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話を終えると、天馬は再び顔を逸らした。
どうなの、と答えを促す。
それでも彼は俯いたままだ。
否定しないということはやはり――。
しばらくして顔を上げた天馬は目を細めた。
「残念だが、その推測は外れだ」
「そんな……。じゃあどうして?」
「いや、一部は当たっていると言った方が正しいか。腕にある痕は薬品によってできたものだが、俺は脅されて組織に入ったわけでも《D.H.》だったわけでもない」
「それならどうして、研究員であるあなたの左腕に薬品を試した痕があるの?」
「……左腕だけじゃない」
彼は右の袖をまくり上げた。
右腕にも、左腕と同じような痕がいくつも――。
「両腕も、両脚も、腹も……全て実験の痕で埋め尽くされている。こういうアザのようなものもあれば、爛れてしまった部分、火傷の痕のような部分もある。全身こんな醜い状態だ」
あまりのショックで絶句した。
身体中にこんな酷い痕があるなんて。
一体何故――。
「俺の身体にある傷は全て、自分が作った薬によるものだ。パッチテストを行っていたからな」
「どうしてそんなことを――」
「恋人を失ってから、人間を実験台にすることに抵抗が生まれた。こうして傷がつく程度なら自分の皮膚を使えばいいと考えたんだが……もう使える箇所がなくなってしまって《D.H.》に頼るしかない。結局ただの自己満足にしかならなかった」
「……あなたも辛かったのね。人が壊れていく姿を見ること」
「いや。人間の犠牲は〝より質の高い薬品を作るために必要なこと〟としか考えてこなかった」
「〝実験台〟でなく〝人間の犠牲〟と表現するのね。《D.H.》にされる人々のこと」
「表現など些末なことだろう。研究のため、何人もの人間を殺しているという事実は同じだ」
「それでも天馬は優しい人だと思う。組織に加担すると決めたときは悪が魅力的に見えたのかもしれない。でも、今のあなたは間違いなく罪悪感を抱いている。そうでしょう?」
天馬の中には迷いがある気がする。
心のどこかに「組織を抜けたい」という気持ちがあるのではないか――。
「もし……仮に、の話よ? 組織を抜けることができるとしたらどうする?」
「どうもしない。俺は指示に従うだけの傍観者になると決めたんだ。死ぬまでここにいる」
「そう……。でも私は、死ぬまでここで働かされるなんて耐えられない。指示に従うだけの人生なんて〝傍観者〟でなく〝操り人形〟よ」
組織の人間に対してこんなことを言えば、身を危険に晒すかもしれない。それでも、天馬なら心情を理解してくれるのではないかという期待があった。しかし――彼は私に理解を示すことも、窘めることもなかった。
「操り人形だとしても、実験台になるよりマシだろう」
「……そうかもしれない。でも、それは口に出しちゃいけない気がする。私は運よく助かっただけで、何もできず実験台にされてしまった人々のことを思うと……」
ここで目覚めたときは、とにかく身を守ろうと必死だった。でも《D.H.》のことを知ったときは、実行する勇気もないくせに「死んだ方がいい」と考えた。今はそんなふうに思わない。皮肉なことに、私を閉じ込めている組織の人間――天馬と麻里奈の言葉が意識を変えてくれたのだ。
「こんな状況に陥った私でも、生きている意味があると信じたい。これでも一応、目標を持って生活してるから」
「逃げ出すための策でも練っているのか?」
天馬の眼が鋭くなる。
慌ててかぶりを振った。
ここを抜け出せるに越したことはないが、今は〝監禁されている立場でしかできないことがある〟と考えているから。非人道的な組織をいつか消滅させるために、知っていくべきことが山ほどある。なかなか前進できないとしても、ただ指示に従っているだけよりはずっといい。
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