【episode3】

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【episode3】

【episode3】  部屋に戻ったあといつの間にか眠っていたようだ。気付いたら朝になっていた。〝朝になっていた〟と言っても時計で時間を確認しただけ。  ふと、このまま死ぬまで空を見られないのかなと考えて虚しくなった。普段の生活の中でわざわざ空を仰ぐことなどなかったが、今は思う。もっと空を眺めても良かったな……と。  昨日の続きを始めたのが午前九時。昼食は食べる気にならなかったため、そのまま通しで夕方まで作業した。天馬は顔を見せに来ない。休憩がてら《研究室A》に顔を出してみよう。  部屋を出てロックし、《研究室A》へ移動。室内には麻里奈と共に見たことのない男性がいた。白衣を着ているため、どこかの研究チームの人だろう。男性は私を見ると、麻里奈に「この子は?」と訊ねた。 「例の新入りだよ。城之内製薬にいたっていう」 「なるほど、彼女が……」 「そう。――で、さっきも言ったけど。こっちのラベルは天馬が管理してるから全部持ってくのは無理。必要最低限だけビンに移して」  二人の会話を耳にしながら戸棚へ歩み寄り、マグカップを三つ準備する。ポットのお湯が沸いたところで舌打ちが聞こえた。何事かと思い振り返る。麻里奈は苛立った表情で私に声を掛けてきた。 「ちょっとヤボ用。あたしはコーヒーいらないから」  彼女はそう言い残し、足早に出ていってしまった。男性に「すぐ準備しますね」と告げ、コーヒーの粉を手にする。彼が背後に寄ってくる気配がした。視線を感じつつコーヒーの準備を進める。 「君、城之内製薬の研究チームにいたってことは頭いいんだね」 「いえ、それほどでも……」 「僕は実験助手をやってるんだ。君のことは麻里奈さんから聞いたよ。こんな可愛い子だなんて想像もしてなかったけど」  振り返ると、男性に頬を撫でられた。ぞくりとしたものの振り払うこともできず唇を結ぶ。彼は舐めるような目でこちらを見ながら、私の頬へ指を這わせた。 「僕、《D.H.》を使った実験をする中で気付いたんだよね。〝女が悲鳴を上げる姿〟に興奮するってことに」 「え――」 「ちょっと前まで気に入ってた《D.H.》は実験でいなくなっちゃってさ」 「まさか、誘拐した人々をそういう目的でも――」 「そりゃね。こんな閉鎖空間じゃ他で発散できないから。みんな『好みの子が捕まったらラッキー』と思ってるよ」  最低。  あまりにも惨い。  軽蔑で心の中が荒んでいく。 「何、その眼。文句あるの?」 「…………いえ」 「『クソ野郎』とでも言いたげな顔してたけど? 結局自分が可愛くて保身に走っちゃうんだね。そういう女も見てきたけど、もれなく遊んでやったよ」  男性は白衣のポケットに手を突っ込み、カッターナイフを取り出した。その刃を私に向ける。逃げようとしたが腕を掴まれ、壁に押し付けられた。カッターナイフの刃が頬に当たり、鋭い痛みが走る。恐怖で全身が震え出した。男性はサディスティックな笑みを浮かべている。 「その表情最高、すっごくそそられる。でも静かすぎてつまんないな。しっかり傷付けてあげる方がよさそうだね」 「麻里奈が……麻里奈が戻ってきますよ?」 「分かってる。今度僕の部屋でじっくり遊んであげるよ。ほら、返事は?」  腕を掴む彼の手が首へと移動する。強い力で締め上げられ、返事どころか声すら出ない。このままでは窒息してしまう――。 「何やってんの!?」  罵声が聞こえると同時に解放された。  首を押さえながら咳き込む。  ドアの前に麻里奈が立っていた。  その後ろには天馬の姿も見える。  二人が中へ入ってくると、男性研究員は思いのほか素直に「すみません」と答え、カッターナイフをしまった。天馬が「どういうことか説明しろ」と訊ねる。 「ちょっと遊んでただけです。なかなか良い()だったのでつい」 「実験準備中なんだろ? 早く戻れ」  天馬の言葉に頷いた男性は、私に目を向けることなく研究室を出ていった。麻里奈が可笑しそうに、ふっと息を漏らす。 「とんだ災難に遭ったみたいだね。あいつ、実験助手を始めてから変な性癖に目覚めたらしいよ? この前も――」  天馬が「おい」と遮った。 「下品なことをペラペラ話すのはやめろ。(けが)らわしい」 「出たよ、堅物が」  麻里奈は肩を竦めると、棚からファイルを抜き取った。ファイルの角で天馬の腕を小突き、足取り軽そうに去っていく。 「大丈夫か?」 「……いつだったか、麻里奈が〝女遊び〟と言ったよね。私、当たり前みたいに研究員同士の話だと思って質問したけど。違った」 「……申し訳ない」 「どうして謝るの? あなたは女遊びなんてしないと言ってたよね?」 「黙認しているのだから同罪だ」  天馬は私の横を通り過ぎ、砂糖の入っているビンを手にした。蓋を開け、私が用意していたカップに砂糖を入れ始める。 「仕事は捗っているのか?」 「……」 「捗っているのか、と訊いている」 「……」 「割り切って生きろと言ったはずだ。夏希にとって理不尽なことも非道なことも、ここでは常識。赦す必要などないが、全てを諦めろ」 「…………そうね。私に与えられた仕事はちゃんと進めてる」  頷いた彼はカップにお湯を注いでくれた。  組織に加担している人間たちを、心の中で「クズ」と罵って。どうにか自分の中に抑え込んで。天馬からコーヒーを受け取った。
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