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ドアが閉まると、室内にある戸棚を調べた。どんな些細なことでもいいから、組織に関する情報を見付けられないだろうかという期待を抱きながら。
戸棚の数はそれなりにあるものの、中身は薬品に関する専門書・実験や研究に必要な機材ばかりだった。中身をごっそり抜き去ったような、中途半端な空間も点在している。私が自由に使うことのできる部屋だから、組織に関するものなど置かないか……。大人しく仕事へ移ろう。
資料をめくりながら解毒剤の改良に着手する。城之内製薬にいた頃は鎮痛剤の副作用に関連する研究・改良を行っていたが、その知識だけでは到底追いつかない。分からないことが出てきたら本で調べたり、薬品の成分を分析したり、集中して進めた。
「一日一回は様子見に来る」と言った天馬だが、夜になっても現れなかった。一日の報告か何かした方がいいのだろうか。今日は現バージョンについて細かく調べただけだが。
八時半過ぎに作業を終えると、夕食を済ませてから天馬の部屋へ向かった。インターフォンを押してみたものの返事がない。まだどこかで仕事をしているのかも――そう思い自分の部屋へ戻ろうとしたとき、エレベーターの方向から天馬が歩いてきた。
彼は左手を押さえている。
その手元に血が滲んでいるのが見えた。
「どうしたの、その怪我」
「割れたガラスで切っただけだ。大したことない」
天馬へ歩み寄り、彼の左手に視線を落とす。掌に大きな切り傷ができており、白衣の袖口まで赤く染まっていた。
「酷い怪我……。早く手当てしないと」
「手当てくらい自分でやれる。部屋に応急処置のセットもあるから。お前は戻れ」
「こんなに出血してるのに放っておけるわけないでしょ」
ロックを解除した天馬に続き、彼の部屋へ入る。室内は私や麻里奈の部屋と同じ造りだが、ほとんど生活感がなく、客室清掃後のビジネスホテルのようだ。
「救急セットはどこに?」
「そこの棚、一番上の段だ」
「分かった。先に傷口を洗ってきて」
コンパクトソファの前に膝をつき、救急セットから必要なものを取り出す。水道で傷口を洗ってきた天馬はソファに腰を下ろした。
「セットを出してくれただけで充分だ。あとは自分でやる」
「何言ってるの。無理してますます傷口が広がったら大変でしょ?」
天馬の左手を掴み、傷口を確認した。掌を縦に割くように刻まれた傷はそれほど深くなかったものの、手首まで達しようとしている。ガーゼで血を押さえ、袖をまくろう。
「――やめろ!」
天馬が声を荒げるのと、私が白衣をまくり上げるのは同時だった。
露わになった彼の腕。
赤黒いアザのようなものがびっしりと浮かんでいる。
痛々しい痕跡に絶句してしまった。
「……処置しないなら手を離せ」
「あ……ごめんなさい。すぐに止血するから待ってて」
血が付かないところまで袖をまくっておき、消毒とテーピングを施したあとで包帯を巻く。左手はほとんど包帯で隠れてしまった。
救急セットを戸棚へ戻す。
ソファで無言を貫いている天馬の正面に腰を下ろした。
「左腕、どうしたの?」
「ただの古傷だ。何の痛みもない」
天馬は常に白衣を羽織っており、その下には長袖シャツを着ている。腕を見られないようにするためだろうか。ふと頭に浮かんだのは、二年前に特別養護施設で死亡した祖母のこと――身体に点在していた不自然なアザ。
「もしかして……組織の人に何かされたの?」
「お前には関係ないだろ」
強引に話を打ち切られてしまった。
天馬の左腕にあったのは、どう考えても普通ではない痕。
単なる怪我とは思えない。
何かあったに決まっている。
しかし本人が黙秘する以上追求することはできない。
「もう部屋に戻るね」
「……一つ忠告しておきたい」
「何?」
「ここでは人間らしい感情を持てば持つほど、精神に支障をきたすことになる――実験を見て分かっただろ? 〝普通〟の感情を捨てろとは言わないが、余計なことまで考えるな」
「……でも毎日会ってるから。天馬のことを見知らぬ他人として割り切るなんてできない。あなたにとっての私は、ただの部外者でしょうけど」
「それでも。割り切って生きろ」
生きろ。
その言葉が心に重く響いた。
ここがどんなに危険な場所なのかということも、私は組織のせいで自由を奪われたのだということも……きちんと理解しているのに。
どうしてだろう。
どうして天馬のことを知りたいと感じるのだろう。
天馬の恋人も、私のように複雑な気持ちを抱くことがあったのだろうか――。
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