【episode1】

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 ベッドの上には私のバッグが置かれていた。その隣には城之内製薬の社員証が置いてある。社員証はカードケースの中にしまっているため、私が眠っている間にバッグの中を調べたのだろう。 「各部屋はオートロック式ではない。開けるときも閉めるときもカードキーを使うこと。俺の部屋は隣、さらに隣が麻里奈の部屋。それを超えて廊下を曲がった先にはエレベーターがあるが、認証システムが稼働している。ID登録された人間以外――お前がエレベーターに乗るとエラーが発生して攻撃されるからな。隙をついて逃げ出そうなどと考えるなよ」 「……分かりました」 「何か聞きたいことができたら俺か麻里奈の部屋に来い。麻里奈にも、お前からの質問には必要範囲で答えるよう伝えてある」 「それじゃあ今から質問させてもらってもいいで――」  声を遮るように、二つ隣のドアが開く。  そこから麻里奈が出てきた。 「天馬、何してんの? 説明が終わったなら早く仕事に戻ってよね」 「まだ話は終わっていない」 「ふーん。これから新薬の第一に入るんだけど人手が欲しいんだよ。話が終わったら来てくれない?」 「俺は行かない。他のチームの奴に頼んでくれ」 「相変わらずツレない男だね」  麻里奈は白衣のポケットから、液体の入った試薬ビンを取り出した。それを天馬に渡し、「じゃ」と右手を挙げる。彼女が廊下の先を曲がって見えなくなると、天馬に声を掛けた。 「あの……彼女が言っていた〝新薬の第一〟って何のことですか?」 「あいつが作った新しい薬を試す、第一段階の実験のことだ。これはサンプルだろう」 「あの人は――ここでは何の研究をしているんですか?」 「それについては、まだお前に話す段階ではない」 「……そうですか」 「立ち話では何だ。戻るぞ」  最初の研究室へ戻ってくると、天馬に促され、中央のテーブル周りに並んでいる椅子に座った。彼は私から少し離れた場所に立ち、麻里奈から受け取った試薬ビンの中身――青色がかった液体をじっと見つめている。 「改めて、質問があるなら聞こう。答えられる範囲で答えてやる」 「あなたたちはどうやって、私をここに連れてきたんですか?」 「お前は自分で歩いて、この研究所に来たんだ」 「そんな……と言っても記憶がないから何とも」 「記憶が一時的に途切れたのは、この研究所で作られた薬を吸い込んだせいだ。現状では理想的な仕上がりと言えず、改良を重ねている」  その薬品は脳に影響を及ぼすものだが、ほとんどの人間には効果がないそうだ。私は不運にも、その薬が効いてしまったということになる。 「具体的にどのような薬なんですか?」 「薬の影響を受けた脳にだけ作用する、一種の電磁波のようなものを発信する。すると薬が効いた人間は、夢遊病のように無意識の中で発信源にやってくるんだ」  そんな薬を作ることができるなんて信じられなかった。天馬や麻里奈が天才的頭脳の持ち主であることは間違いない。研究所内の設備も最新のものが揃っているのだろう。 「その薬を使って、研究に役立ちそうな人材を集めているんですか?」  天馬は「違う」とだけ答えた。  どうにも意図が掴めない。  そんな薬を使って一体何をしようとしているのか……。 「私はこれから何の研究をするんですか?」 「当面は俺や麻里奈の手伝いだ。その先のことは追々説明する」 「麻里奈さん、私のことを嫌がっているみたいですが。大丈夫でしょうか」 「あいつは基本的に、誰に対してもあんな感じだから気にするな」  天馬は部屋の隅にある戸棚からカップを二つ取り出し、インスタントコーヒーを淹れる準備を始めた。「砂糖とミルクは?」と訊いてくる。私の分まで用意してくれるのだろうか。 「コーヒーなんて淹れて大丈夫ですか?」 「どういう意味だ」 「私の立場でコーヒーなんていただいたら、麻里奈さんが怒るんじゃ……」 「あいつが威圧的なのは〝素〟だ。ここへ来たばかりのお前相手じゃ、ますますその傾向は強いだろう。麻里奈のことは〝口の悪い研究ロボット〟とでも思っておけ。鬱陶しいからいちいち怯えるな」  そう語る口調は無愛想だが、不思議と〝誘拐犯と接している〟という恐怖は感じられなかった。
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