【episode1】

8/11
前へ
/57ページ
次へ
+ + +  目が覚めたのは午前七時過ぎだった。  ぐるりと部屋の中を眺め、監禁されていることはやはり現実なのだと痛感させられる。溜め息をつきかけたところで突如、インターフォンが鳴り響いた。ビクッと肩を振るわせつつ、急いでドアを開けに行く。廊下には白衣姿の天馬が立っていた。 「これから仕事だ。準備ができたら昨日の研究室まで来い」 「分かりました。そういえば……ここってインターフォンが付いていますが、モニターはないんですね」 「ここは研究員以外出入りしない場所だ、必要ない」  無愛想に答えた彼が去っていく。  私も室内へ戻って着替え、長い髪を一つに束ねた。  研究室へ行くと、天馬はバインダー傍らに顕微鏡を覗いていた。その脇には、多数のプレパラートが規則正しく並んだ箱。一方麻里奈は、部屋の隅にある作業台で試験管の群れと対峙している。  天馬に声を掛けると、彼は顕微鏡から目を離した。 「来たか。早速だが仕事に取り掛かってもらう」  彼は立ち上がり、自分が座っていた椅子に私を座らせた。最初の仕事は彼が行っていた作業の続きらしい。説明を終えた天馬は部屋を出ていき、麻里奈と二人きりになった。彼女と二人きりの状態は不安だが、仕事に集中しなければ。サボっていると勘違いされたら何をされるか分からない。  与えられた作業は、薬品や化学などの知識がなくても対応できるものだった。集中して進めていき、二時間弱で終了。このあとのことは麻里奈に訊いた方がいいのだろうか。そんなことを思っていると、彼女が研究室を出ていこうとした。慌てて呼び止める。 「天馬さんに与えられた仕事、終わったのですが。次は何をすればいいですか?」  彼女はドアの前で振り返り、「あたしは知らない」と言い残し出ていった。……置き去りにされて、一体どうすればいいのか。  麻里奈が作業していた台へ歩み寄る。試験管は全て彼女が持っていってしまったが、一冊のA四ファイルが残されていた。激しい心音を煩わしく思いながらファイルをめくる。《細胞を壊死させる薬品:バシクル バージョン8(完全版)》という見出しがあった。 ―――― 【使用例(足首へ投与した場合)】  膝付近まで麻痺し歩行不能となる。  三~五時間程度継続。  手を使って移動しようとした場合など、その場から動くと振動が伝播し、当該箇所周辺の皮下組織-表皮細胞が壊死する。感染症のおそれがあるため、剥がれ落ちた皮膚・血液に直接触れないこと。  バージョン8ではバシクルが作用するまでの時間の短縮化に成功。同時間内に壊死する範囲の拡大も確認された。このバージョンをもって本薬品を完全版とし、研究を終了する。 ――――  細胞を壊死させる……何のためにこんな劇薬を作っているのだろう。たとえば重罪人への刑罰、自白強要のための脅迫材料……いや、現行の法律で許されるはずがない。私が任された作業はこの薬品と無関係だったが、このままだといずれ――。 「何をしている」 「――!」  振り返ると天馬が立っていた。  咄嗟にファイルを閉じたが手遅れだ。  読むのに夢中でドアの開く音が耳に入らなかった。 「貸せ」  腕が伸びてくる。  反射的に身体を強張らせ、ギュッと目を閉じていた。殴られるかもしれない――そう思ったからだ。 「……どうにも扱いづらいな。だから反対したんだ」  溜め息混じりで呟く声が聞こえる。  瞼を持ち上げると、彼は改めて私からファイルを取った。 「研究員は皆〝望んで〟ここにいる。誰かを脅して組織に入れたところで、どうせまともな成果など出せない。俺に世話を押し付けたのも悪趣味な嫌がらせだろう。馬鹿馬鹿しい」  天馬はクシャッと頭を掻いた。勝手にファイルを見たことに対する怒りではなく、私を監禁して働かせると決めた組織に対して苛立っているようだ。 「お前にこんな愚痴をこぼしたところで無意味だったな。忘れてくれ」 「あ、あの――」 「今後、許可なく部屋の中のものを触るなよ?」 「……はい。すみませんでした」  天馬はファイルを戸棚にしまうと、私が作業していたテーブルでデータをチェックした。 「次はこれを報告書としてまとめてもらう。パソコンに報告書のテンプレートファイルとサンプルを出しておくから、それを見て作れ」  説明しながらパソコンスペースに向かう天馬。私もそれに続いた。
/57ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加