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それからふたりは、週に一度会うようになった。
あの高台にある公園に待ち合せて、おたがいの好きな本を一冊ずつ貸し合うのだ。
ひとつわかったことがある。はじめて会った日、ハル子は祖父母の家にいっていたと言っていたが、あれは嘘だった。彼女の家は、この公園のさきにある山のうえの、高級住宅地だった。
ハル子はお嬢様だった。本人にそのことを言うと、「そういう言いかたはしないで」と怒られてしまう。ハル子は家族のことでなにか、彼女なりに思い悩むことがあるのかもしれない。そう、茂夫は考えたが、ハル子がなにか言いだすことも、茂夫があえてなにかきくようなこともなかった。
「これって、しげちゃんが書いたの?」
あるとき、ハル子が一枚のくすんだ色の紙を、茂夫に見せた。なごりおしそうな夏の風が吹く、九月のことだった。
「そうだよ」と、茂夫が言った。
「これ、すごく助かるわ。あなたの貸してくれる小説って海外のものばかりだから。ほら、翻訳ものって登場人物が、途中でわからなくなってね」
「うん。なんだか、はじめてそれが役にたった気がする」
それは、茂夫が本を読みおわったあとに書く、感想文のようなものだった。登場人物が多いものには、主人公と、ほかの人物との関係性などを簡単に書いておく。
「あら、どうして?」と、セーラー服の襟をいじりながら、ハル子が言った。
「小説の本編をもう一回読み返したほうが、おもしろいと思ってる」
ハル子は、「じゃあ、どうして書いてるの?」と言ってわらった。彼女は、茂夫の文庫本の最後のページにその紙をはさんで、自分のカバンの内ポケットに大事そうにいれた。今日、彼女に貸したのは、イギリス人の私立探偵が活躍する推理ものだった。ちなみに茂夫が借りたのは、タイトルが漢字だけの、いつもの日本文学だった。
その日の帰り際、ハル子はベンチを立ち上がると、いつもどおり伸びをした。それから背中を向けて、肩越しに茂夫を見て言った。
「こんど会ったとき、しげちゃんに話たいことがあるの」
ハル子らしくない震えたような、かたい声色だった。心配になった茂夫はなにか言おうとしたが、ハル子がこちらを向いたときのいつものほほ笑みを見たら、なにも言えなくなった。なぜか彼女に、いまは何もきかないで、と言われたような、そんな気がしたのだ。
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