばらくそのままにしておく。そうしなさいって泰之のお母さんがメモを書いてあった。 その書き方がなんとなく。 「ねえ泰之。これお母さんが泰之のために書いてくれてるんじゃないの? 泰之も、つくったの?」 「いいだろそんなん」 「もしかして、私が」 「いいだろそんなんってば」 もしかして、私が作るときに教えてくれるために練習、してきてくれたのかな。 泰之の耳が赤い。 頬も少し赤い。 「ねえってば」 「ほらっ。そろそろ!」 「え? ああもういいの?」 泰之への追求は置いておいて、私は生地にかけたラップを外した。 「4つにわけて」 「はい」 「麺棒ある? ラップの芯でもいいけど」 生地を4等分して、その中の1つを麺棒で薄く伸ばす。 なんかお店でよく見るナンの形をつくってみたい。 お母さんはホットケーキみたいなまん丸で作ってくれるけど。 これは泰之のお母さんのレシピだから……あれ、おかしいな。 あの長ーい三角形にならない。どうも四角い。 私は麺棒でぐいぐいっと生地を伸ばした。 「ちょい貸して」 横から泰之が麺棒をさらっていく。そしてそのまま三角のナンの形を作ってくれた。上手だ。 「練習の成果、でてる?」 「まあな」 「ふふっ」 「……練習してないから」 顔がまた赤い。 それ以上言うと怒られそうだから、もうやめてあげる。 私はフライパンを取り出した。 温めて、うすーくオイルをひく。 「焦がさないようにな」 「はーい」 言いながら泰之が形つくってくれたナンの生地をフライパンに置いた。しばらくはそのままで、ぷくっと生地が膨らんできたからお箸でつまみ反対にひっくり返す。 あ、ちょうどいい感じで焼き色がついてる。 そのまま両面を焼き上げて、私はお皿にナンをとりあげた。 「いい色じゃん」 「ん!」 わあ。 ほかほか。 皿にとったナンは膨らんだ生地に焼き目がついていて、ふわふわで香ばしい。 そっと指でつまめば。 「あっつ」 「ばっかだな。貸して」 泰之が代わってナンをささっとちぎり、私に一口大を渡してくれる。 あれ。 案外泰之って優しい? こないだナンのことで言い合いになったけど、本当のところはそうでもなくて。優しいのかもしれない。 「ありがと。おいし。泰之も食べなよ。ほら」 私もナンをちぎって泰之の口元に差し出した。 泰之が目を白黒させて指でナンを受け取る。 なんだ。 あーんってしてあげようと思ったのに。 なんて。 「うん、うまい」 「ありがとね、このノート」 「ごめんな、なんか嘘つきとかひどいこと言って」 「ううん。お母さんがいないとできないのほんとだし。でもほら、家でつくってもお店と同じくらいおいしいよね? このノートも。うちのお母さんのだって」 「そだな」 私は嬉しくなってナンをいっぱい食べてしまった。 * 「ただいまー」 お母さんがぐったりした様子で帰ってきた。今日も1日病院だった。お父さんはまだ帰っていない。 ふふふ。 今日はお母さんにプレゼントがあるんだ。 「なになにカレーの匂いがする」 「ナンもあるんだよー」 「えええ!! すっごくすっごく嬉しい!! 小羽がつくったの?」 「友達がきたから一緒につくったの」 「へええ。よかったね、ありがとう」 「うん。えへへ」 貸してもらったノートを横目に私はいそいそとカレーを温めた。 このノートに書いてあるんだ。 カレーも。 ネパールカレーじゃなくて、家で普通に作れるカレー。 泰之とつくってみた。 あーだこーだ、調理実習の苦手な人間同士で作るカレー。 でも、楽しかったな。 お母さんがおいしいおいしいって言いながらカレーとナンをハフハフ食べている。 人に食べてもらうって、なんかなんだか嬉しいんだな。 「ねえお母さん、今度お母さんのカレーとさ、ほらあの作ってくれるおいしいナンの作り方教えてよ」 「うん、もちろん。小羽がお料理好きになってくれるなんて嬉しいな。そのお友達の影響かしら」 「うん、まあそう、かも」 「ふうううん」 意味ありげににやにや笑って、お母さんは私の手元からノートを持っていった。 そして、家庭でつくれる料理のレシピっていいわね、と呟いた。 あ、そうだ。 失敗した生地をお母さんに伝えておこう。 なにか他のモノにしてくれるかもしれない。 ──それともまた、泰之と何かつくろうかしら。 考えると、わくわくしてきた。 料理なんて自分からしたことなかったけれど、泰之のお母さんのノートを見てたら面白そうだなって思えてきたから。 私、意外と料理も好きになれるかもしれない。 このノートは私の世界を広げてくれたのかもしれない。 ──そう思うのは悪くない。 私はノートをそっと、胸に抱えた。 了
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