1.盗人

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1.盗人

 目が覚めて、違和感に気づいた。視界は良好なのに、自分の意思で体は動かせず、声も出せない。そう、自分の意思では。 「……ど、どうして!?わ……わ……わたし……違う人になってる!!!」  それどころか、私の体は勝手に起き上がって、周りを何度も見回して、そして恐る恐る姿見の前に立って、叫んでいるではないか。 『どうしてって、それはこっちの台詞よ!』  そう怒鳴った(もちろん声は出ない)瞬間、私の体が飛び跳ねるように震えた。 「……だ、誰!?」  どうやら、私の言ってる事は聞こえるみたいだ。私は呆れながら答えた。 『誰って、この体の持ち主に決まってるでしょう?この盗人』 「え……そ……そんな事、言われても……」  そう言いながら盗人は、落ち着かない様子でオロオロと姿見の前を歩き回る。 『白々しい。ねえ、一体どうやって私の体を盗んだの?』 「ち、違います!わたし……そんな事しようとも思ってない!それにあなたの事だって全然知らない!こんな……こんな綺麗な人……生まれて一度も見た事……ない……」  そう言いながら盗人は、姿見で顔をまじまじと見つめる。その表情に嘘偽りは感じられない。それどころか、純粋無垢な村の娘にしか見えない。 『では、なぜこんな状況になっているの!?』 「わ、分かりません!……うう……ごめんなさい……」  そう言うと、盗人はへたり込んで泣き始めてしまった。胸が苦しく、目頭が熱い。これは嘘泣きなどではない。私は狼狽えてしまう。 『な、泣かないでちょうだい!もう、私が悪人みたいじゃない……何も証拠がないのに、きつい事を言ってしまったわ。ねえ……どうか落ち着いて?ねえ、あなたの事を聞かせてくれる?ほら、そこにハンカチがあるでしょう?それで涙を拭いて』 「……わ……分かりました……」  宥めるように優しく話しかけると、盗人はハンカチを取って鼻をかむ。そして、さっきまで寝ていたベッドに腰掛けると、まだ泣いた余韻の残る声で話し始めた。 「わ……わたし……何から話せば……いいですか?」 『そうね、まずは名前を教えてちょうだい』 「わたし……わたしは……ニルと言います」 『ニルね。私はエンフィーよ。ねえニル、あなたがさっき目覚めるまで、何か変わった事はあった?』  ニルが意図して私の体を奪ったのではないのなら、手がかりはこれまでの彼女の行動や遭遇した出来事にしかない。  でも、ニルの答えは、最悪の部類だった。彼女は両腕で私の体を抱きしめると、ガタガタと体を震わせ、言った。 「わ……わたし……殺されたんです……兄に……」 『殺された……?』 「はい……」  ニルは、より強く私の体を抱きしめ、続けた。 「何でそうなったかは……思い出せないんです。……でも兄が何かを持って……わたしに向かって振り下ろして……頭が……割れるように痛くて……目の前が……真っ赤に……」  私の体が恐ろしいほど震え、心臓が止まってしまったかのように冷えていく。冷たい頬に、熱い涙が流れる。 『もういいわ!』  ニルにこれ以上話させてはいけない。私は、彼女の話を強引に中断させる。  体を乗っ取られている事は許せないけれど、私は決して血も涙もない人間ではない。身内に殺された恐怖に震える少女に、これ以上不安を与えてはならない。 『大丈夫よニル、安心なさい。今のあなたはどこよりも安全な場所にいるわ。誰もあなたに危害を加える事はない。だから落ち着いて、深呼吸して……そう……上手よ』  そう、ここは王宮の中だ。ここより安全な場所はないと言えるくらいに厳重な警備。それに、見た目は私なのだ。ニルが体を乗っ取っているなど、誰にも分かるまい。ニルを害する者はいないのだ。  凍えるようだった体に、少しずつ血が巡っていくのを感じて、私は安堵する。死者を慰めるなど初めての事で、肝が座っていると言われる私でさえ、気が張る。 『ねえニル、少し横になりなさい。侍女が来るまで、まだ少し時間があるから』  時計を確認すると、身の回りの世話をする侍女が来るまではまだ1時間ほどある。落ち着き始めたとはいえ、いつ倒れてもおかしくないくらいに憔悴している。今日もやらなければならない事が色々とあるのだ、少しでも休ませないと後が辛くなるだけだ。 「……あの……出ていかなくて……いいんですか?」 『なあに?あなた、出ていけるの?』 「い、いいえ……」 『だと思った』  この世への未練が、私の体を乗っ取らせたのかもしれない。私は深くため息をつく。 「で、でも!いつまでも居座るつもりはありませんから!本当に……ごめんなさい……」 『わざとじゃないのならいいわ』  だが、いつまでもこのままではいられない。この少女に、私が課せられた使命を果たす事など絶対に無理だ。なるべく早く出て行ってもらわないと困る。 『とりあえず、今は何も考えず休みなさい。これからどうするかは、後で考えましょう』 「は……はい……分かりました……すみません……」  そう言ってニルは、遠慮がちに私の体をベッドの中へもぐり込ませる。そしてすぐに視界が闇に包まれ、呼吸が寝息に変わった。
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