いつか私もこの世を去るから

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 むせかえるような暑さだ。 蝉の声が東京より大きい、遠くまで山が連なり、民家はほとんどなく、畑と田んぼばかりだ。 まるで日本昔ばなしの世界だ。 新幹線から在来線に乗り換えて1時間。 どんどん町から遠ざかり、不安すら覚えてくる。 ここが一体何処なのか、あと何駅乗っていれば目的の駅に着くのかもよくわからなかった。 「神坂村〜神坂村〜」  神坂村(かみさかむら)この駅で降りるように言われていた。 電車を降りると、蒸し暑い空気が身体中にまとわりつく。 私の知っている駅とはまるで違い、人が1人もいない。むしろ駅員すらいない。  自動改札もなく、不安になりながらもそのまま改札を出る。 改札を出ると、3人がけのベンチがあった。 そこに小さい腰の曲がったおばあさんが1人座っていた。  私にすぐに気付くと、椅子からすっと立ち上がり私の方へ近付いてくる。 見た目からすると、もっとヨボヨボな感じで歩いてくるのかと思ったが、思ったよりスタスタと軽い足取りで私の前までくる。  「上村(かみむら) (いと)です。 よろしくお願いします。」 私がそのおばあさんに頭を下げる。  「遠いとこさよく来たな。疲れたろ? 家まで歩いてすぐだから、ついてこい。」 と言ってまた軽快な足取りで歩きだす。 私も慌てて、早足でおばあさんについて行く。  このおばあさんは、鵜飼(うかい) 国子(くにこ)さんといって、私の母の祖母。私にとってひいおばあさんに当たる人だ。 私の祖母、つまり母のお母さんは母が小学生の頃に亡くなり、その後母はこの国子さんに育てられたらしい。  母が東京に上京してすぐに祖父も亡くなり、元々国子さんはご主人を若い頃になくしているので、それからずっと1人でここで生活していた様だ。 私は今までここへ来た事は一度もないし、もちろんこの、国子さんにも会った事もない。 母からひいおばあさんの話しも聞いた事はなかった。  だから、母のお葬式が終わったあの日、父方の親戚からこの話しを聞いた時は驚いた。 「糸ちゃんのひいおばあちゃんが、糸ちゃんを引き取りたいって申し出があったんだけどどうする?」  突然言われても、私にひいおばあさんがいた事も知らなかったし。母に田舎がある事も知らなかった。 一番お世話になっていた、父方の叔母はまだ小さい赤ちゃん含め、子供が三人もいて私引き取るのは無理そうだった。  けれど、施設に行くのはどうしても嫌だった私は、ひいおばあさんのいる、東京から新幹線と在来線で3時間半のこの田舎に引っ越す事を決めたのだ。  母が亡くなってからはバタバタだった。 お葬式などは父方の親戚が全て取り仕切ってくれたが、私はこの神坂村に引っ越す為にすぐに引越し準備と、転校の準備もしなくてはいけなくなった。 生まれた時から東京で過ごしてきた私にとって、誰も知らない田舎へ行く事はとてもハードルが高かった。  仲の良い友達や、先生との別れ、母とも別れ、 一気に私の前から誰もいなくなる感覚がした。 とても辛い現実だが、受け入れるしかなかった。 母が死んでから、私は自分の心の一部がなくなった様な気がして、なげやりな気持ちになっていた。  何もない時でも涙が自然に流れてきて、ただ母に会いたいと思った。 まわりの人達はみんな優しく声をかけてくれたが、私の気持ちなど誰にもわかるはずなどないと、心の底で思っていた。  今日から、このひいおばあさんと二人きりだ。 私はひいおばあさんの後ろ姿を見ながら、1人でそう思う。 これからどんな生活がここで待っているのか、全く希望が持てなかった。  ひいおばあさんは、家は駅から近いと言っていたが、歩いても歩いても中々辿りつかない。 坂を登り、ポツポツとある少ない民家の通りを歩いていく。 私は、東京から長旅だったという事もあり、だいぶ疲れていた。  でも、ひいおばあさんは、そんな私を気にせずぐんぐん歩いていく。 私は額に汗を滲ませながら、その後を必死についていく。 草の匂いと土の匂いが風にのって舞っている。 周りを山に囲まれた、本当に小さな小さな集落だ。  20分程歩いて、民家の集まる場所から少し山を登った所に、ひいおばあさんの家はあった。 私と母が住んでいたアパートの何倍あるだろうか? 大きな古い平家の建物だ。 家に着くと、ひいおばあさんは私に言った。 「今日からここが、糸の家だよ。 荷物は昨日全部届いてるから、糸の部屋に入れておいたよ。長旅で疲れたろ? ちょっと休め。」  そう言って私を部屋まで案内してくれる。 外は蒸し暑いのに、家に入った途端にひんやりと涼しくなる。 大きな土間の玄関を上ると、左に向かって縁側の長い廊下があった。 私の部屋は玄関から入って1番奥の山側の部屋だった。  私はその長い縁側を歩いていく。歩く度に床が軋む音がする。 古いが綺麗に磨き上げてある、縁側だった。 この家は、部屋と言っても、襖で仕切られているだけの、全て畳敷の部屋だ。  私の部屋には前の家で使っていた、机とタンス、そしてベッドが運びこまれていた。 私は荷物を置いてベッドに横になる。 畳の匂いが鼻につく。  エアコンなんて物はなく、縁側は開けっぱなしだった。 外から気持ちの良い風が入ってくる。 その度に風鈴が綺麗な音を奏でる。 疲れた。  やっと緊張から身体が解放された気分だった。 携帯にメッセージが来てる事に気づく。 幼馴染の東京の友達からだった。 「糸、もうついた?そっちはどんな感じ? 今日は原宿に買い物にきたよ!」 メッセージと共に、友達3人と人気のカフェでお茶をしてる写真まで届いた。  私はそれを見て、遠い外国の様に感じた。 電車ですぐに行く事のできた可愛いカフェも、お店も、仲のいい友達とも、もう簡単に会う事など出来ないのだ。 返事をする気も起きず、私は瞼を閉じる。 車の音も人が行き交う音も聞こえない。 聞こえるのは蝉の大きな鳴き声だけだ。 まるで異世界みたいだな。    気がつくと私は夢の中へ落ちていった……… 「またこの夢だ。」  何度同じ夢を見ているのか、しとしと雨が降っている。 私は霧の中を歩いていく。 目の前にまたあの神社の鳥居が現れた。 大きなしめ縄に、オオカミの様な怖い顔をした狛犬。   私はここで『鳥居を潜ったらダメだ』 と自分で気づく。  しかし、夢の中の自分はまったく気づいていない様で、そのまま鳥居の方へ歩いていく。 鳥居の中へ入ろうとしたその瞬間、中から巨大な白い物が飛び出してくる。   『だから行っちゃだめだと思っていたのに。』 わかっているのに、夢の中の私はいう事をきかない。 慌てて私は、逃げる。走って、走って、走って。夢の中なのに妙にリアルだ。  足にからみつく雑草までもリアルに感じる。 私はその巨大な幽霊の様な妖怪の様な物に捕まりそうになった時、目の端でその物体を確認すると、それは蛇の様な物だった。 『白い蛇?』  と思いながら、私はそのまま何故か真っ暗な巨大な穴に落ちていく。
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