一話 吸血鬼

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 久しぶりに外出した気がする。  あの部屋に留められてからそれほど時は経っていないはずなのにそう思うのは見覚えのない街を歩いているからか。  外の様子は知らなかったが出てくる前に気温を見て上着を重ねてきてよかったと思った。 「少し冷えますね」  カラコロと下駄の音を鳴らしながら白雨が隣を歩く。  いつもの白い着物に今日は羽織を重ねている。羽織も、薄墨を流したような模様がついた白だ。  つくづく世間離れした雰囲気だなと思う。  夕方、会社員の退勤時間とは少しずれているようで人のあまり多くない時間だが白雨の姿が異様でも誰もジロジロと見たり足も止めたりしない。  都会の感覚がそうさせているのかもしれないが、なぜだか京一もそれが自然なことのように思えてしまった。 「……意外と、目立たないもんだな」  言ってしまってから思わず失言だったか、と思う。  けれども白雨はああ、と言った。 「他の人に僕の存在は認識しづらいようになっているらしいんですよ。僕にも理由はよくわかっていませんが助かっています。自分の外見が目立つのはわかっているつもりですし」  そう伏し目がちに答える。  自分の見目が良いことを知りながら謙遜しているつもりなのか天然なのか。  こうして二人で歩いているのは変な気もするが助かった。  京一だけでは目的地を知らされたからといって、その場所に行くのもおぼつかない気がするからだ。 「まず、吸血鬼だといわれる容疑者が最後に目撃された場所に行ってみようと思います」  外出する前、彪に向かって白雨はそう言った。  朧は一通り話が終わるとさっさと自室とやらに引っこんでしまった。その前に夕飯を食べろ、と彪が言ったが完全無視だったのでまた舌打ちした。 「ほお」  長い足を組んで彪は言う。 「何か根拠が?」 「根拠は特にありませんが取りかかりとしては悪くないと思いまして。事件があった現場をただ片っ端から闇雲に探して回るわけにもいきませんし」 「私としては別にそれでも構わないのですが」  ハッと彪は笑う。  どれだけ体力を使おうと自分には関係ないという態度に少し腹が立つ。 「冗談ですよね?」  ニコリと笑いながら白雨が言った。  視線で火花が散ったように見えた。  この二人は仲間だと思っていたが仲はそれほど良くないのだろうか。  話の流れからいくと彪はついてこず、なぜか白雨と行くことになっていた。  それでいいのだろうか。わからない。  とりあえず、険悪なムードになるのは避けたいので言うままにしておけば間違いないのではないかと京一は思った。 「なあ、白雨さんはなんで俺についてきたんだ?」  年齢不詳なので一応さん付けで読んでおく。 見た目はどう見ても京一より年下だが白雨はなんだか人間離れした雰囲気を感じる。  クス、と白雨は笑った。 「彪さんのほうがよかったですか?」 「いや全く」  あの暴力男。  踏まれた背中がまだ痛む感じがする。 「あなたが逃げ出さないように監視するというのが一応口実です。けれども、正直に言うとこの案件は僕もついていかなければ意味がないんです」  どういうことだろうか。  そう思うと、片手で自分の目を塞ぐように触れて白雨は衝撃の発言をした。 「僕は罪人がわかる目を持っているんです」 「罪人がわかる……?」 「はい。見るだけで判定できます。地獄に行くべくして行く人間を」  聞いただけでは信じられない話だ。  白雨は目を細めて京一を見た。そのガラス玉のような目に全てを見透かされている気がして身がすくむ。  京一が動けないでいるのを見てふい、と目を背けると唇を持ち上げた。 「便利でしょう?……行きましょうか」  今のはなんだろう。  自嘲の笑みだろうか。……少し表情が暗かった気がするのは気のせいか。 「もう少しみたいですね」  京一が持っている携帯電話の画面を横から覗きこみながら白雨は言った。  街をさまよっているとき京一は携帯電話を持っていたようだが水没して電源がつかなくなってしまったらしい。  どんな手を使ったのか知らないが彪が新しいものを調達してきたらしく、それを使わせてもらっている。 「あの……ちょっと聞いてもいいか?」 「どうぞ」 「彪……、あの男って何なんだ?人間なのか」 「彪さんは地獄の役人です。いわゆる獄卒(ごくそつ)というものですね」  獄卒?と首を傾げると白雨は言った。 「地獄には罪人が多くいるんです。その管理を行うのが獄卒の役目ですね」 「刑務所の看守みたいなもんか」 「まあ簡単に言えばそうですね」  ふふ、と何が面白いのか白雨は笑う。 「というわけで質問に対する答えとしては彪さんは人間ではありません」 「マジか」 「マジです」  笑みを浮かべたまま白雨は言う。 「彼はいわゆる魔物と呼ばれる存在です。詳細は省きますが人間とは異なります」  そうなると彪と兄弟だというあの白髪の男、朧もそうなのだろう。 「……白雨さんはなんなんだ?」 「僕ですか」  腕を組んで白雨は言った。 「それは難しい質問なんですね。実は僕も正直僕が何なのかわかりませんし」 「え、それってどういう……。もしかして人間なのか?」 「いえ、それはないと思います」  キッパリと白雨は言う。 「記憶が霞んでいるんですが何となく地獄にいたことだけは覚えているんですよ。ただ、彪さんと同じ魔物なのかと聞かれればそれも違う気がする。……このことは彪さんたちには内緒ですよ」  しい、と唇に人差し指を当てる。  京一はぶんぶんと頷いた。 「僕は地獄の役人だったらしいんですが、どうやら現世に来るときに記憶をどこかに置き忘れてきてしまったらしく。地獄にいた間のことはよく覚えていないんですね」  途方もない話を淡々と口にする。  記憶がないということは、京一の現状と同じではないか。  いや、似ているだけか。白雨は少なくとも出自を覚えているのだから。 「彪さんと朧さんは僕の部下だったらしいです。だから、あれこれと世話を焼いてもらっているのですが」  ほら、知り合いもいる。  今の京一には、何もない。 「……いつまでもこのままというわけにもいかないでしょうけれども」  白雨の声が小さすぎて京一にはよく聞こえなかった。 「何か言ったか?」 「いいえ。それより着いたみたいですよ」  二人は路地裏にある店の前に立っていた。  確かに地図に出ていた場所だ。   入り口であろうガラス戸にやけに達筆な文字で書いてある木の札がついている。 『千秋庵』 「せん……あき……?」  店の名が読めず京一が口ごもっていると横から白雨が言った。 「せんしゅうあん、でしょうね」  店に歩み寄り、京一の前に立つ。 「入りましょうか」
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