【episode2】

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 天馬はテーブル上のファイルを私の方へずらした。 「これは解毒剤に関する資料だ。明日までに目を通しておいてくれ。もう部屋に戻る」 「待って。……この組織は何の目的で存在しているの?」 「知る必要はない」 「どうして? 私だって研究者として働いてるでしょ? それなのに――」 「知ってどうするんだ。組織のトップを殺そうとするのか?」 「そういうわけじゃ……」 「世界には強大な闇・権力がいくつも存在するんだ。お前のような一般人が死ぬ気で足掻いたところで、巨悪を根絶やしにすることなど不可能。余計なことを考えず指示に従っていろ。殺されたくなければな」  天馬の恋人は組織に反抗して殺された。だから似た立場の私に、組織について必要以上の情報を与えたくないのかもしれない。 「今でも……恋人のことを想ってるの?」 「彼女は戻ってこない。何を思っていようが、お前には関係ないだろ」  それは、明確な答えではなかった。 + + +  その夜はいろいろと考え込んでしまい、ほとんど眠れなかった。言われたとおり資料に目を通したものの、あまり頭に入っていない気がする。  朝の研究室には誰もいなかった。眠気覚ましにホットコーヒーでも飲もうと考え、ポットに水を入れる。椅子に腰掛けお湯が沸くのを待っていると麻里奈が入ってきた。 「何シケたツラしてんの?」 「ちょっと寝不足なだけ」 「ふーん。コーヒー淹れるならあたしのも用意してよね」  言いながら、彼女は試薬ビンを作業台に並べ始めた。試験管やスポイトも準備している。 「――ねぇ麻里奈。あなたはどうしてこの組織に入ったの?」 「は? 急に何?」 「深い意味はないけど。ただの雑談」 「……毒薬の研究開発には莫大な金が掛かる。それを全て組織が出してくれるんだ。魅力的でしょ?」 「どうして毒薬なんか作りたいの?」 「破壊衝動さ」 「破壊衝動?」 「毒薬は人間を内側から壊すこともできるし、ステルリンのように外側から壊すこともできる。そんな優れものを作れる頭脳があたしにはあるんだ。使わないと損でしょ?」  何という思考回路。  信じられない。  その素晴らしい頭脳を、もっと別のものに使おうと思わなかったのだろうか。苦しんでいる人を助けるためとか、世界に役立つ研究とか……。そう指摘すると、彼女は「絶対イヤ」と吐き捨てた。 「あたしはね、何もかもが滅びればいいと思ってるんだよ」  ――ポットのお湯が沸く。  会話を打ち切り、コーヒーを淹れた。麻里奈が作業スペースを離れ、別のテーブルへ移動する。そこへマグカップを届けた。コーヒーを口にする麻里奈の手元には一冊のファイル。 「何を読んでるの?」 「あんたの苦手な毒薬の化学反応式だよ」  なかなか部屋を物色する機会もないため、さりげなく覗き見ておこう。資料に目を通している麻里奈の隣でコーヒーを飲んだ。 「逃げる方法なんか載ってないよ?」 「……」 「あんたの考えてることなんか全部お見とおしだよ」 「……逃げるつもりなんてない。私にだっていろいろ考えがあるんだから」 「へぇ。どんな?」  応えるより先に研究室のドアが開いた。  天馬が中に入ってくる。 「昨日の資料に目は通したのか?」 「……えぇ」 「そうか。部屋を移るぞ」  マグカップと昨日渡されたファイルを持って研究室を出ようとすると、後ろから名を呼ばれた。振り返ったところで、薄っすら笑みを浮かべた麻里奈と目が合う。 「組織に潰されたくなけりゃ、何にも首を突っ込まず仕事に集中しなよ? 城之内製薬の研究チームにいたっていう頭脳を使ってさ」 「……分かってる」  廊下に出てドアが閉まると、天馬に見下ろされた。近距離で目が合い、ドクンと心臓が跳ねる。 「あいつと何を話していたんだ?」 「ちょっとした雑談よ」 「そんなふうには思えなかったが」 「気にしないで、本当に大した話じゃないから。これからどこに行くの?」  彼は「こっちだ」と言い、食堂方向へと歩き出した。一度も入ったことのない部屋――《研究室E》と書かれたドアの前で立ち止まる。室内は《研究室A》に比べて随分狭いが、テーブルや実験器具、戸棚などが似た配置でぎっしり並んでいた。 「今日からここが夏希専用の部屋になる。自由に出入りして構わない」  カードキーを差し出される。  それを受け取ると、中央のテーブルへ歩み寄った。テーブルにはファイルや冊子が山積みになっている。 「そのあたりは関係資料だ。現在までのバージョンについてまとめたものや、薬品に関する専門書を集めておいた。室内にある器具も自由に使って構わない。改善してほしい点を全てクリアしろとまで言わないが、少なくとも現バージョンよりまともな解毒剤に仕上げてもらわなければ困る」 「……期日は?」 「今回は初めての単独作業だから多めに時間をやる。期限は一ヶ月――それさえ守れば毎日の終了時間も休憩も好きにしてくれていい。一日一回は様子見に来る」 「分かった」 「これで全く成果を出せなければ、夏希への待遇は著しく悪化すると警告しておく。今まで以上に真剣に取り組むんだな」 「……心に刻んでおく」
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