3.翠色の書

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3.翠色の書

「ねえ、もしかして、どちらでもよかったんじゃないの? 書を持つのは。俺でも、姉さんでも」  拾われた子どもは複数人だった。  俺は顔をゆがませて声を絞り出す。   「(さと)い子どもに育ってしまうのも困りものですね。もう少し鈍くてもよいのですよ」  あの人は、はじめて眉をほんのわずかに寄せて笑った。 「どうして」  俺ではだめなのか。   「わたしが、あなたを忘れたくなかったのです。  わたしの背をどこまでも追いかけてきた小さなあなたを。  あなたに忘れられることは耐えられます」 「俺だって忘れたくないよ」  痛みに耐えるようにかすれた声になる。 「年上に譲ってください」  あのひとは、俺の願いを許してはくれなかった。綺麗な笑顔を見せた。   「別の方法も考えています。  この書は燃やすことはできません。  本来は、人の世とはかかわりのない相手に宛てた手記なのです。  その相手を探すために、わたしは西に向かいます」 「砂漠の向こう側に行くの?」 「そうです。  年に一度、砂漠を渡る『砂船(すなぶね)』が出ます。  それに乗れば、人の世のものではない女性に出会えるかもしれないのです」 「船はいつ出るの?」  それが俺とあのひととの別れになる。 「夜が明けたら」        夜の海のような深みのある紫がかった青い目が、俺を見ていた。  俺の翠色の目を、まっすぐに。    俺は翠色の飾り石がついたものを、あのひとは紫がかった青色の飾り石がついたものを、首から下げていた。  あのひとは俺のものを首から抜き取り、自分の首にかけた。自分のものと交換して。  俺の首には、紫がかった青色の飾り石のついたひもがかけられた。  いつの日だったか、「人も一冊の書物のようですね」とあのひとが話していた。   俺にとってはあのひとが、俺の運命を決める書物だった。  夜が明けると、あのひとは西に広がる大砂漠を渡るという『砂船』に乗って、はるか遠くへ向かった。  朝日が昇りきったころ、ぼくは広大な砂漠を前にして立っていた。  どうしてここにいるのだろう。   右手の中に、手帳を破りとった一枚の紙があった。強く握っていたからか、くしゃくしゃになっていた。  広げると、ぼくの字で書かれていた。 『西に向かい、翠色(すいしょく)の書を探す』  理由はわからない。  けれど、ぼくは、ぼく自身の願いを信頼していた。  だからぼくは旅立った。  西へ向けて。  翠色の書に会うために。
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