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「これ、ちょっと面白い話なんですけど ───」  彼女は唐突にホースを取って、花に水をやり始めた。  なぜか、水道水をかけられた花が、瑞々(みずみず)しく色を鮮やかにして伸びていった。  そして、僕の心臓は高鳴り始めた。 「壺の中に、岩を入れたらいっぱいになりました」 「でっかい岩ですね」  他に言うことがないので、適当に答えたのだが彼女は口元を艶やかに弾くように言葉をつないだ。 「小石なら、まだ入りました」 「なるほど、限界はまだ先なんですね」 「またいっぱいになったので、砂を入れます」 「なるほど、(あきら)めてはいけませんよね」  ホースを持ったまま両手を丸く壺の形に動かして、口を平らに()でるポーズで止まった。 「もしかして、最後は」  人差し指をピンッと伸ばしてこちらに向けながら、ウインクした顔に、前髪がかかる。  匂い立つような色気と、天使のような清らかさが同居した、奇跡の笑顔に心臓を射貫かれてしまった。 「ジャーッとね」 「植物も、うちのベランダにまだまだ植えられそうですね。  なかなかの営業力だと思いますよ」  ふっと笑いながら財布に手をやったが、火照(ほて)った顔から注意をそらそうとした照れ隠しだった。 「お客さん、毎度あり。  でもね ───」 「何か、裏がありそうですね」 「あなたにとっての『岩』は、壺に入っていますか。  もし、入っていなかったら、一度壺を空にして差し上げましょう」 「え ───」  彼女は、僕の心に深く踏み込んできたのだ。  なぜ、気づかなかったのだろう。  ギュッと下唇を噛みしめ、俯いた僕は、 「いえ、それは僕の役割です。  あなたの壺には、僕の岩を入れてください」 「あれ、ちょっと嫌らしいこと考えましたか」  ポッと頬をピンクにした彼女の顔は、恥ずかしさに少女のようなあどけなさを感じさせた。
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