〈4〉シカトの始まり

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〈4〉シカトの始まり

砂田は初めからエリアSにいたわけではない。 砂田がエリアSに住み働くようになったのは一年前。 それまでは各地に点在するエリアと生産物の加工を委託している民間工場とを往来する長距離トラックのドライバーだった。このエリアSにもドライバーとしてよくやってきていたのでエリアSの人の中にも顔なじみの人もいた。 砂田は職業病なのか腰痛の持病もあり、そろそろトラックの運転手を辞めたいと思っていた。そこへエリアSでフォークリフトの扱える人物を探していることを知った。 フォークリフトの運転はさほど難しいものではない。 自動車は前輪操舵。ハンドルを回せば前輪が動き、向きが変わる。しかし、フォークリフトは後輪操舵。ハンドルを回すと後輪が動く。それにアクセルとバック。フォークリフトの特徴として名前の由来でもあるフォーク、即ち、つめが車体の前方についている。そのつめはハンドルの隣にある二つのレバーで簡単に操作できる。積み荷はパレットに乗せて、パレットの隙間にフォークリフトのつめを差し込み、パレットを持ち上げ、トラックに乗せたり、荷物を移動させたりする。 フォークリフトの免許を取るのに運転技能講習を受けて、五日ほどで取れてしまう。さほど難しいものではない。 そのフォークリフトでトラックへの積み下ろしをしていた人が、畑でキャベツの収穫中に熱中症で倒れてしまい、そのまま亡くなってしまったのだ。そこにトラックの運転手でフォークリフトの運転も出来る砂田が自分を売り込んだ。 砂田はすんなりエリアSに移り住み、働くことになった。 兼松は砂田に言った。 「国営農場は来る者拒まずですけど、道楽出来る場所ではありません。働けるのであればフォークリフトの運転以外にも畑仕事はありますよ」 「わかってます。農作業しながら腰を動かしたり、伸びが出来るだけ十分です」 砂田は腰に手をついて回して見せた。 砂田はフォークリフト担当になり、畑で農作業する傍ら、トラックが来ると、フォークリフトでトラックへの積み下ろしをすることになった。 砂田はこのエリアSでは長嶺が次期エリアマネージャーとして赴任してくるまでは一番、日が浅い新入りだった。新入りということもあって、人への気遣いがよく出来ていた。 いや、出来ていたというか、うまかった。 それは井原と長嶺の一件を見てもわかる。 砂田が意図してやっていることなのか、それとも性格的なものなのか、エリアSに居る人にもわからなかった。 いや、おそらく本人でさえ無自覚だったかもしれない。 気遣いや立ち回りのうまさ。人の懐に入るうまさは中々意図してできるものではない。性格的な面が大きいのかもしれない。それが性格なら他の人がその人のことを良い人と思っても何ら不思議はない。 それほど砂田は人と人の間にさりげなく入るのが上手い。 生来、人懐っこい性格なのかもしれない。それは夏樹も感じていた。 夏樹は砂田とは二十二歳とまさに年齢が二倍ほど離れていたが会話は妙に合っていた。 夏樹はテレビ番組のバラエティやスポーツが好きで、それらの番組を好んで見ていた。 このエリアも五十過ぎの人がほとんどで、スポーツは兎も角、若い芸能人が出るバラエティには関心のない人がほとんどだった。 そもそもそういう番組は五十代以上を対象に作られているものではないから致し方ないのかもしれない。 二十代は夏樹と雅の二人とジェネレーションギャップは否めない。 そんな中、砂田はテレビはおろか若い人のカルチャー全般好むということもあり、妙に相性が合った。 特に国営農場エリアSで働く人は五十代から上がほとんど、それは他のエリアでも同じ。それゆえに二十代の夏樹にとっても雅以外に普通に会話が合う人がいるというのは嬉しかった。同性ということもあって、雅とはまた違った形で会話が弾むのも楽しかった。 夏樹は砂田に好感を持っていた。 エリアSは今、兼松、井原がいた頃より、どこかのんびりするようになっていた。 それは井原の存在が大きいのかもしれない。 