【episode1】

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 天馬はマグカップを二つ並べ、そこにコーヒーの粉を入れた。手伝うつもりで席を立ったのに私は何もできていない。 「ごめんなさい、全部あなたに任せてしまって」 「構わない」と返ってきた直後、後方でドアの開く音がした。ファイルを携えた麻里奈が入ってくる。彼女は訝しそうに目を細めながら、私たちの方へ近付いてきた。 「二人仲良くコーヒーを淹れてたってわけ? 天馬、こういう女が好みだったの?」  麻里奈は黙っている天馬の白衣のポケットに、昨日と同じ形の試薬ビンを滑り込ませた。 「女に興味なさそうな顔してたくせに意外」 「変な誤解をするな」 「愛想のない男。研究しか興味がないのはあんただって同じのくせに」 「何の話だ」 「あたしのこと、この女にそう言ったんでしょ? 仕事もオフも関係なく、常に白衣姿のあんたなんかより、あたしはずっと健全な女だと思うけどね」 「……そうか」 「ホント、無愛想で堅物だね。っていうより感情のないロボット?」  直後、ポットを持ち上げる天馬の手が止まった。何か言いたげに唇が動いたものの、結局何も口にすることなく、カップへお湯を注ぎ始める。 「つまんない男だね。少しくらい女遊びすればいいのに」 「ここにいる以上、研究中心の生活が当たり前だろう」 「割といい顔してるのに。もったいないヤツ」 「……余計な世話だ」 「もしかして、二十六歳にして童貞?」 「くだらない詮索をする暇があったら、昨日の〝第一〟の結果でもまとめておいてくれ。あまり遅いと上から催促が来るぞ」 「事務仕事は全部この女に代わってもらえるんじゃなかったの?」 「現段階では、夏希に見せていいものと明かすべきでないものがある。お前の研究に関しては後者だ」 「何それ。アテになんない新入りだね」 「都合よく利用したいならお前も教育係として真面目に取り組め」 「面倒事は嫌いだよ」  肩を竦めた麻里奈は持っていたファイルを引き出しにしまい、研究室から出ていった。 「あの……一つ質問してもいい?」 「何だ」 「この研究所には何人くらいの研究員がいるの?」 「どうしてそんなことを訊く?」 「麻里奈さんが〝女遊び〟と言ったけど、女性研究員も多いのかな……と思って。城之内製薬の研究チームは女性の割合がすごく少なかったから」 「組織の構成員は三十人程度、そのうち薬品の開発や実験に携わっている女性は二人だけだ。たくさんいたとしても女遊びなんてする暇はないが」 「そう……。ありがとう」  この日の作業を終了していいと告げられたのは夜の九時過ぎだった。部屋に戻ってシャワーを浴び、私服へ着替える。ここには監禁されたときに着ていた服と下着しかなく、着回すのが大変だ。服や下着は調達できないのだろうか。  この点に関しては男性の天馬に訊きづらい。あまり気は進まないが麻里奈の部屋へ行ってみよう。彼女の様子も窺うことができるかもしれない。  麻里奈の部屋へ行きインターフォンを押す。しばらくして顔を出した彼女は「何の用?」と私を見下ろした。 「ここでは下着や服の調達はできないのかなと思いまして」 「……入りな」  麻里奈に促され室内へ踏み込む。私の部屋と全く同じ造りだ。麻里奈はローテーブルからシガレットケースとライターを取ると、煙草を咥えて火を点けた。 「ま、あたしと同じサイズでも着られるでしょ。ちょっと大きいかもしんないけど」  チェストの一番下の引き出しを開けた彼女は、バサバサと服を出し始めた。適当に好きなものを持っていけと言われたため、床に座って服を選ぶ。  上下合わせて二セット。  これだけあれば充分だろう。 「残りの服はチェストに戻しといて」 「分かりました。それと……下着は?」 「使用済みを渡すなんて気持ち悪いでしょ。仮に新品があったとしても、バストサイズが違いすぎて使えない。注文しとく」 「……Aでお願いできます?」 「ペタンコでも問題ないよ。明日の夜まで待ってな」
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