【episode1】

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 麻里奈は煙草を揉み消すと、ミディアムヘアの先を弄びながらベッドへ歩み寄った。枕元からスマホを拾い上げている。 「スマホ、通じるんですか?」 「これは組織専用のヤツ。部外者のあんたには関係ないモンだよ」  麻里奈はどこかに電話し始めた。  下着の注文をしてくれている。  通話を終えた彼女はローテーブル横のソファに腰を下ろし、再び煙草を咥えた。 「もう用はないでしょ。さっさと出ていきな」  服を抱えてしゃがみ込んでいる私に、彼女は煙草の煙を吹き掛けてきた。煙を吸い込み、軽く咳き込む。「ヤワな女だね」と笑う麻里奈に会釈し、静かに部屋を出た。 + + +  一夜明け、昨日と同じ時間に研究室へ出向いた。天馬の姿はあるが麻里奈はいない。パソコンの起動を待っている天馬に、今日の仕事について訊ねた。 「やることは昨日と同じだ。特別に指示しない限り、当面は事務作業をこなしてもらう。夏希の仕事に対する様子を観察する意味でもな」 「……分かった」  デスクで作業していると、しばらくして麻里奈が入ってきた。彼女の顔には笑みが浮かんでおり、機嫌が良さそうに見える。 「天馬、《ステルリン・バージョン5》が完成したよ」 「そうか。実験は?」 「これからやる。結果、楽しみにしてて」  麻里奈は薬品の完成報告に来ただけのようで、すぐに出ていってしまった。 「……ねぇ、ステルリンって何?」 「夏希がここに来たとき作用していた、脳に影響する薬に似たものだ。麻里奈が研究開発している」 「人を誘拐するための薬ってこと?」 「違う」  気になったものの、しつこいと思われないよう追及は控えた。  任された事務仕事をこなすだけの単調な時間を過ごし、終了していいと告げられたのは午後八時。天馬へ挨拶し研究室から出ようとすると、唐突にドアが開いた。入ってきた麻里奈とぶつかりそうになり身を引く。 「実験終わったよ。バージョン5にしてはなかなかの成果だった。この調子でいけば七段階目くらいで完全版となりそうな感じ。〝D.H.(ディー・エイチ)〟がイカれたから次は――」 「待て麻里奈」  天馬が話を遮る。  彼の目線が、ドアの前に立ったままの私へ向いた。 「夏希は部屋に戻れ」  その発言に麻里奈が反応した。 「別に、こいつに聞かれちゃまずい話はないけど」 「実験結果の話は夏希には早い」 「どうせここから出られるわけじゃないし、何を聞かせようと構わないでしょ」  天馬が答えなかったため妙な沈黙が下りた。  思わず「あの」と口にする。  二人の目が一斉にこちらへ向いた。 「私、すぐに出て行きますから。また明日」  二人に向かってお辞儀すると、廊下に出て食堂へ向かった。  天馬は確実に私を追い出そうとしていた。麻里奈は気にしていなかったが、天馬から見れば私に聞かれたくない、もしくは聞かれると困る話があったはずだ。  気になるのは《D.H.》という単語。  おそらく実験に関わる何かだろう。  薬品名なのか、実験器具の名称なのか……。  今日は組織に関する新しい情報を得ることもできなかった。下手に動くことができない以上焦っても仕方ない。今後は少しでも動きやすくなるよう、天馬と麻里奈の信頼を得なくては。  このまま《研究室A》に閉じこもりっぱなしの作業が続くと、研究所に関する情報――逃げ道へ繋がる情報は得られないだろう。このフロアだけでなく別の場所を見たり、他の研究員と会ったりしてみたい。どこに有力な情報が転がっているか分からないのだから――。
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