【epilogue】

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『ケダモノ皇帝は、今日も皇妃を愛でたい』 【epilogue】  この物語の主人公は、きっと私ではない。  絹糸のようにしなやかな髪を持ち、透き通るほどの肌にぽってりと赤く染まる唇。ウエストは驚くほど細く、長い手足はまるで人形のよう。  澄んだ声は多くの人々を惹きつけてやまない。  主人公となる娘は、誰もが羨む美しい容姿の持ち主だ。  ボロ布を纏う主人公が、王子様と出会った瞬間、未来が薔薇色に変わる。  もし美しい娘が主人公となり得るのなら、私には永遠にその時は訪れない。 「今夜の給仕をしたのは誰?」  完璧な主人公の容姿を持つジータ・デュクロクが、彼女と同じぐらいに完璧なシンメトリーに盛りつけられたディナー皿を指さして、金切り声を上げた。  シェリデン国東地区デュクロク領地の当主、カールソン・デュクロク伯爵の愛娘である、ジータの蜂蜜色の柔らかくウエーブがかった髪が揺れる。  母親譲りの淡い琥珀色の大きな瞳に、女神像のようにすっと伸びた鼻梁、つんと高い鼻。肌は降り始めたばかりの粉雪のように、きめ細やかで純白だ。大きく胸元が開いたパールピンクのシフォンドレスは、ふっくらと肉付きの良い絹肌を、より美しく引き立てている。  見た目が人形のように美しいが故、怒りを帯びた形相は、この世のものとは思えない程に恐ろしい。  ジータに見つめられた侍女のエミルは、蛇に睨まれたカエルのようにブルブルと肩を震わせながら、言葉を絞り出した。 「マグノリアでございます」  エミルが、ためらうことなくマグノリア・デュクロクの名を告げると、ジータの金色の瞳が意地悪く光った。ジータの3つ下の妹であるマグノリアは、ジータの父であるカールソン・デュクロクの亡き兄のひとり娘である。  かつてデュクロク領地の当主であったマグノリアの父、アルストロ・デュクロクは、彼女が6歳の頃に邸宅へ火を放ち自死した。長い伝統を持つ邸宅を全焼させ、マグノリアの母は死亡、マグノリアは全身に火傷を負った姿で発見された。  発見された時のマグノリアは、炎に焼かれ炭と化した母親の遺体の下から見つかった。その姿は溶岩の中から生まれたドラゴンのように熱を肌に湛え、全身が毒々しい深紅に染まっていたという。  火傷の痕はその後も彼女の肌の上に大きく傷を残し、見るも無惨なその姿に、人々は耐えきれず目を逸らした。    そんなマグノリアを死んだ兄の忘形見として、叔父であるジータの父、カールソンが引き取ったものの、愛娘であるジータと同じように愛することはできず。今ではマグノリアの身元引き受け人であるにも関わらず、マグノリアを使用人の1人として働かせている有様だった。    そして、今夜のディナーもマグノリアが給仕を務めたものだ。  ジータの目の前には、赤ワインのソースとバターソースが皿の上で花の模様を描き、ホワイトアスパラとグリルされたチコリがまるで絵画のように美しく盛られている。    テーブルのセッティングもワインのチョイスも、ジータの心の中を覗いたかのように望むものであった。  鏡のようにピカピカに磨かれた床に、シミひとつない絨毯。  きっと暖炉の上に置かれた燭台にすら埃ひとつないのだろう。  マグノリア・デュクロクの給仕はいつも完璧だった。  料理を美しく盛り付けることも、壁に飾る花の活け方も、ドレスの襟元のレースを新品同様に美しく縫うこともどれも完璧にこなしていた。  だから余計に、苛立つのだ。 「気に食わない。……すべて下げてちょうだい」  不機嫌さを見せつけるように、フォークを荒く投げ捨てた。  銀食器がグラスの肢にぶつかり鋭い音を立てると、エミルはびくりと身体をこわばらせる。    ジータは美しくない女が美しく作る空間が心底嫌いだった。  