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「監禁するとなればリスクもある。念のため調べさせたらしい。お前の名前は桜庭夏希、二十三歳。城之内製薬・第五開発部所属。幼い頃に父が蒸発し、事実上の離婚。十歳のときに母が病死、その後は祖父母の家で育てられる。高校に入った頃、祖父も病死。祖母に関しては居所が掴めなかったとのことだが?」
「……祖母は亡くなりました」
「それなら調べがついたと思うんだが。何か事情があるのか?」
誘拐犯に――得体の知れない組織の人に私情を語るのは憚られる。だが黙秘したら反抗と受け取られるかもしれない。ここは大人しく質問に答えなければ。
「……死亡届を出していないんです」
「何故だ」
「どこから説明したらいいか……。表向きは〝病死〟ということになっているのですが、どうしても納得できなくて……」
二年前、祖母は特別養護施設に入っていた。亡くなったときの喪失感は深かったものの、それを掻き消してしまうほどの疑念が心を覆ったのだ。
「祖母の身体に不自然なアザが複数あり、誰かに暴力を振るわれたのではないかと……。『これは病死じゃなく虐待死かもしれない』と警察に訴えたのですが、ほとんど調査してくれなくて……」
「せめてもの抵抗として死亡届を出さなかったということか」
「そう……ですね。何らかの罰則も覚悟していましたが、祖母が亡くなってから二年、特に影響もなく過ごしてきました」
「そんな事例は掃いて捨てるほどあるだろうな。お前のことも〝謎の失踪〟扱いで迷宮入りか」
……家に帰ることはできない?
この先ずっと、得体の知れない研究所に閉じ込められたまま?
思い出したように涙が溢れてきた。
「――どうするんだ?」
頭上で声がする。
小さな足音とともに天馬の近付く気配がした。
「そこにしゃがみ込んで、いつまでも泣いているのか。ここで働くことを受け入れるのか」
受け入れられるはずがない。
しかし、それを口に出して言うこともできない。
「理不尽な現実を受け入れろと言ったところで無理だというのは分かっている。だが――」
唐突に言葉が止まった。
妙な沈黙が下りる。
何だろうと思い顔を上げると、天馬はこちらに背を向けていた。
「仕事があるから行く。俺も麻里奈も、お前がこちらの条件を呑まなければ相手にしないからな。タオルがびしょ濡れになるまで、そこで泣いていろ」
突き放すような声とともに彼の背中が遠ざかる。思わず「待って」と呼び止めた。立ち止まった彼が身体ごと振り返る。
「これからどうすればいいんですか」
「まずはお前の部屋に案内する」
「……部屋?」
「お前はここで生活することになるんだ、住む部屋が必要だろう。研究室の冷たい床の上でしゃがみ込んでいるよりはマシな部屋を用意しているが?」
渡されたタオルで涙を拭い、腰を上げた。ここがどんな研究所なのか、〝組織〟とは何なのか、どうすれば帰ることができるのか――現状を嘆くより情報を掴む方が自分のためになるはずだ。
「……一緒に行きます」
「それでいい」
不安と恐怖で戦慄する心を奮い立たせ、彼に歩み寄った。
研究室を出た先には、大人二人が並んで歩くのに充分な幅の廊下があった。ドアがいくつか見えるが人の姿はない。案内されたのは研究室と同じ通路にあるドアの前だった。ドアの横にはカードキーの挿入口とインターフォンがある。
天馬は白衣の胸ポケットからカードキーを抜き取り、挿入口へ差し込んだ。カチッとロックの外れる音がする。室内はワンルームアパートのような造りをしていた。ローテーブル、ベッド、チェスト、小型冷蔵庫などの設備が整っており、フローリングの床にはカーペットが敷いてある。監禁された身には贅沢すぎる部屋。
「私、ここで過ごすんですか?」
「牢屋に放り込まれるとでも思っていたのか」
「いえ、その……」
「お前は上から期待されている。基本的には組織の研究員と同じ扱いを受けると思っておけばいい」
そういえば――麻里奈が私について「城之内製薬の研究員だから丁重に扱えと言われている」と言っていたことを思い出した。
「こちらが求めているのはお前の頭脳だけだ。もちろん〝戦力〟にならなければ対応は変わるだろうが。麻里奈は研究のことしか頭にない女だから、お前にはあまり関わろうとしないだろう」
「……そう、ですか」
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