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〈11〉砂田、外堀を埋める。
樋口雅。二十二歳。
夏樹とは同い年で、このエリアSでは二人は付き合っていると皆、知っている。
同世代は全員、都会に出て行き、夏樹と雅の二人だけがこのエリアに残った。
夏樹は病床の母、美和子を一人には出来ないという理由。
しかし、雅は違う。
母親は二人とも健在で夫婦揃って、いや雅も含め家族全員、エリアで働いている。
雅が都会に行けない理由は雅より五つ年上の姉にある。
雅の姉、麗良は雅に勝るとも劣らない美人で二人はこの地域で美人姉妹で有名だった。
将来はどう転んでも玉の輿と言われ、両親は果報者だと周囲は囃し立てた。
しかし、麗良には夢があった。
玉の輿ではなく、都会に出てアイドルになるという夢が。
そのことを言うと決まって父の庄造が都会はそんなに甘くないと言い、自分の経験を話した。
庄造も若い頃、役者になる夢を抱いて都会に出た。
しかし、夢を叶える者はほんの一握り。そうそう叶うものではない。庄造も夢叶わぬまま四十歳を迎えようとしていた。
とりあえず生活の安定を求めて就職しようとするも都会では正社員になれず、結局、アルバイトのまま先の見えない不安定な日々を送っていた。
庄造は、このままではいけないと思い、四十代初めに生活安定所の勧めで彼女と一緒にこのエリアSに移り住んだ。
この国営農場エリアで働けば、最低限、衣食住は保障される。
二人は安定した生活を手に入れ、このエリアSで結婚し、二人の娘を儲けた。
ごくごく平凡でもかけがえのない幸せを手に入れたのだ。
それゆえ庄造は自分の人生経験を踏まえて、先の見えない不安定な人間は幸せになれないという先入観を持つようになった。
その考えに拍車をかけたのが長女の麗良である。
麗良もまた若き日の父と同じようにアイドルになる夢を叶えるために東京に行き、それ以来、四年間、音信不通。
そんなこともあって庄造は二女の雅を都会には出したくない。
先の見えない人間、将来が約束されてない男とは付き合わせたくない、結婚させたくないという固定観念を抱いていた。
そんな庄造に雅もまた何度も都会に行こうと抗うも、結局、「俺はここに来て幸せになった。だから、お前もここに居ろ。お前を幸せに出来る結婚相手は俺が連れてくる」の一点張り。決して雅を手放そうとはしない。
雅は都会に行くことも許されなければ、結婚相手さえ自分で選ぶことも許されない。
庄造は自分のお眼鏡に叶う約束された未来を持つ男しか認めない。
もしそれら全て覆るには、音信不通の麗良がアイドルになってこのエリアSに凱旋して、庄造の前に現れ、庄造の先入観、固定観念を瓦解しない限り、雅はこの地を羽ばたくことは許されないのだ。
しかし、それは容易なことではない。まさに砂を掴むようなもの。
雅は半ば、諦めていた。
ゆえにこのエリアで同世代は夏樹しかいない。そんな二人はいつも一緒にいたので自ずと付き合うようになった。
しかし、それも今は昔。
夏樹は砂田にシカトされてエリアの人々までが砂田に迎合し、追従するようになると夏樹は完全に孤立した。雅との関係に変化が生じた。
庄造はもともと夏樹との付き合いを快く思っていなかったが同世代が夏樹しかいないことに目を瞑っていた。
しかし、今は違う。
このエリアで孤立する夏樹を良く思っていなかった。
庄造はこれを機に夏樹と雅の関係を清算させようと事あるごとに雅に夏樹と仲良くすることも、会うこともしないように言ってきた。
それは庄造の信念でもある先の見えない人間、将来が約束されてない男では雅は幸せになれないという固定観念が働くのか、エリアで孤立する夏樹を忌み嫌った。
別に夏樹は何一つ悪いことをしたわけでもないのだが……。
その夏樹と雅の変化を砂田は敏感に感じとっていた。その変化の後ろに庄造がいることも察知していた。
しかし、その原因の一端を担っているのが自分であるとは全く思っていなかった。
砂田は雅を長嶺と結婚させるには、雅を口説くのではなく、庄造を口説き落とせばいいと考えていた。それは案外容易なことと思っていた。そう思わせる根拠は学歴である。長嶺には国家上級試験合格者というエリート中のエリートしか手に入れることが出来ない学歴がある。庄造が拘っている将来が約束された武器を長嶺は持っている。そのことをそれとなく庄造に吹き込めばいい。
砂田は庄造に話しかける機会を伺っていた。
それはすぐ訪れた。
エリアで働く人々が帰宅し、夜も更け、砂田も帰宅するためエリアセンターの入り口でタイムカードを打刻しようとしたとき庄造とばったり会った。
