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〈6〉例外という特権
砂田は長嶺を従わせた今、このエリアSを着々と自分の居心地のいい場所に変えて行った。そのやり口は実に巧妙。エリアで働く人々への金券や商品券のプレゼントが基本路線。人々もそういうものを貰うと砂田の身勝手な振る舞いに対して何も言えなくなる。それどころか中には砂田を良い人と思う人も出てきている。
しかし、そのプレゼントは国営農場やエリアで作られた出荷できない訳アリ品や高級品の作物の横流しで捻出しているということを人々は知らない……。
各過疎地に点在する国営農場エリアも働く人のほとんどが五十代、六十代以上が中心。年配者の中には「近頃の若い者は、」と若者を揶揄する人もいる。それはこのエリアSでも例外ではなかった。いや、砂田がこのエリアで徐々に台頭してきてからその傾向は色濃くなってきた。
砂田がシカトし続けている二十二歳、最年少の夏樹はエリアの問題児として扱われるようになっていた。夏樹は年下の癖に年上の言うことを聞かないとか、素直じゃないとか、夏樹の態度や振る舞いをなじる人が出てきた。
しかし、なじるのは砂田本人ではない。
砂田の舎弟の倉持が中心となってなじった。倉持は自分が夏樹をなじると砂田が喜ぶのを知っていた。その為、半ば率先して夏樹をなじり、それをあたかも諫めるように砂田が「そこまで言わなくても、」と夏樹に同情しているような態度をとる。そうすることで自分の人としての器の大きさ、情をもっているということをエリアの人々にアピール出来る。又、その茶番めいた一連の行動が砂田は特に好きだった。倉持が夏樹をなじり、砂田が倉持を諫める。これが夏樹いじめのパターンと化していた。それもあってエリアの人々は夏樹に対してもあまり自分から近づこうとはしなかった。
砂田はエリアでの自分の地位を高めることも忘れてはいない。エリアでの自分の地位を確立するためさらなる一手を打った。
それはある意味、脅しである。
それは決まって長嶺がいないところで人々に言っていた。
「これは内緒なんだけど、ここだけの話。生産性向上を図るために長嶺君が一人一人にノルマを設けようとしているんだよ」
国営農場は基本、弱者救済の受け皿。中には病を患いながら働く人もいる。そんな事情を抱えた人にとってノルマは余り聞き捨てならないものである。しかも砂田はノルマを言われると困る人や気弱そうな人をあえて選んでその話を切り出した。
「ノルマですか? うちらちゃんと働いてますよ」
「そうでしょう。みんな一生懸命働いているのに、その上、ノルマを課すなんて納得いかないでしょ」
「……」
「だから、みんなに代わって俺が長嶺にガツンと言っておくから。みんなが楽しく働けるようにがんばるから」
「お願いします」
「任せて」
そうやって、あたかもエリアで働く人々に恩を売ったかのように見せる。勿論、これらは全て砂田の嘘。ただの作り話で狂言に過ぎない。
しかし、なぜかノルマ回避のために砂田が動いているように聞こえる。それが砂田の狙いであり自分のエリアでの地位を高めていくことになった。
そのエリアでの地位とは例外である。
自分はエリアSで個人プレーをしても許されるという例外という特権である。
エリアSは兼松から長嶺に世代交代してからたった半年で、エリアSの人々は砂田に迎合し、追従するようになっていった。
それは長嶺も同じだった。
いや、エリアマネージャーの長嶺が服従したから周りもそれに従うようになっていったのかもしれない。しかも、その全ての始まりはただの大人げないシカト……。
しかし、夏樹だけは違っていた。砂田にシカトされ続けてもなお怯まない。決して騙されない。夏樹は砂田の仕事ぶりしか見ていない。労働に対する行動しか見ていない。それは前任者の事務官の井原さんの仕事ぶりと比較すれば一目瞭然。前任者の井原さんは事務官として事務所の仕事もこなす傍ら、ほとんどの時間をみんなと一緒になって農作業をしていた。
しかし、砂田は日がな一日、ほとんど事務所から出てこない。たまに出てきても事務所の傍のベンチに座って煙草をふかしてくつろいでいる。それも勤務時間中に。それを同じ事務所に一緒にいる長嶺エリアマネージャーが諫めることは決してしない。砂田はたまに気が向いたら農場に行き、舎弟の倉持のところで談笑しながら農作業を手伝うか、このエリアで人望のある人物のところに行き、談笑して仲間意識を高めるか。仕事がほとんど気まぐれ労働なのだ。それがどうしても夏樹は許せなかった。
〈みんなは働いて給料を得ているのに、砂田は働いているふりをして給料を得ている。いや、それどころか、働いていないにも関わらず、このエリアで一番大きな顔をしている。それを長嶺さんは一切注意しない。なぜ不正を許すのか。許すことが出来るのか……〉
夏樹には理解できなかった。
それを夏樹は自分に話しかけられると困ることはわかっていながら年配の男性に恭しく問うたことがある。
「東京にいる息子さんに父親は不正を働く者に付き従いながら働いているって言えますか?」と。
それは目を覚ますように即すつもりで言うも決まって「うるさい!」の一言で片づけられてしまう。
それと同じようなことを年配の女性に言うと、
「気にしない、気にしない。結局、だれが権力を握ろうと、所詮、私たちの生活は変わらないんだから、楽しく気楽に働ければそれでいいんじゃない。給料も薄給だし、なんも変わらないんだから」
「砂田さんは働いてませんよ」
「でも、長嶺さんは許してるんでしょ。それじゃ、私たちがとやかく言っても無駄じゃない。それに、正直、夏樹君みたいに砂田さんにシカトされたくないわ。しかも物凄く執拗じゃない。だからいいの。君子危うきに近寄らずっていうでしょ。それにあの人、案外いい人よ。たまに商品券とか色々くれるし。なんか知らないけど夏樹君も謝っちゃえば? その方が気楽でいいわよ」
夏樹は唖然として何も言えなかった。
〈商品券をくれる人は良い人なのか?〉
そう、ここで働く人々の大半が日和見なのだ。
夏樹は今のエリアSの全貌を見た気がした。そして思い出されるのは半年前。エリアSの労働意欲は明らかに低下している。井原さんが口酸っぱく言っていた意味がよくわかる。だからこそ、井原さんは事務仕事を早く済ませて、みんなと一緒に農作業にしていたんだ。
〈井原さんが危惧していたことはこのことだったんだ〉
夏樹は今、そのことに気づいた。
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