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その日は嵐だった。吹き荒ぶ風が木の葉を散らし、町中のゴミまで吹き飛ばしていった。風は夜更けになっても止まなかった。
斎藤敦史は日課のランニングができずに燻っていた。特に目的があるわけではなく、ただただ走るのが好きだった。滅多矢鱈に走るのは、流石に高校生としてはいかがかとようやく気づき始めたので、堂々と走れる「ランニング」でその欲望を発散していた。
普段は歩いている。
日中走れず持て余す気持ちで夜空を眺めていると、ふと風が止んだように思えた。
一も二もなく外に飛び出し、彼はランニングを始めた。
走っているうちに、日常に感じる不安や苛立ち、後悔といったネガティブな感情が消え失せていった。かに思えた。残るは走る疲労のみ。この積み上がっていく疲労に気分を集中させていけば、日頃の鬱憤は忘れられる。
たとえ問題は解決しなくとも。
彼の向き合う問題は、彼自身ではどうしようもなものだった。そんな彼にも恋人がいて、それなりに充実した毎日、だった。走ることが好きな彼にも理解を示してくれ、馬鹿にしたりだとか忠告したりだとか、そういうこともせずに、ひたすら見守ってくれていた。
そんな彼女の引っ越しが決まってしまった。
彼女の父の転勤で、単身赴任も考えたのだが、都会地への配置転換ということで、彼女への教育的な機会が増やせる、といったぐうの音も出ない、親心満載の決断だった。
そな決断に対抗しうる反対意見など、まだ高校生の彼にも彼女にも持ち合わせるものはなかった。
引っ越しまであと2週間。二人にはとうしようもなく、時は流れていった。
河原に着いた。辺りは田んぼが広がるばかりで、民家も人気もなく真っ暗である。そこで彼は、声が枯れるまで叫んだ。
言葉ではなく、ただの雄叫び。
自分はあの子になにかしてあげられていただろうか、なにか言葉をかけられないだろうか。そんな、生木を引き裂かれるような別れが待っている彼女に、先の人生の灯火になれる言葉をかけられるほど、彼は大人ではなかった。
どれだけ叫んだろうか。彼は暗闇に何か動くものを感じた。
犬だった。犬なのか?確かに犬のように立った耳をもち、長い鼻面をして、ちらりと口から牙も覗く。
だが、立っている。二本足で立っているのだ。
ぬ、とその獣は近づいてきた。
「うるせんだわ」
至極真っ当な苦情を述べた。
いや、こんな生き物いる?犬みたいな顔と体、尻尾。だが擦り切れて入るが服は着ている。そしてなにより、自分が聞き取れる言葉を話している。
しかしその苦情はあまりにも真っ当であった。
「あの、すみません、誰もいないかと思ってて、あの」
と自分でもどういう立場かよくわからないままに平謝りをした。
獣人は、フン、と鼻を鳴らして戻っていった。
「あの、すみません、ちょっと、あなた誰なんですか」そんなことを聞いてどうするかも考えずに引き留めていた。
獣人は振り返る。
「なんだ、あんたらにはわからないだろうが、昔からいたんだよ。俺等は、お前らの言う夜行性ってやつだから、お前らとは時間が被らないんだよ。ここらは夜になると暗くなるからちょうどいいしな。」
知らなかった。真夜中にこんな生き物達が動いていたなんて。
「ここで会っちまったからには、しょうがない、話を聞いてやるよ。何があった」
斎藤敦史は話し始めた。彼女のこと、彼女が引っ越してしまうこと、見守ってくれていた彼女に自分は返せたのか、そしてギクシャクしてしまっている今のこと。
獣人は黙って聞いてくれていた。
そして
「お前、今話せないと一生後悔するぞ。なんでもいい、お前のその気持ちでもいい。話すんだ」
次の日、学校で彼女を呼び出した。昨晩の話をすると、何故だか目を輝かせていた。勿論、自分の気持ちも話したのだが、なんだかそっちはいなされた気がする。
「その人に私も会う、連れていって」
夜中、彼女を連れて河原へ向かった。
さて、向かったはいいが、どうしたらいいだろう。何よりあの獣人が今日もここにいるとは限らないのではないか。
とまごついているうちに、彼女が闇に向かって叫んだ。
「マークでしょ、わかるんだから。出ておいで!」
少しして、闇の奥が動いた。
ゴソゴソと、今日は俯いて獣人が出てきた。
「やっぱりマーク!ここにいた!」
彼女が抱きつく。
斎藤敦史には何が何だかわからない。
「あの、どういう」
「マークよ!昔家で飼ってたシェパード!中学の時に行方知れずになっちゃって、でもこんなところにいたなんて!」
俯いてひたすら撫でられる獣人。
「マーク、家に帰ろう!パパもママも、わかってくれる!」
そうして彼女は引っ越していった。獣人マークと共に。
斎藤敦史は、今日もマラソンを続ける。
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