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【episode02】
【episode02】
***
「ああ、なんて幸せなのっ!
このドレス、マダムシャルロッテ洋装店の仕立てじゃない!
早く、早く手紙を開けて。一体誰からの贈り物なの?」
ジータはドレスが入った箱に記された紋様を見るなり、飛び跳ねるほどに喜んだ。社交界デビュー時から殿方からの贈り物は事欠かない。花や、化粧品や香水、ポエムのような手紙、そんなガラクタをもらったところで、ジータの心は靡かないのだが、ドレスの贈り物だけは、いつでもワクワクと胸が躍ってしまう。
「それで、誰からなの?」
侍女へ、ドレスの箱を開けるように指示をすると、翡翠色のドレスが現れた。ドレスは、胸元には、エメラルドが散りばめられ、横糸に銀糸を使用しているのか、キラキラと輝きを放ちみるからに高そうな代物だ。どれほどの財力がある人物なのか。
「ゾイ公爵様でございます」
侍女が公爵の名前を口にした途端、ジータの顔色がサッと青ざめた。その名前は、彼女の順風満帆な生活に終止符を打ち、死刑宣告を告げるような気分にさせた。
「……ゾイ公爵様で、間違いないの?」
ドレスに添えられた手紙には確かにゾイ公爵のサインが入っている。
それを見て、背中に毛虫が入ったかのように身体中を粟立たせた。
「今すぐ送り返して!
それから、お父様を呼んで! いいえ、私が会いに行くわ!」
***
ジータは父の書斎の扉を乱暴に叩いた。
カールソンが返事をするのを待たずに、扉を開ける。
「……ジータ? どうしたのだ?」
カールソンへと向かって、ゾイ公爵の手紙を突きつけた。
「お父様、ゾイ公爵との結婚は断ってくださいといったはずです。
彼の方は、聴く耳を持ち合わせていないようですの。
何度もお断りしているというのに、まるで結婚間近のような噂を立てられているのは、腹立たしいったら、ございませんわ。それにあのお方の……豚のような体つき……」
ジータはゾイ公爵と初めて会った祝宴の場を思い出して身震いした。
肉に埋もれて垂れ下がった瞼。黄ばんだ歯。
手の指は丸々としており、ギラついた肌は油脂を塗りたくったかのようだった。全身から放たれる獣じみた匂いも吐き気がするものだ。
「どうしてもデュクロクの人間と結婚がしたいのでしたら、マグノリアを差し出したらどうです?」
「ゾイ公爵様は、美しいものがお好きな方だ。だからジータを所望しているのだよ」
宥めるようにカールソンはジータの肩を撫でた。
するとジータは満更でもないようにニンマリと口元を緩める。
「私が美しいのは、分かりきったことですわ。だから、決してあんな醜い男の所有物にはなりません。私の価値を最大限に高めてくださる方と結婚いたします。ですから、公爵さまには丁重なお断りの手紙を送ってくださいませ」
「このドレスはもらっておきますけれど! 結婚は、絶対に嫌ですから!」
ジータは強い口調でカールソンへ告げた。
扉がノックされると、マグノリアが銀のトレイを抱えて、部屋に入ってくる。
「伯爵様、お茶のご用意ができました」
ジータがマグノリアとの視線がかち合うと、マグノリアを思いっきり睨みつけた。
「私がいるのに入ってくるなんて、気が利かないわね。ああ、そうね。マグノリアもドレスが欲しいのかしら? 殿方からの贈り物どころか求愛すらないものね!」
と、ツンとした鼻先を持ち上げて、高らかに笑った。
「あなたには、普通の幸せすら手に入れられないものね。その醜い顔。せめて生い立ちが良ければよかったのに、あなたの家族のせいでデュクロク家の屋敷は燃えて全て失ったのよ。
その罪を一生抱えて生きていくあなたには、デビュタントどころか、結婚相手すら手に入らないわね」
ことあるごとに、ジータは過去の話を口にする。
家族の話をすれば、マグノリアが傷ついた顔をするのを知っているからだ。マグノリアに結婚など夢のまた夢な話。そんなことはこの屋敷に住む誰もが知ってることなのに。
マグノリアはジータの言葉に悲しげに目を伏せる。
「おっしゃる通りでございます。お嬢様。私には結婚どころかこうしてドレスを殿方からいただくことも一生ないでしょう」
そう答えるとジータはようやく欲しかったオモチャをもらえた子供のように、満足げに微笑んだ。
足取り軽くくるりとドレスの裾を広げて、
「馬車を用意しなさい。
受け取ったドレスよりもずっと洗練されていて豪華なドレスを調達しなくちゃいけないわ。あんなドレスなんか霞むぐらいに上質なものを身につけて、絶対に手が届かない相手だとゾイ公爵に知らしめないと!」と、嬉々として言った。
「またドレスを買うのか?」
カールソンが呆れたように尋ねる。女のプライドなどなにも理解していない父親の様子を見て、ジータはさらりと糖蜜色の髪を靡かせた。
「当然です。公爵様のドレス以上に素晴らしいドレスを手に入れなくては、あの男に恥をかかせられないではないですか。それとも、あなたの愛する娘が、あんな男と結婚すればいいとお思いなのですか?」
強気に返すと、「そうではないが」と狼狽えて否定をする。金細工を首に巻いていようと、貴族のマナーを知っていようと、あの男は豚なのだ。家畜同然の容姿の男に、娘を嫁がせるつもりはないはずだ。とジータは娘を溺愛する父を慮る。
「私にお任せください。お父様に恥は欠かせませんわ」
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