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Ⅴ
グラッフルが初めて取り乱したシャナを見たのは三年前。屋敷に連れ帰った、その夜のことだった。
明かりをとろうとランプに火を灯した瞬間、シャナは喉が裂けんばかりに絶叫した。異常なまでに怯え、必死に何かを振り払っていた。
幸いにも、背中の火傷を処置した医者がまだ屋敷内に留まっていたため、薬を与えて落ち着かせた。
炎が怖い——と、後にシャナは語った。揺れる炎を目にすると、兄に襲われ、養母に背中を焼かれた際の屈辱や痛みを、克明に思い出すのだと。
シャナに炎を見せぬよう、屋敷じゅうのランプをシェードで覆った。シャンデリアの使用は極力控え、使用する場合はシャナをその部屋から遠ざけた。
気をつけていた、炎には。なのに、なぜ。
「何があった?」
眠るシャナの髪に指を絡ませる。そのまま掬い上げれば、するりと滑ってシーツに流れた。
あのとき、シャナはベルンを見送るために立ち上がった。立ち上がり、ベルンからハーブティーを差し出されて、そして——。
『乾燥地帯でよく栽培されてるハーブなんだって』
ひょっとして、シャナは知っていたのだろうか。知っている以上の何かが、あのハーブティーにはあるのだろうか。
なによりも不可解に思ったのは、あのときのベルンの反応だ。……やけに落ち着き払っていた。まるで、シャナがああなることを予見していたかのように。
「……何を考えてやがる」
ベルンのことは信頼している。誰よりも。
十代の頃からの悪友。莫大な資産をはじめ、面倒事いっさいを家業として受け継いだ者同士。父親の愚痴を酒の肴にして飲み明かした夜も、何度もある。
ただ、昔から掴みどころのない奴だった。不愛想なグラッフルとは対照的に、人懐こい笑顔で軽口をたたき、いつも飄々として。
だが。
そんなベルンの涙を、グラッフルはたった一度だけ見たことがある。
それは、今から十年ほど前。愛した女性が、自身の手の届かないところで、みずから命を絶ったとき。
奴隷だった彼女を愛した彼の、悲痛な慟哭——。
「ん……」
ふるり、と、シャナの長い睫毛が揺れた。
瞼から紫目が覗く。かたわらのグラッフルの姿を認めるやいなや、その目に安堵の色が滲んだ。
「大丈夫か?」
「……ごめんなさい。わたし、また……」
「気にすんな。……ゆっくり休め」
そう言ってグラッフルが額に口づけると、シャナはゆっくりと瞼を下ろした。
起きているときは大人びて見えるが、寝顔のなんとあどけないことか。
やがて寝息が聞こえてきたことを確認し、グラッフルは部屋をあとにした。
❈ ❈ ❈
——本当にシャナがここに?
——うん。この図面のとおりに進んでいけば、敷地の中に出られるから。
——……ああ……ようやく見つけた……ぼくのシャナ。
——……。
——おまえのことを傷つけた人間はもうこの世にいないから……早くぼくたちの家に帰ろう。
——……まあ、せいぜいがんばりなよ……お兄ちゃん。
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