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4. 手付金
「手付金は」
「……好きにしていいわ」
男の求めるものを理解している私は、形だけの許可を与える。どうせ私の許可など関係ないというのに。
男は私の目の前に立つ。いつの間にかその姿は、本来の姿に変わっていた。私の後頭部は、男の大きな手に掴まれ、強引に唇が奪われる。私はそれを、ただ黙って受け入れる。
この男のように表を歩けない存在は、報酬として麻薬を求めるという。痛みも恐怖も消せる、恐ろしくも魅惑的な薬。だがなぜかこの男は麻薬ではなく、こうして私の体を求める。私の体なんかよりもっといいものなどいくらでもあるだろうに。本当によく分からない男だ。
私は目の前の、考えている事も感情も全て読めない男を見つめる。研ぎ澄まされた刃物のような鋭い雰囲気。触れればきっと一生消える事がない傷を負わされる。私は、そんな男の頬にそっと手を伸ばす。
もし他の人間がこんな事をすれば、この男は確実にその命を奪うだろう。でも、私の手は、吸い込まれるように男の頬へ触れる。この男は、人の命を奪う事も躊躇わないくせに、なぜか私が体に傷を作る事を異様に嫌っている。
「本当に、不思議な男」
私の傷ひとつない白い手が、消えない傷でボロボロの黒い手で掴まれる。私の手首が口付けられ、指の隙間から覗く男の視線が、鋭く私を捕える。
「そんな男を気まぐれで拾ったお前の方が、よっぽど不思議だ」
「そうね。やめておけばよかったと後悔しているわ」
その瞬間、男の目に怒りが宿る。私の両手首が掴まれ、壁に押しつけられる。私は痛みに顔を顰めながら、男を睨みつける。
「離しなさい」
「断る」
そうして重ねられた唇は、手首を掴む強さとは逆の優しさで、私の頭は混乱する。女の心を惑わす手練手管だと分かっていても、心が揺れる。
「……嘘よ。後悔などしていないわ。お前以上の男など、一生かけても見つけられない。もしお前が死んだら、その時が私の運命の終わり」
「それならいい。だが、俺はお前より先に死ぬつもりはない」
「そう。なら、せいぜい苦しまないように殺して、腐る前に土の中へ埋めてちょうだい。お前の中の私は、永遠に美しいままでいてほしいもの」
「分かった」
そう答えた後の男の口付けは、さっきとは違う、激しいものだった。
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