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第一話
「ねえ、聞いてよ」
「どうしたんだブリジット」
「またいいことをしちゃったわ。ひとりの女性の未来を救ったの」
「それはいい働きをしたな」
「でしょう?」
「それで?」
「それでね。こんなにもらっちゃったわ」
彼女の手には報酬の金貨が齎されていた。
「よくやったブリジット」
獣の尻尾がふわりと脚に絡みつく。
「えへへへへへ」
ブリジットはこうして褒められることがすきだった。
故郷は遠い遠い僻地にある。
ここは南東に進んだ街。
どうしてブリジットはここにいるのか。
ブリジットと一匹は旅をしていた。
ふわりと風を纏った中で視界が数段階低くなっていた。
「きょうもよくやったわ」
とたんに言葉が拙くなる。
「それ、長く持つようにしねえとな」粗暴な言葉で獣が答える。
ブリジットは着ていたドレスを胸元で受け止める。
「じゃあまたあしたね」
「おう」
鏡の中へと吸い込まれた獣を見送って鏡に映る自身の姿にブリジットはため息を吐いて同じようにブリジットも鏡の中へ足を踏み入れた。
縮んでいた背丈は戻り「ララ様」声をかけられる。
「またですか」呆れた表情の彼女が吐いたため息を受け流し「カーラ、お願いしてもいい?」化粧台の椅子に座り流れるように髪を解きほぐしていくのをぼうっと見送って「私はララ様のことが心配にございます」ララは目を逸らした。
ブリジットという名前は向こうでの名前だった。
「あまり無理をなさるようでしたら」
「大丈夫って言ったでしょ」
ララ・グレイシー。
それが私の名前だった。
名前というよりもどちらかといえば与えられた役職に近いかもしれない。
王女としてララ・グレイシーの名を受け継いだからだ。
私の本当の名前はブリジット。
もう誰にも呼ばれない名前だった。
ただひとりを除いては。
緩んだ口元を引き締めていると意識の端で扉が開く音と「やあ、ララ」男の声を捉えて瞼を上げる。
カーラが脇によけ男のそばに入れるだけの隙間をつくる。
鏡に映るのは茶色の頭髪に青空と雲を混ぜたような色合いの瞳と視線が合う。
「ララ、僕の可愛い子」
「…………」
「ほんとうにほんとうにほんとうに行っちゃうのかい?」
「…………」
「パパはもっとララと一緒にいたいよ」
「…………」
「ね、だから」
大柄な体が椅子の周りに張り付いて鬱陶しいとため息を漏らす隙間で「だから、なんです?」音もなく発せられた低い声に驚くお父様。
「……ウ、ウィルフレッド」
「だからあなたが仕事をしなくてもいいとでも?」
鏡の奥には生真面目そうに金色の髪を固めた男の人が眉根を寄せて言葉を投げかけた。
「ち、ちがうんだ。私はただ娘が心配で。だから」
「バージル様、ララ様は十六歳ですよ。もう独り立ちをしてもいい歳頃です」
「だってだってだって、聖女だよ? もう会えないかもしれないんだよ。そんなの嫌だあああぁぁ」
蔑む視線を向けるウィルフレッドは聞く気はないとばかりに視線を背けたことから「ララもそうだろう?」私へと応えを求める。
「いえ、まったく」
「……ラ、ララ? パパと会えなくなるんだぞ? そ、それでもララは、へ、へい、平気なのか?」
「はい」
呆れたようにため息を吐いたウィルフレッドが「これは決定事項なのです。諦めください。迷惑です。私が」絶句して固まったお父様の首根っこを掴むと「ではララ様、カーラ。私たちは失礼致します」靴底が引き摺られる音と「ララああああぁぁパパは反対だからなあああぁぁ」お父様の情けない声が廊下の向こうから響いていた。
それは見慣れた朝の光景で、カーラも慣れた様子で鏡の中へと姿を現し髪を結い上げていくのでララも澄ました顔で身を整えられることにした。
カーラに整えてもらうのは今日が最後の日だった。
「ララ様、いよいよにございますね」
はやくに母が亡くなりララにとっては彼女が模範となる女性で母と等しい存在だった。
「ほんとうにこれでいいのかしら」
「……ララ様?」
ぽつりと放った言葉にカーラが名前を呼ぶ。
この結婚の意味を理解していたものの聖女としての役割よりも鏡の向こうでの生活が性に合っているような気がしていた。
聖女に選ばれたことで私の人生は決まったのだから望んだところで今更どうにかなる問題でもない。
「なんでもないわ」
ララ・グレイシーへと作り上げられた彼女を見つめて気持ちを切り替えてカーラに礼を述べると部屋を後にした。
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