井原は事務仕事を終え、みんなと一緒に農作業をするとき、決まって「労働意欲なくして、生産性向上なし」と気合を入れ、仕事中に長い雑談をしている人を見つけると、「無駄口叩かず仕事に集中しよう」とか、「口動かさず、手を動かそう」と言い、職場を引き締め、若干の緊張感を持たせていた。若干の緊張感は怪我や事故の防止にも繋がる。そういうことも危惧して、みんなと接していた。 そういう態度は、ともすれば人に嫌われる。 しかし、そういう嫌われ役を井原は自ら買って出た。 そうすることによってエリアマネージャーである兼松の包容力がより際立つ。 見事なまでの緊張と緩和、飴と鞭を二人で生み出し人々を上手くまとめていた。 その鞭である井原が退職し、エリアSは新しいエリアマネージャーと事務官に変わった。 人々の気持ちがどことなく緩むのは致し方ないことかもしれない。 しかし、それはそれでいいのかもしれないと夏樹は思っていた。 雅もまたエリアSで働く人々の変化を感じていた。 「ほんと兼松さんと井原さんが居なくなって、なんか前よりだらけているような気がする」 「井原さんのように職場に緊張感をもって仕事に打ち込むのもいいが、農作業は単純作業。つまらない仕事を楽しくやるのも大切なんじゃない。少なくともみんな、楽しくは働いてる。長嶺マネージャーも楽しそうにやっている。砂田さんが事務官になってやりやすいのかもしれない。愚痴を聞くこともなくなったしね」  夏樹にそう言われて雅もあまり気には留めなかった。 夏樹はみんなが楽しく働ければ、前任者のやり方を踏襲する必要はないと思っていた。エリアSは前よりも、もっと気軽に楽しく働けるようになるかもしれないと思っていた。 しかし、エリアSが新体制になって三か月が過ぎた頃、夏樹は思わぬところから愚痴を聞くこととなった。 長嶺の強い意向で事務官になった砂田に対して愚痴をこぼす年配の女性が出てきた。 「井原さんは事務仕事を早々に片付けて、いつも手伝ってくれていたのに、砂田さんは一向に事務所から出てこない。事務官になってから農作業をほとんどしなくなった」 「そうそう。事務所から出てきたと思ったら、仕事中なのに事務所の傍のベンチで呑気に煙草吸ってたわよ。全く呆れちゃうわ」 「私見たのよ。ちょっと長嶺さんに用事があるから欠勤を伝えようと事務所に入ったら、砂田さん、パソコンで仕事しないで、なんか動画を見ていたのよ。ほんとビックリしちゃった!」 「そういえば、砂田さんって、みんなが仕事終わった後に知るニュースとか、たまに仕事中に言ってきたりするよね。あれ、どうして知ってるのか、疑問だったのよ」 「仕事中、仕事もしないでネット見てるからでしょ」 「事務所でネット見ているだけ?」 「でも、トラックが来たら事務所から出てきてフォークリフトで荷下ろや積み込みしてたわよ」 「それだけでしょ。そんなのすぐ終わるじゃない。それで事務官としてみんなより高い給料頂いてるの。おかしくない」 と、そんな愚痴を日を追うごとに耳にするようになった。 しかし、面と向かって砂田に言う人はいなかったので大事にはならなかった。 ただ砂田の事務所での仕事に懐疑的な人がいるのは間違いなかった。 そして、懐疑的な年配の女性が夏樹を捉まえて、そのことを相談してきた。 夏樹はその愚痴をあまり気にも留めていなかった。 「どうかなぁ。僕は実際に仕事中にネットを見ているところを見たわけじゃないからよくわからないけど。でも、井原さんは特別じゃないかな。井原さんは真面目で厳しい人だから。それに誰よりも滅茶苦茶、仕事も出来たし。その井原さんと比べるのはちょっと酷かもよ」 「でも、みんなが働いているのに遊んでるのは良くないでしょ」 「それはそうだけど、たまたまかもしれないし。そのことを砂田さんに言うのはちょっと気が引けるな。第一、現場を見てないから」 「でも、夏樹君は砂田さんと仲いいでしょ」 「仲いいっていうか、ちょっと話が合うだけだよ」 「でも、合うんだから、ちょっとは皆と同じように農作業するようにそれとなく言ってくれる?」 「ええ、僕がですか。それって長嶺マネージャーの仕事じゃないんですか。このエリアで働く人々を管理するのがエリアマネージャーの仕事なんですから」 「いや、そんなに大事にはしたくないのよ。