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皇室にある庭園に、日差しよけの麻のサンシェードが張られていた。
日差しを遮るためではあるものの、今はどんよりとした曇り空で、時折通り過ぎる風はひんやりと冷たい。
もう春といえど、帝国の春は日差しを感じる時間が、とても短い。
この調子でいけば、今年も、冷夏になるだろう。
帝国の皇帝であるリクハルド・オーレンドルフは、庭園の中でも最も美しいバラの庭園にいた。今日も執務の合間に結婚適齢期のご令嬢たちとの茶会の席が設けられている。
皇帝陛下の結婚相手探しは、国家事業のようなもの。
リクハルドは、帝国の若き皇帝となったが故の仕事であると割り切っていた。
適当な相槌を打ち、相手の謁見時間が終わり次第、さよならの挨拶をする。
その後は、「あのご令嬢とは合わないようだ」とお決まりのセリフを事務次官であるリュカ・シャルルドグレイに伝えて、次のご令嬢へとバトンが渡る。
本日も目の前の席に何人の女性が座るのか、と指を折る。
リクハルドは、白磁のティーカップに長い指先をかける。艶やかな赤毛がさらりと流れ、形のいい唇がティーカップに触れる。皇帝との会話を待つご令嬢たちが、リクハルドの美しい所作をうっとりと眺めていた。
リクハルドは、温かな紅茶を啜ったが、身体は冷え切ったままだった。少し顔を歪ませて、ため息を吐く。その度に女性たちの恍惚の吐息が溢れた。
女性たちの視線など気にせず、リクハルドは紅茶を飲み続ける。できることなら皇室内の温かな部屋で、クローブやレモンにシナモンを加えたホットウイスキーを飲みたかった。
しかし我が国の大臣であるコルテス卿に、席から小一時間は絶対に立つなと命じられたものだから、あと10分ほどは、この席に座っていなくてはならないだろう。
そして今のお相手は、北部のモーリアス辺境伯の長女であるカミーロ・ディ・モーリアス嬢である。
彼女は席に着いた時から、ずっと領地で狩猟できる動物について語っている。淡いグリーンの髪を優雅に巻き上げ、髪の色と同じ色のミントグリーンのドレスを身につけているが、普段は男たちに混じり騎士の装束を身につけているというなんとも勇ましいご令嬢だ。
カミーロ嬢の肩にはモーリアス伯爵が皇帝陛下との見合いが決まったことを祝って、伯爵自らが狩猟で手に入れたシルバーラクーンの毛皮を羽織っていた。
北部辺境は首都よりもさらに寒く、夏でも氷が溶けていない山が多々ある。首都へとやってくるまでに、そのような山道をなん度も越えてきたのだろう。
きっと毛皮はその度にご令嬢の肉体を守り続けた。だからなのか、彼女はなかなか毛皮を脱ごうとしない。
そのため彼女の額には汗が滲み、頬は熱ったように赤く染まっている。きっと毛皮を着る彼女にとって、この場所は暑すぎるのだ。そうと分かった上で、この場所でずっと過ごさせるのは、酷である。
とはいえ「コートを脱いで、部屋で話をしませんか」と、口にするのは厄介だ。
薄っぺらい優しさは時に残酷な結果を生み落とすものだから。
時計を眺め、きっちりと約束の時間を刻んだところで立ち上がった。
「そろそろ執務室に戻らなければ。カミーロ嬢、楽しい時間だった」
と、深々と頭を下げて別れの挨拶をする。
「リクハルド皇帝陛下!」とカミーロはリクハルドを呼び止めた。
リクハルドが振り返ると、りんごのように頬を赤く染めたカミーロが、今にも泣き出しそうな表情を浮かべて「また、お会いできますよね?」と悲痛な声で尋ねた。リクハルドはその言葉には応えず、再び会釈を返して庭園を去った。
***
執務室へと戻ってくるなり、遅れて部屋へ入ってきた事務次官のリュカが「全く〜。また会えますよ! ぐらい、言ってあげてもいいではございませんか! 言葉はタダですよ」
と、どこで見ていたのか知らないが、先ほどのリクハルドの行動に文句をつける。帝国・事務次官であり皇帝陛下の一番の側近であるリュカ・シャルルド・グレイは幼い頃から共にいる。
とはいえ事務次官と皇帝では位の差がある。本来ならこんな発言をすれば、リュカの首が飛ぶというもの。
しかし軽口を叩き合えるこの関係は、リクハルドにとっては好ましいものであった。今日もリュカの発言を大目に見て、こちらも正直な気持ちで応える。
「タダでも、言いたくない言葉は言わん」
「えー。最後のお相手はご趣味も合いそうでしたのに。勿体無い」
「確かに弓術と剣術が師範格で、趣味がファイアーウルフの狩猟というのには、惹かれたな。宮廷の護衛兵に是非とも加えたい逸材だ。あの筋肉質な二の腕も女性にしておくのは勿体無い」と、付け加えたところで、「それは衛兵のスカウトでしょ! もう! 奥方としてはいかがだったのです?」とリュカが、焦ったそうに尋ねた。
ふむと考えた上で、
「夫婦喧嘩をした際には、城が破壊されるだろうな」と告げると、リュカは紫の髪色と同じぐらい顔色を青ざめさせた。
「はいはい。では今回も、お断りのお手紙を書いておきますよーっと」
と、自分の席へとつくなり、渋々と羽ペンを握りしめた。
気を取り直して、卓上に溜まった束の中から報告書を一冊を開いた。
記されているのは、裏取引所において取締られた魔法石の違法売買についての報告書だった。
ここ数年、偽魔法石を売買する取引所が後を経たなかった。
世界的に魔法石を採掘できる鉱山が減少に向かっており、右肩上がりで魔法石の価格が高騰していた。そのため、魔法石の裏取引は横行し、取り締まりを行っても、すぐに湧いてきた。この先も裏取引所には頭を悩ませるのだろう。
「そういえば、何年か前に、裏取引所にランクS級の魔法石が出品されたことがあるそうです」とリュカが思い出したようにつぶやいた。
「どうせ偽物だろう?」
「それが本物だったらしく、とんでもない金額で落札されたとか。その実物を見た人の話だと、その魔法石は、そこに何もないかのように、透明だったそうですよ」
ランクの高い魔法石で、透明に近いものはあれど、気泡が入っていたり結晶化の際に、うすらと乳白色が混じっていたりと、完全な透明とは程遠いものだ。完全なる透明だったのなら、魔法石の概念すら変わってしまう。
「もしそのような魔法石が取れる鉱山があるなら、我が国で独占したいものだな」と、リクハルドはつぶやいた。
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