「樋口さん、こんな時間まで残業ですか?」
「ええ、ちょっと段取りに手間取ってしまって。でも、その分、明日の仕事が楽になるので」
「ハウス栽培は結構忙しいんですか?」
「そんなことはないです。良くも悪くも変わりなく、です」
「でも、こんな時間までいるなんてさすがですね。娘さんもしっかりしてるし、娘さんは樋口さんに似たんですかね」
「さぁ、どうですか」
「お嬢さんは都会には行かないんですか?」砂田はあえて庄造が嫌がることを口にした。
庄造の表情が少し曇った。
「都会には行きません」
「あんなに美人なのに。都会に行けば間違いなくアイドルでもスターにでもなれますよ。周りがほっとくわけありませんから」
「そんなことないです。うちのぐらいの子は都会にはいくらでもいます」
「いやいや」
「実際そうです。私も若い頃、東京にいましたからよくわかります」
「そうですか」
「そうですよ。特にここは田舎だから若いだけで綺麗に見えてるだけです」
「でも、長嶺エリアマネージャーは娘さんを見て、あんな美人、見たことがないっていってましたよ」
「……」
「不躾なことを他人がとやかくいうものではないと思うのですが、お嬢さんの将来のことはもうお決まりですか?」
「将来とは?」庄造は訝しそうな目で砂田を見た。
砂田はそれを取り繕うように言った。
「いや、実は長嶺さんがお嬢さんのこと大変気に入ってましてね。そのことで強く頼まれてしまって」砂田は頭を掻いた。
「頼まれたって、何をです?」庄造はまだ警戒しいていた。
「ここだけの話ですよ。実は長嶺さんがお嬢さんのことが好きらしいです。長嶺さんも独身だし年齢的にいい年でしょ。それでここに来て、お嬢さんを見てどうやら一目惚れしたらしいんですよ」
「……」
「どうですか? お嬢さんのお婿さんに長嶺エリアマネージャーは?」
「どうおって言われても、急なお話なので」庄造は事情を知り警戒心が和らいだが、穏やかな口調ではぐらかすように答えた。
「そうですよね。こんなこと急に言われても困りますよね。私も事務所で仕事のことで長嶺さんと色々話していると、最後に決まってお嬢さんの話題になって、なんとか縁を取り持ってくれないかって強く言われるんですよ。長嶺さんもエリアマネージャーという立場上、自分からは中々いけないって。ほんと参っちゃいますよ」砂田は微笑んだ。
庄造は思わず苦笑した。
庄造の目には砂田が長嶺に泣きつかれて困っているお人よしのいい人にしか映っていない。
しかし、それが砂田の本質なのだ。砂田はエリアでわがままに振舞ってはいるが、自分とあまり関わりの少ない人には親切丁寧な態度を取る。
所謂、身内にはわがままを通したりプライド高く振舞うが、他人に対しては親切な態度を取るという外面なのだ。
それに気づいていない庄造はすっかり騙され、逆に砂田が少し気の毒ぐらいに思っていた。
「でも、これは別に長嶺さんに言われたからではなく、私から見ても長嶺さんはいいと思いますよ」
「何がです?」
「長嶺さんは、なにせあのエリート中のエリートしか受からない国家上級試験に合格した人ですからね。そんな人がたまたま今このエリアでマネージャーをしていますけど、これほど将来が嘱望されている人はいません。そうじゃありませんか?」
砂田は庄造に問うた。
しかし、庄造は無言のまま。いや、無言でいるのは考えたからである。
確かに砂田の言う通り、国家上級試験に合格した人と知り合うどころか出会うことさえ普通はない。国家上級試験の合格者のほとんどが地位と将来が約束された官僚になる。
将来への不安など微塵もない。そんな人がこの片田舎のエリアにいる。
しかも、その人が娘の雅に夢中になっている。結婚したがっている。こんな良縁はお見合いでもまず見つからないだろう。
砂田は、庄造が考えあぐねているように見えた。
「まぁ、そんなに深く考えなくても」
「……」庄造は砂田を見た。
「もし樋口さんが構わないというのなら長嶺さんにそう伝えておきますよ」
「私がいいといっても娘がなんていうか」
「そうですね。私たちがとやかく言うと逆にお嬢さんも嫌がるかもしれませんね。ここは一つ、黙って若い二人に成り行きを任せてみてはいかがですか?」
「……」庄造は沈黙した。
その沈黙は了承したと砂田は解釈した。
「いやぁ、でも、ここで国家上級試験の合格者と縁があるなんて、まさに天啓ですな。お嬢さんは持ってますよ」砂田は微笑んだ。
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