【episode3】

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+ + +  解毒剤の改良に向けて勉強や分析を繰り返し、与えられた期限の数日前には完成することができた。やや不安は残るが、全く使い物にならない薬品にはなっていないはず。午後の《研究室A》で、薬品と報告書のデータを天馬に提出した。 「後ほど確認して問題がなければ、これに関する仕事は終わりだ。今日は雑務に回ってもらう」 「雑務?」 「片付けだ。他のチームの研究員に指示を出すよう伝えてある。そのうち来るだろう」  他のチームの研究員と聞いて真っ先に浮かんだのは、私にカッターナイフを突きつけてきた男性。不安で心がざわめいた。 「実験一筋でここにいる奴だ。妙な真似をすることはないだろう」 「天馬がそう言うなら大丈夫……だよね」  小さく溜め息をついた直後、研究室のドアが開いた。白衣姿の男性が中へ入ってくる。天馬と同世代程度に見えるものの、ガッチリ体型でスポーツマンのような雰囲気だ。実験一筋という風貌には見えない。 「おう。雑用係を迎えに来たぜ」  ラフな口調に無邪気な笑顔。  やはり実験一筋というイメージではない。 「杉崎大地(すぎさきだいち)だ。よろしく」 「桜庭夏希です」 「夏希ちゃん、か。あの城之内製薬の研究員だったんだろ? すっげーな」 「いえ、私はまだ新人で。大したことは何も」 「そんな謙遜しなくていいっしょ。どんな仕事してたの?」 「鎮痛剤の副作用に関する研究や改良を」 「へぇ、カッコイイね」  大地は二ッと歯を覗かせた。  組織にこんな明るい雰囲気の人がいるとは。久しぶりに〝普通〟の会話をして、何だか懐かしい気持ちになった。  天馬に「行ってきます」と告げ、大地のあとに続いて研究室を出る。エレベーターへ向かうようだ。 「今日は片付けをするって聞いたんですけど。具体的には?」 「ゴミの片付けだよ。《B8》から《B10》までは研究員の寮みたいなモンになってるんだけど、そこのゴミを回収してボックスに運んでもらうんだ」  エレベーターへ乗り込むと、大地は指紋認証を行い《B10》のボタンを押した。 「散らかりまくってる部屋も多くてさ。食ったモンを部屋に置きっぱなしにしてるヤツが結構いて、酷いと部屋の外まで臭ってくるんだよ。ここは地下にある研究所だからゴミのことは面倒くさいんだ」 「研究員は外出できないんですよね? どうやってゴミを外に出しているんですか?」 「バキュームカーで吸い上げてるんだよ。回収は雑用係がやってるんだけど、状況次第で人手不足になる日もあるから。新入り研究員に覚えてもらうのもアリじゃないかって、天馬に打診したんだ」  エレベーターを降りた正面には黒いドアがあった。手書きで《dust》という札が付いている。そのドアを通過して突き当たりを曲がると、等間隔に並ぶドアが奥まで続いていた。  各部屋の前に小さなゴミ袋がたくさん積まれている。袋の大きさはどれも電子レンジほどだろうか。「このくらい各々が自分で回収所に運びなさいよ」というツッコミは心の中に留めておこう。 「どうしてあんな小さなゴミ袋に?」 「あの大きさじゃないとバキュームカーで吸い上げられないらしいよ」 「なるほど」 「さっきの黒いドアの中に回収ボックスがある。各部屋の前に置いてあるゴミ袋を運んで、ボックスに全部入れたら作業完了だ。《B8》から《B10》は階段で行き来できるようになってて、合わせて三十部屋くらいかな」 「地下八階から十階で、ほとんどの研究員が生活しているんですね」 「大体はね。その他のフロアで生活してるのは……開発責任者である天馬、一人で毒薬の開発から改良までやってる麻里奈、俺みたいなチームリーダー」 「リーダー?」 「天馬と麻里奈は別枠なんだけど、あとは開発・実験・処理・雑務っていうチームに分かれてるんだ。各チームはリーダーが仕切る」 「開発・実験・雑務は何となく分かりますけど。〝処理チーム〟というのは?」 「死体処理だよ。実験後の解剖、その後始末――身元が分からないよう粉々にする必要があるんだ」 「……」 「実験チームは二つあって、両方統括してるのが俺。二年前に組織へ入ったんだけど、たった一年でリーダーに抜擢されたんだぜ? すげーだろ」  話し方も雰囲気も接しやすいが、この人も組織の人間。日常的に人の死を目の当たりにしながら平然と生活しているのだ。そう思ったら悪寒がした。
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