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2.死すべきものへの書
ひと月のあいだ、あのひとと歩いて旅をした。
次第に周囲から緑が減っていった。
樹木が少なくなり、草地がふえた。
もうじき、砂漠が見えるはずだ。
俺とあのひとは、藍色の服を着ていた。
上衣は丈が長く、腿のあたりまである。裾の横に切れ込みがあり、歩くのに邪魔にはならない。下衣はズボンだ。
あの集落の人たちは、だいたい同じような服装だった。色だけがちがう。
「人の世の運命を変える」という書物を探して旅立つ子どもたちだけが、藍色の服を着た。
日暮れ近く、あのひとは岩の洞窟にたった一人で入っていった。俺は入口で待つように言われた。
出てきたあのひとは、片手に細長い筒状の袋を持っていた。
ずいぶん色あせていたけれど、横笛を入れる袋に似ていた。紺地に紅色の刺しゅう模様がある。集落で見た覚えがあった。
「横笛が入ってるの?」
「木簡です。この岩窟は、古くからある書庫なのです」
あのひとは慎重な手つきで袋の口をひらき、半分だけ中身を引き出した。
紙製の巻物かと思ったけれど、よく見ると短冊状の古びた木片を糸でつないだものが巻いてあった。
「短いですが、昔の書物です。まだ紙が普及する前、木や竹に文字を書いたのです」
そう言うと、再び丁寧に袋の中に木簡を戻し、肩から下げていた小型の布かばんの中にしまった。
「読まないの?」
集落にいたころ、本であれば片端から読んでいたのに、と不思議に思い尋ねた。
あのひとは、いつものように柔和な微笑みを浮かべた。
「これが『人の世の運命を変える書物』です」
夜を過ごすために、火をたいた。
たきぎの燃える音は人の気持ちをなごませるとだれかから聞いた気がするけれど、俺は落ち着かない思いがしていた。
背負っていた旅用の布袋から敷物を取り出し、その上に二人で並んで座る。
「『人の世の運命を変える』って、どういう意味?」
俺は今まで、ただそういう言い伝えなのだろうと思っていた。
「あれは『死すべきものへの書』とも言います」
あのひとは静かに語り聞かせた。
「あの書を使えば、人の世に生きるだれもが記憶を失うのです。
自分がだれとつながりがあったのか。
だれを家族とし、だれを友とし、だれを恋人としていたのか。
ささいなつながりから深いつながりまで、すべての縁が切れるのです。
それは肉体の死ではなくとも、まぎれもない『死』なのです。
すべての人間が、『死者』となります」
「あの書をだれにも使わせない方法はあります。
たった一人が、生涯、あの書を持ち続けるのです。
そして肉体が滅びる前に、再びあの書庫に戻します。
今までその繰り返しでした」
俺はその先は聴きたくなかった。
両手で顔をおおいたかった。
でも、あの人から目をそらしたくなかった。
あの人は微笑んでいた。
「わたしが、この書を持ちます」
「……それを持つと、どうなるの……?」
俺はかろうじて、それだけ尋ねた。
あの人は微笑みをくずさなかった。
「この書を持つものは、すべての人間から忘れられるのです。
今までに出会ったものの中からも、これから出会うものの中からも、存在した記憶が失われるのです。
『死者』となるのです」
たきぎの燃える音が遠くに聞こえる。
俺は視線を落としてしまった。
そっと頭をなでる手を感じる。
顔を上げると手が離れていく。
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