13人が本棚に入れています
本棚に追加
〜1ヶ月後〜
ビロロン、ピロロン、ピロロン…
深夜の施設のスタッフルームに、静寂を引き裂くコールが小さく響く。
書類整理しながらうつらうつらと船を漕いでた先輩介護士が、スイッチが入った人形のようにむっくと身体を起こした。そして、ピカピカ光る部屋番号の位置を確かめて眉間にしわを寄せた。
「うわぁ、205と325が同時に鳴ってるよ。近藤さん、325の方行ってきて」
「あ、はい!了解です!」
梨々花は325号室に向う。最近腰椎を圧迫骨折して車椅子生活を余儀なくされている高齢女性だった。彼女は夜中に2度ほどトイレに行くのだが、軽い付き添いだけで認知症も患っていないから比較的軽めの仕事だ。
「お姉さん、すまないねぇ」
「いいんですよ、田中さん。これでお給料もらってるんですから。じゃんじゃん使ってやってくたさい」
205の方じゃなくて良かった。あっちは大柄な男性のおむつ交換、身体を左右に寝返らせる時にかなり力がいる。
最近心なしか膨らんできたお腹を、梨々花は無意識に撫でた。
(そろそろ限界かな。いつまでも夜勤勤務は出来ないよね)
介護士の資格を持っている梨々花は、この介護施設で働き始めた。
葛見の籍を抜けた手前、桜輔名義のマンションに居座るのもバツが悪く、住み込みで働ける仕事を探して、ようやくたどり着いた就職先だ。
面接を受けた最初の2社は、妊娠してるとわかると断られた。
後先無くなって、大きめのワンピースで誤魔化して妊娠を告げずになんとか就職した。格安の寮とはいかなかったが、母体である総合病院が契約してるマンションを良心的な家賃で住むことが出来ると言われ、夜勤勤務可能という条件にうなづくしかなかった。
(なんとか頼み込んで日勤だけに変えてもらおう。出産日ギリギリまて働いて、産んだらすぐに働き始めるからってことで許してもらわないと。住むとこなくなっちゃう)
啖呵を切って華乃家を出ていき、その日の夜はカピカピに枯れるかと思うほどに泣いた。
そして次の日の朝、決意した。
お腹の子を産んで育てよう。桜輔とも華乃家とも決別して、遠い街で一人で強く生きよう。
意気込んでスタートを切ったものの、最初から躓いてばっかりな気もする。
仕事はなんとか慣れてきたけど、何せ身重なわけだから100%の力で動けない。それに出産にはお金がかかる。病院に入院せずに、どうにか自宅で一人で出産できないか、と考えるが、やはりリスクは避けたい。
牡丹にはおろすと告げて出てきた手前、養育費も請求出来ない。それに出産することがバレたら、また子どもを寄こせと圧力をかけてくるに違いない。
こんな状態で産んで、果たしてこの子は幸せになれるのか。出産を諦めた方がいいのか。
「いやいや、弱気になるな!絶対産む。そして、この子と二人で幸せになってやるんだからっ」
1日に何度も自分に言い聞かせた。
そうしなきゃ、またたく間に押しつぶされてしまいそうな気がしていたのだ。
最初のコメントを投稿しよう!