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11月23日
音楽が好きなのだが、私は物語と音楽がリンクしているものをよく書く。あくまで私の脳内だけの話だが。
若い頃は、歌そのもののタイトルをもらって、それで小説のタイトルとしていた。たとえばGLAYの『春を愛する人』っていう小説(ポエムだったかも)を書いた記憶があるし、谷山浩子の『青色帽子ツアー』という小説も書いたことがある。もはや100年くらい前のことになるが。タイトルをそのまま拝借してくるのは、ある意味「著作権」というやつに関わることなのかもしれないけれど、非常に楽しかった。
現在はタイトルはお借りしないが、曲そのものを小説に出す癖がある。つまり登場人物は皆、中身は私なのだろうなと思う。今回の連載も多分、音楽が出てくる。
音楽に乗って書くのは、とても楽しい。音楽のチカラは大きい。物語がそこから広がる。やはり同じ「表現」の方法なのだなと、しみじみ感じるものだ。
過去はまるっとタイトル借りていたので、小説のタイトルに困ることがなかった。借りればいいから。しかし今はそうはいかない。借りないと決めたからには、タイトルは自力で作らねばならない。なんて難しいの、タイトル。
私はタイトルをつけるのは大の苦手(母から腐されたこともある)。魅力的なタイトルをつけている作家さんは、それだけで尊敬できる。大佐戸さんの『大人なのに走る』なんて、最高なタイトルだなと心から尊敬する。
今回もまた、苦労した。何十回、作ってはやめ、作ってはやめて、書いては消して、もう嫌だと叫んだことか。結果的sehr gut(スペル忘れた)なタイトルなのか、自分ではまったくわからない。
小説はもちろん内容次第だとは思うけれど、第一印象のタイトルが【すべて】と言っても過言ではないくらい、重要なものだと信じている。他者が「わっ」と寄ってくるようなタイトルは、私にはつけられない。他者が「は?」となるタイトルならばつけられる。要するに、決め手に欠けるやつだ。決め手に欠けるニッチな読者様が寄ってきてくださればありがたい、と、思う。
そんな今日のお話しは、『音楽、そして小説タイトル』って感じの、ちょっとしたひとりごと。
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