それとなくでいいの。ほんと、それとなくで」 夏樹は困惑した。 すると、隣にいた女性が呼応するように言った。 「砂田さん、ほとんど一日中、事務所にいるから、ほんとに仕事をしていて事務所にいるのかどうか、それが知りたいのよ。それだけでいいから」 「いや、そりゃ仕事してると思いますよ。仕事してなかったらさすがに長嶺マネージャーが注意するでしょ。事務所は二人だけなんだから」夏樹は苦笑した。 「でも、対面で座ってるじゃない。砂田さんが仕事のふりしてネットを見ていてもわからないわよ」 「いやぁ、結構、疑ってるんですね」夏樹は苦笑した。 「そりゃ、疑うわよ。実際、私は見てしまったんだから」 「たまたまだったんじゃないんですか」 「それにしては、ねぇ」二人の年配の女性は顔を見合わせた。 「砂田さんだって、まだ事務官になったばかりですし、まだ仕事になれてないんじゃないんですか?」 「でもねぇ……」 「慣れてくれば、みんなと一緒に農作業しますよ。それまで、あまり愚痴を言うのを辞めてもう少し様子を見てはどうですか? 本人が耳にしたら気分を害しますよ。もしかしたら、ほんと、ただの誤解かもしれないし」 「そうかもしれないけど……」二人の年配の女性は顔を見合わせた。どことなくまだ納得できない様子でいる。 「僕も、もし砂田さんにそういうことが言えるタイミングがあったら、それとなく聞いてみます。だから、あんまり陰口を言うのはやめましょう」 「まぁ、夏樹君がそういうのなら……」二人の年配の女性は顔を見合わせて一先ず引き下がった。 夏樹はとりあえず砂田への愚痴を揉み消しておいた。 こういう噂は人々の和を乱す要因に繋がる。それはエリアにとっても、ここで働く人々にとってもいいことではない。それに噂と言うのはほんの小さなことに尾ひれがついて大袈裟になることは得てしてある。 エリアに移り住み働く人の中には待遇面や給料格差、生産性は問われないというも、それが形骸化していると政府へ不満を持つ人もいる。 もしかしたら井原の後、事務官になりたかった人もいるかもしれない。 そういう人の不満や僻みが砂田への不満と結びつくこともあるかもしれない。 〈尾ひれが長くなる前に消しておいた方がいい〉 それに夏樹は愚痴を言う人たちが言うように砂田が仕事中にさぼっている姿を見たわけではない。夏樹には砂田は年配なのに誰に対しても人懐っこい。みんなの間を取り持っているように見えた。そんな砂田がズルをするような人には思えなかった。 そして、その想いは砂田と話して益々強くなった。 「どうです? 事務所の仕事は? 慣れましたか?」 「まぁ、そんなたいしたことないよ。確かに初めは多少、戸惑うこともあったけどパソコンにエリアの進捗状況のデータ入力すればいいだけだし、あとは必要な備品やトラックの手配とか他のエリアとのやり取りがメインだから簡単と言えば簡単かな」 「そうですか、それは良かった。いや、なんか砂田さんがずっと事務所にいて、農作業を手伝ってくれないっていう人がいるから、結構、大変なのかなぁ~て」 「え、そんなこと言う人いるの?」 「いや、そんなにはいませんよ。ほんの一部の人が呟いてたんで。でも、僕が井原さんから受け継いだから大変なんじゃないかって言っておきましたから大丈夫ですよ」夏樹はさりげなくフォローした。 砂田は夏樹に調子を合わせ、取り繕うように言ってきた。 「そうだよ。わかってるね。ほんとは大変なんだよ。実はここだけの話、長嶺君がほんと仕えなくてね」 「そうなんですか?」 「ああ。井原さんが口酸っぱくなるのもよくわかるよ。ほんと手がかかるっていうか、ミスが多くて仕事を増やすんだよ。だからもう尻ぬぐい大変だよ。こっちも怒りたくなるけど、一応、エリアマネージャーだからそういうわけにはいかないだろ。だから、気を紛らわしながらなんとかやってるんだよ。そういう苦労、わからないでしょう」 「ええ、まぁ」 「ほんと察して欲しいよ。井原さんだって長嶺君のことで愚痴、よく言ってただろ」 「確かに。よく怒ってましたね」 「だろ。それを今、そっくり俺が引き継いじゃってるんだからほんと大変なんだよ。