7. 悪夢の中

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7. 悪夢の中

 高熱が見せる悪夢だ。そうに違いない。現実も最悪なのに、なぜ夢の中でまでこんな目に遭うのか。  どうにかしてこの悪夢から逃れたいのに、今の私にできる事は目を閉じる事しかできない。  その時、聞き慣れた声が、私を悪夢から救い出した。 「申し訳ございません殿下。お嬢様は酷い風邪で、今そのようなありがたく重大な申し出に対してのお返事ができるような状態ではありません。どうか、お嬢様が回復するまでお待ちいただけないでしょうか」  あのいつも不躾な態度の男と同一人物とは思えないくらいに、侍女の言葉は柔らかい。だが、権力者というのはいくら低姿勢で正論を伝えても、腹を立てる者は少なくない。だが、王子は違ったようだ。 「その通りだな、すまない」  すまないと言った王子に、私は目を丸くする。王族は、自分より地位の低い者に謝罪をしないはずだ。それなのにこの王子は、侍女に謝罪の言葉をかけた。  驚く私をよそに、王子は優しく私に微笑みかけ、私の汗ばむ頬をそっと撫で、言った。 「本当は今伝えるつもりはなかった。だが、君を目の前にしたらいてもたってもいられなくなって、思わず口にしてしまった。君が回復したら、しきたりに則って正式に申し込もう。だから、風邪が治るまでの間にゆっくり考えて欲しい」  そう言うと、王子はもう一度私の額に触れ、汗で張り付く前髪をよける。そして。 「ゆっくりお休み」  そう言って、私の額に軽く口付けしたではないか。驚く私に苦笑すると、王子は椅子から立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまった。 (なん……だったの……)  私は熱でふわふわとした思考のまま、無意識に、まだ口付けの感触が残っている額に手をやろうとした。だがその瞬間、その手を侍女……いや、男に掴まれた。 「やめろ。手が汚れる」  そう言うと男は、私の額や頬、そして唇を濡れた布で優しく拭う。汚れてなどいないのに、なぜそうするのかの意味が分からない。私はなぜか、男の行動が無性におかしくなって、ため息のように声にならない笑い声をあげた。 「笑うな。あいつを殺さなかっただけありがたいと思え」  一瞬、男が笑ったように見えた。幻覚だろうか。熱で思考がまとまらない。そうだ。きっとこれも、高熱が見せる夢なのだ。でも、今はもうあの王子はいない。悪夢は終わり、ただの夢なのだ。安堵する私に、男は布を水に浸しながら聞いた。 「求婚の理由に心当たりはあるか?」  私は首を横に振る。そんなの、私が聞きたいくらいだ。第一王子の婚約者を決めている最中に、あろう事か自分の結婚相手を決めようだなんて。もしかして私の思い過ごしや勘違いなだけで、本当の第二王子は、単なる馬鹿な男なのかもしれない。  王子であるにも関わらず、命を救った女に一目惚れして求婚をするような、救いようのない馬鹿。 「第二王子の事もそれとなく探っておこう。お前は気にせず、風邪を治すことに専念しろ」  そう言うと男は私の体を起こし、寝衣を脱がせ、汗をかいている私の肌を拭いていく。熱のせいなのか、肌がいつもより敏感でひりひりする。でも、よく冷えた水で濡らされた布が、熱い肌に心地いい。  そして新しい寝衣を着せられ、再び寝かされた私は、どうにかして感謝を伝えたくて、男の服の裾に手を伸ばす。それに気づいた男が、どうしたのかと私の顔を覗き込んでくる。  私は、声にならない声で、ありがとうと感謝の言葉を口にする。どうせこれは夢なのだから、思うままに振る舞ったっていいのだ。  男は、信じられないものでも見るような目で私を見て、それから、小さくため息をついて言った。 「ゆっくり休め」  男の表情に、再び、ほんの少しだけ笑顔が見えたような気がした。それを見て私は、これはやっぱり夢なのねと思いながら、眠りの闇に落ちた。
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