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ホットコーヒーの入ったカップを手渡される。喉は渇いているが……何となく口を付ける気持ちになれず、ぼんやりと中身を見つめた。
「毒なんか入れちゃいない」
私の考えを見透かすかのように言った天馬は、テーブルにもたれながらコーヒーに息を吹き掛けた。その様子を眺めつつ「他の研究員の方々はどちらに?」と質問を投げ掛ける。
「このフロアにいるのは俺と麻里奈、お前だけだ。他の階には別のチームがそれぞれ配置されている。やっていることは各チームで異なるが、俺たちは俺たちに与えられた仕事をするだけだ。上からの命に従ってさえいればいい」
詳しいことは分からないが、天馬に敵意はなさそうだ。ひとまず彼の言うとおりにしておけば、身の安全は確保される……はず。
「今日は部屋で休んで、明日から働いてもらう。脳に直接的な影響を及ぼすタイプの薬を吸い込んだんだ、しっかり睡眠をとらないと身体に悪い」
「……お気遣いありがとうございます」
「勘違いするな。働くには健康でいてもらわないといけない。ただそれだけのことだ」
彼はコーヒーを一口啜り、カップをテーブルに置いた。白衣のポケットへ手を突っ込み、先ほど使っていたカードキーを取り出す。
「それを飲んだら、さっき案内した部屋で休め。一人で廊下を歩くのは構わないが、エレベーターには近付くなよ」
カードを受け取ると、コーヒーを口にした。甘いコーヒーが身体の中に染み込んでいく。一度口にすると思い出したように身体が水分を欲して、あっという間に飲み干してしまった。
お礼を述べ、飲み終わったカップを天馬に渡す。軽く見上げるほどの長身だ。近距離で目を合わせるのに抵抗を感じ、すぐに視線を落とした。
「……それじゃあ部屋に行きます」
「あぁ。何か訊きたいことができたら来い」
廊下へ出て先ほど案内された部屋の前に来ると、カードキーを挿入した。部屋に入り、内側からロックを掛ける。まずは部屋の中を調べよう。
バッグの中身……社員証が外に出されていたものの、他のものは全て中に入っていた。スマホも残っており、壊されている様子はない。しかし圏外になっていた。建物内に電波が入らないようになっているのか、研究所が地下にあるのか……。部屋に窓はなく、壁もしっかりしていて厚そうだ。
テーブルの上にはティッシュ、日付表示付きのデジタル時計が置いてある。十月五日――私が会社を出た翌日。と言っても時計に細工されている可能性もあるため、この日付はあてにならないだろう。今日を〝1〟として、何日経過したかの目安にすることはできそうだ。
チェストの中にはタオルなどの生活用品、小さな冷蔵庫の中には缶コーヒーとお茶が入っていた。食べ物やキッチンはない。トイレとシャワールームはある。それに小型洗濯機も。
部屋の中を隅から隅まで丹念に調べてみたものの、監視されている様子はなく、特に怪しいところも見当たらなかった。
一旦現状を整理しよう。
ここはとある組織の研究所で、組織の目的は不明。私は薬の効果によって暗示のようなものにかかり、自らここへやってきた。そこで天馬・麻里奈という研究員に出会う。今後は研究員として働かされることになった――こんなところか。逃げようとして見付かったらタダでは済まないだろう。彼らに従いながら脱出方法を考えるしかない。
することがなくなりベッドに倒れ込む。横になると急激に眠気が襲ってきた。これまでの疲れと緊張感が、身体を休めた方が良いと警告してくれているのかもしれない。とにかくひと眠りしよう――。
+ + +
「――ちょっと、聞こえてんの!?」
怒鳴り声とドアを叩く音で目が覚めた。急いでベッドから降り、ドアのロックを解除する。廊下に麻里奈が立っていた。こめかみには薄っすらと青筋が浮かんでいる。咄嗟に「すみません」と頭を下げた。
「あんたの服を持ってきてやったよ、ほら」
雑にたたまれている服を押し付けられる。白いシャツに黒いズボン、白衣の三点セットだ。
「明日からはそれを着て仕事すんの。足手まといになんないでよね」
「あの……あなたは何の仕事をしているんですか?」
「天馬に聞いたんじゃないの?」
「何かの薬を作っているということしか聞いていないのですが……」
「あたしは自分の興味ある研究をしてるだけ。上からの命令には従うけど、研究自体は全部あたしの趣味みたいなモンなの」
「〝上〟って組織の偉い人ですよね? あなたの趣味って一体……」
「何であたしがそんなことまで教えてあげなきゃいけないわけ?」
天馬は私を怯えさせないため気遣ってくれているようだった。しかし麻里奈は違う。私を見る目に嫌悪がこもっているのは明らかだ。
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