そういう苦労がわかってない人がうだうだ言ってるんだけでしょ」 「まぁ、確かに。そうかもしれません」 「ほんと、参っちゃうよ」砂田は苦笑した。 夏樹も井原から長嶺のことについてきつく言われたので妙に納得出来た。 「砂田さん。頑張ってください」 「わかってくれればいいけど」 夏樹は砂田から実情を聞かされ納得しこの話はそれで終わったかにみえた。 しかし、それは起こった。 長嶺がエリアで使う梱包資材の件で出張し、砂田が一人事務所にいるときのことだった。 夏樹はエリアで作っている作物の指示書を取りに事務所に行った。 そのとき夏樹は事務所に砂田しかいないことを知っていた。 夏樹は遊び心から静かに入って砂田を驚かせてやろうと思い、ドアをノックせず静かに事務所のドアを開けた。砂田はドアに背を向けて座っていた。夏樹が事務所に入ってきたことにも気づいていない。夏樹はそっと砂田の後ろに立った。すると砂田は長嶺がいないことをいいことに事務所内で煙草を吸いながらパソコンで動画を見てニヤニヤしていた。 事務所内にはたばこの煙が充満していた。 夏樹は驚かす気持ちが失せてしまい後ろから砂田を見下ろした。 夏樹は砂田の背後から暫く砂田の様子を見てから砂田に声をかけた。 「砂田さん」 砂田は驚き、振り返った。 「なんだよ! 驚かすなよ! 入って来る時はノックぐらいしろよ」 砂田は咄嗟に煙草を携帯吸い殻入れに入れて揉み消した。 明らかに砂田の挙動がおかしくなった。動揺しているのが見て取れる。 夏樹は諭すように言った。 「砂田さん、長嶺さんがいないからってさすがに禁煙の職場で煙草を吸うのはまずいんじゃないんですか? しかも、パソコンで動画を見ているのはちょっと良くないと思いますよ」 砂田は慌ててパソコンの動画の画面を消した。 砂田は夏樹を見ず前を向いて言った。 「息抜きだよ、息抜き。それぐらいいいだろ!」 「息抜きって。煙草の匂いが凄いじゃないですか」 「だから、息抜きだっていってるだろ!」そういって砂田は夏樹の方を振り向いた。 夏樹は無言のまま、寂しげな目で砂田を見続けた。 砂田の視線は落ち着きなくどこか泳いでいる。 夏樹はただ砂田を黙って見ていた。かける言葉が見つからなかったのだ。 砂田は夏樹に見つめられ、キレ気味に怒鳴った。 「なんだよ! なんか文句あるのかよ!」 「いや、ちょっと……」 「だから、なんだって言うんだよ!」 「前に砂田さんが事務所に居過ぎなんじゃないかって、他の人が言っていたことを思い出して」 「居過ぎって、こっちは仕事してんだよ!」 「でも、今は、」 「だから、息抜きだって言ってるだろ!」 「同じ事務官だった井原さんは積極的にみんなと農作業してましたよ。事務所に居る時間より、みんなと農作業している時間の方が長かった」 「井原は井原だよ! そんなの関係ねぇだろ!」 「でも、井原さんは」 「井原井原ってうるせぇんだよ! そんなに井原が好きなら井原と一緒に辞めれば良かっただろ!」 明らかに砂田は逆切れを起こしている。そんな砂田に夏樹はもう何も言えなかった。 いや、逆切れする相手に何を言っても意味がないと思い、ただただ黙っていた。 気まずい雰囲気の中、しばし沈黙が流れた。 それに耐えられず、砂田が食ってかかってきた。 「なんだよ! まだなんかあんのかよ!」 夏樹は何も言わず、それどころか砂田の本性を垣間見た気がした。 するとそこへトラックの往来を知らせるクラクションの音が聞こえてきた。 砂田は立ち上がりフォークリフトのキーを持った。 「おら、トラックが来た。これからフォーク使うからもういいだろ! 俺だって仕事してるんだよ! お前よりいろいろ大変なんだよ! たっく何もわからない奴がゴチャゴチャうるせえんだよ!」 砂田はわざと夏樹の体に肩をぶつけて事務所のドアを開けて外に出ていった。 夏樹はぶつけられたところに手を当て、その場に立ち尽くし半ば呆れた。 この時から砂田は夏樹をシカトし始めた。 あからさまに夏樹を避け始めた。 これがシカトの始まりだった。
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