ジータにとって醜い人間は嫌悪の対象でしかない。どんなに秀でた才能があろうとなんだろうと関係がない。特にこの王国では美しいことが何よりも大切なのだ。  美しくあるために努力を重ねているのに、美しくない存在は許せない。 「ジータ様、大変失礼いたしました」  マグノリアは、他の仕事をしている最中だったのか、侍女に呼ばれ、慌てた様子でダイニングへと入ってきた。老婆のような銀色の髪はぐっしょりと濡れ、左の頬には見るからに人を不快にさせる火傷の爛れた痕が肌の上に刻まれている。  ジータはマグノリアの姿を見るなり、悪寒を抑え込むように口元を覆った。 「ああ、嫌だわ。あなたの顔を見たせいで食欲が無くなったわ」 「大変申し訳ございません! ジータ様!」  マグノリアは、すぐさま跪いて謝罪を告げた。  ジータは、この場を牛耳るのは私であるのよ。と諭すように額を地面に擦り付けるマグノリアへとじっくりと時間をかけて近づいていく。 「でも……食べたことにしないと、またお母様が心配するから、代わりに———」  手にしていた皿をマグノリアの頭の上へと掲げた。  皿を傾けると肉が重力に耐えきれずにするりと流れ落ちて、べちゃっと、気味の悪い音をさせた。  肉のソースが頭の上から頬を伝い、絨毯の上にぽたりぽたりと落ちてゆく。 「マグノリア。あなたが食べなさい。ほら! 這いつくばって!」  マグノリアの頭をヒールの先で押さえつけた。最初は口を閉じていたが、このままではジータの気持ちが収まらないと思い、言われた通りに口を開けて、肉を喰んだ。  ソースがマグノリアの口元を汚く汚す様子を見て、まるでサーカスの珍技を見た時のように手を叩いて喜びを表す。 「あっっははは!   まるで野良犬ね!  さらに際立って醜くなっているじゃない!」  ダイニングルームの扉が開き、カールソンとその妻であるハイリが入ってくる。カツカツとヒールの音を響かせて床に這いつくばるマグノリアへと、ハイリが近づく。 「何をしているの? マグノリア」  と、ハイリは、さも汚いものを見るようにマグノリアを見下ろした。カールソン卿が、揉め事には関わりたくないから遠巻きに見ていたが、ハイリがジータを止める素振りがないので渋々輪に入った。 「……ジータ。マグノリアをいじめるのはよしなさい。  これでもマグノリアは其方の妹であるのだから」  と、またかといった様子で頭を抱えた。  そんな父親の態度にジータは両手に拳を握る。 「それはお父様のせいです。  お父様がお兄様の娘の後見人になどならなければ、よかったのですわ!  こんな、汚くて醜い妹なんて、誰にも自慢できないというのに、これぐらい、躾の粋ですわ」 「きゃあああ!」  と、ハイリが、絨毯の上にできた赤茶色のシミに気づいて悲鳴をあげる。 「あらあらまあ、なんてこと!   帝国から取り寄せた一級品なのに、マグノリア!  なんとしてもこのシミを落としなさい!」 「はい奥様」  侍女たちは、マグノリアのとばっちりを受ける前に、我先にと扉の外へと逃げ出して行った。  たった一人残されたマグノリアは絨毯に膝をつく。 「さあ、食事にしよう」  カールソンとハイリがワイングラスを鳴らす中、マグノリアは絨毯のシミを拭い続けた。 ———そう、主人公はきっとジータのような娘だ。    どんな物語も、美しい姫が愛を手にいれる。美しさが勝利する。  それがラブストーリーの基本。  だから、マグノリアには一生地面に這いつくばり続ける未来しか訪れない。 ———はずだった。 「では、この娘を貰い受けよう。我が国の皇妃として」  そう……。  リクハルド・オーレンドルフ皇帝に出逢ってから、マグノリアの世界は一変したのだ。
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