いつか私もこの世を去るから

1/36
前へ
/36ページ
次へ
いつも同じ夢を見る。 いつからだろう? 見た事のある夢を繰り返し見ている。 気のせいかと思っていたが、やっぱり同じだ。 現実と夢の狭間、心地良いまどろみの中、 私は夢へと落ちていく。 そして途中で気づくのだ。 またこの夢だ、、、。  雨がしとしと降っている。 私は傘もささずに1人歩いていく。 霧のような(もや)がかかり、辺りは真っ白だ。 現実では一度も行った事のない場所。 けれど、私はこの場所を知っている気がする。 いつも夢に出てくるこの神社。 鮮やかな朱色の鳥居に大きなしめ縄、横にはオオカミのような狛犬。 鳥居をくぐろうとしたその瞬間、、、 前から大きな白い物が飛び出してくる。  怪物の様な、おばけの様な、得体の知らない物にびっくりして怖くなり、逃げ出すと追いかけられ、私は何故か下へ下へ落ちていく。 いつもそこで目が覚める。 また、同じ神社、同じ夢だ。 私は汗をびっしょりかいている事に気づく。 一体あれは何処なんだろう、、、。    中学二年の七月。 母が死んだ。 急だった。癌が発覚してからまさかの三ヶ月。 あまりの展開の速さに、私は感情が全然追いついていかなかった。 母は元々病気とは無縁のような人で、風邪も引いた事もなかったし、仕事も塗装屋で、体育会系の仕事をしていた。  私の父は、私が小さい頃に事故で亡くなっていて、私と母は二人で東京で生きてきた。 母はいつも明るく、小さな事でも大口を開けて楽しそうに笑う人だった。 『笑う門には福来たる』 そう言って、大袈裟に笑う事で福を呼び寄せているような人だった。 だから、母と二人でも私は全然寂しいと思った事がなかった。 いつも2人で笑っては、母の得意なご飯を食べて、私は何不自由なく成長していった。  しかし、母が病気になりその生活が一変した。 母は直ぐにご飯が食べらなくなり、吐く様になった。 身体もどんどん痩せていき、顔も浅黒くなっていった。 それでも、母は私に向けて笑顔を絶やさなかった。  しかし、笑っていられる程、状況は良くない事を私は感じていた。 もし、母が死んでしまったら。 そんな事考えるのも嫌だったが、状況的に考えざるえなかった、、、。    今まで、二人きりで生きてきたのだ。 母がいなくなったら、私はどうやって生きていけばいいの? 言いようのない不安が心の中を渦巻く。   母は今まで親戚付き合いを、殆どしていなかった。  父方の親戚とは、何回か会った事があるが、母方の親戚とは会った記憶がなかった。 自分は施設のような所に入れられてしまうのだろうか、、、。 そう思うと、気分は重く、母の死はまるで、自分の人生の終わりの様な気がしていた。 受け入れがたい。 私は現実から目を逸らし、なるべく家に帰らない様になった。  母の姿を見てしまうと嫌でも"死"実感してしまうから、逃げたのだ。 なるべく友達と過ごし、母が病気の事を忘れたかった。 残り少ない母との時間だと頭ではわかっていたが、認めたくなかった。  母は私との時間の為に、最後まで在宅で治療する事を選んだのに、殆ど1人にさせてしまった。  そして、ある日学校に連絡がきた。 母が、もう危ないから帰るようにと。 私は、家まで夢中で走った。 走りながら、まるで自分の足が自分の足でない様な不思議な感覚になった。 そして、自然と涙が溢れて止まらなかった。   頭の中で繰り返し思い出されるのは、全て特別な思い出ではなく、日常の一コマのようなありきたりな場面だった。 『お帰り。』 とご飯を作りながら私に向かって微笑む母や、 朝早くから仕事に行く為に、私を起こさない様に静かに仕事の準備をする母の姿。 毎日、毎日繰り返されていた当たり前の事が、もう二度と繰り返される事はないのだと気づき、私は寂しくて寂しくて仕方なかった。 家に戻ると、先生や看護師、父方の親戚の叔母がきていた。 私は直ぐに母に駆け寄る。 母はもう目を開けているのもしんどそうだった。 「お母さん!お母さん!」 私が泣きながら叫ぶと母が 「大丈夫だから、安心して。笑ってね。」 その言葉が最後の言葉だった。 母は私の手の届かない、遠くへ行ってしまった。 七月、蝉が一斉に鳴き始めた。  
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加