18人が本棚に入れています
本棚に追加
「……さっきの男性のことだけど。天馬には従順なのね」
「俺は大抵の研究員にとって上司のようなものだからな」
「でも麻里奈は、あなたに対して偉そうな態度を取るよね?」
「あいつは最初からああいう人間だ。立場なんて関係なく、それぞれ仕事さえしていればいい」
言いながら、天馬は研究室を出ていこうとした。
「ここに用事があったんじゃないの?」
「いや。夏希の様子を見に行くつもりだったんだが、廊下で麻里奈に会ってな。ここにいると聞いたから来ただけだ」
「そうだったの。ごめんなさい、呼び止めて」
「別にいい」
かたんとドアが閉まり、静寂が下りる。
やり場のない怒りに心を乱されていても仕方ない。私は組織の全貌を探るため、狂ってしまった運命を受け入れると決めたのだ。こんなところで立ち止まっていられない。
コーヒーを飲んでから《研究室E》に戻ると作業をこなし、八時過ぎにキリを付けた。先にシャワーを浴び、食堂へと向かう。
食堂にはTシャツとジーンズに着替えた麻里奈がいた。取出口から食事の乗ったトレイを出している。私はハンバーグセットを注文し、届いたトレイを持って麻里奈のいるテーブルへ歩み寄った。
食堂で顔を合わせることは度々あるが、麻里奈の方が後に来た場合、彼女は必ず違うテーブルに着く。私が後になったときも別のテーブルへ着くようにしていた。食事中に会話することも特になかったが、今日は話を聞いておきたい。
「ここ、座ってもいい?」
「何なの急に。他にテーブルがあるでしょ」
「会社ではみんな一緒に食事してた」
「ここは会社じゃないっつーの」
トレイをテーブルに置き、麻里奈の正面へ腰掛ける。彼女はムッとしながらも、それ以上のことは言わなかった。
「今日はどんな仕事をしてたの? あの研究員、実験助手だと言ってたけど」
「他のチームが試作した薬品を受け取ったから。《D.H.》を使って実験したんだ」
「また……何の関係もない人が亡くなったのね」
「いや、今回は死ぬような薬じゃない。それに実験は失敗だった」
「……失敗?」
「受け取ったのは〝薬を塗った部分がパックリ割れる〟って効果を狙ったものなんだけど、思ったような効果は出なくて。『最初から作り直せ』って突き返しといた。あたしや天馬でさえ〝第一〟は失敗ありきみたいなもん……いつものことさ」
「失敗して、実験台となった人はどうなったの?」
「《D.H.》の手足に塗ってみたけど、皮膚が黒く腫れ上がった程度だよ。今のところは命にかかわるような状態じゃない」
「皮膚が黒く腫れ上がった……薬を塗った……」
彼女の発言が引っ掛かった。
もしかしたら、という考えが頭の中で整理される。
「……何? 急に顔色が変わったけど」
「あ、いえ、何でもない。前に見た実験のことを思い出して怖くなっただけ」
急いで食事を済ませると、麻里奈に会釈して食堂を出た。真っ直ぐ天馬の部屋へ向かう。彼はいつもどおり白衣姿で顔を出した。
「話があるの。時間、少しだけいい?」
「……あぁ」
部屋に入れてくれた天馬と、ローテーブルを挟んで床に座る。彼は私から顔を逸らしていたが、気にすることなく本題へ。
「単刀直入に訊かせてもらうけど。あなたは元々《D.H.》だったんじゃないの?」
天馬の顔がこちらに向く。
いつも無表情で感情のこもっていない目に、動揺のようなものが感じられた。
「……何故そう思う?」
「さっき麻里奈から『実験が失敗した』と聞いたの。その結果、皮膚が黒く腫れ上がったと言ってた。天馬の左腕にも、赤黒いアザのようなものがたくさんあったよね。それは腕に塗った薬によってできた痕――数々の実験にあなたの身体が使われていた証拠じゃないの?」
私に冷たく接しなかったのは、脅されていた恋人の存在があったからというのも事実だろうが……彼が私と同じように誘拐され、《D.H.》となるはずだった身ならば。優しさの根本はそこにあったのかもしれない。そう推測したのだ。
最初のコメントを投稿しよう!