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***
白い息が出る。
「マフラー持ってくるべきだったよな……」
制服の上に裏地がもこもこのパーカーに身をうずめて家に帰る。
最近は教科書を全て学校に置いてきているので、身軽なまま登校している。
中学の頃はきちんと鞄を持っていたはずなのに。
「いつからこうしようと思ったんだっけ?」
よく思い出せない。最近は過去を振り返る機会もあまりない。
身震いしながら学校の門を出て住宅街をまっすぐに行くと、思わず坂道の手前で立ち止まってしまった。
「……え、ソル?」
見慣れた猫の姿があったが、さっと姿が見えなくなる。ケガが治ったばかりなのに、もしかして鍵のかかった俺の部屋から逃げだしたのか?
坂道を下る前にある網目状の鍵のついた立入禁止の扉が開いていた。
扉に引き寄せられるようにして歩くと、ソルは立入禁止扉の向こう側に広がる草原にちょこんと座ってこちらを見ていた。
ソルは口に何かをくわえていた。
目を凝らしてよく見る。
そしてふと脳裏によぎる。
『ねえ、忘れないで』
ソルが今、口にくわえているのは、今日夢の中の彼女が俺に差し出したシルバー色の四葉のブレスレットだった。
ソルは俺に背を向けた。
立入禁止扉の向こう側の草原の向こうに森が見える。
どこへ行くのだろう?
立入禁止と書かれているのだから、あの向こうはきっと危ない。
とりあえず、後を追いかけなくては。
「ソル、待て!」
琉生は走り去るその背中を懸命に追いかけた。
ソルは森の中に入る。
木漏れ日が差し込む森の中を懸命に走る。
「あ、れ……?」
俺はふと思った。この森は、今日夢の中に出てきた森にそっくりだと。
森を入った少し先で勢いよく走っていたソルがぴたりと立ち止まった。
こちらに振り返る。
俺が首をかしげてしまうと、ソルは突然口にくわえていたブレスレットを俺に向かって投げた。
「あ……!」
慌てて両手ですくうようにブレスレットを受け止めた、その時だった。
「……おい、一年以上もなにしてた!!」
急な罵声に驚き、俺は受け止めたブレスレットを思わずぎゅっと握りながら、声の行方を探る。
「琉生の世界とセルフィリムの世界を繋ぐ『狭間の森』まで戻ってきたんだから、ボクの話している言葉が理解できるよな!? 琉生のせいで世界が大荒れなんだ!」
……いやまさか、そんなことがありえるのかと思いながらも、俺は視線をやや下に向けながら真っ直ぐに目の前を見つめる。
「ったく琉生はこの森まできたのに僕の声が聞こえないふりして、本当に人の気も、いや、猫の気も知らないで!」
……間違いない。ソルがしっかりと言葉を話している。
ソルは……こんなに口が悪いんだ。
それにしても何で話せるのか、そもそもセルフィルムってなんなのか。
状況が追い付けないまま首をかしげていると、さらにソルの機嫌を損ねたようだった。ソルはとことこと俺に近づく。
「僕が車にひかれてしまったのはとんだロスだった」
「え?」
「とにかく時間がない、ボクは琉生を呼びにきたんだ」
「呼びに?」
「……琉生、アヤカが待っているんだ」
「……え?」
また今日の夢が蘇る。
『……琉生、アヤカが待ってるんだ』
最後に目の前の彼女ではない、誰かの声。
そうだ覚えている、あれは……ソルの声だ。
でもどうなっているのだろう。
やっぱり、状況が理解できない。
「なにもたもたしているんだ、早くブレスレットをつけろ!」
ソルは唸る。だいたいソルはなんなのか。
どうして喋るのか、なんで怒るのか。
さまざまな疑問が沸きあげるがここは冷静にソルの話を聞く必要があると思った。
「ブレスレットをつけるのか?」
「そうだ」
「俺がつけるのか?」
「琉生、ふざけているのか!?」
「……ふざける?」
「そのブレスレットは琉生のなんだから琉生がつけるに決まってるだろ! アヤカのはアヤカがつけてる! なんで分かんないんだよ!!」
「……もう、はあ?」
やはり我慢しきれずに威圧的な態度をとってしまった。
俺はブレスレットなんて持ってないし、アヤカとは?
思考がうまく追いつかない。
「狭間の森を抜けてセルフィルムの世界に入るにはそのブレスレットが必須になってくる。大切なものだからなくさないように早く手首につけろ、早くにだ!」
「ええ……」
琉生は鋭く睨みつけるソルの圧力に負けて、片手でブレスレットをつけた。
ジジジ、ジジジ。
不快な音に一瞬身をすくめた。
どこからかノイズ音が聞こえる。
「音が聞こえる。標的はこっちの存在にもう気がついているみたい」
「標的? なにそれ?」
「……ボクをイライラさせるのがそんなに楽しいの、琉生」
分からないことを尋ねただけなのに、ソルは琉生を見て舌打ちをした。
ジジジ、ジジジ。
今朝の夢、そう、あの夢の中で鳴っていたノイズ音と似ている。
今いる光景も少女がいないだけで、そっくりだ。
一体、今、何が起きているのか。
「音、大きくなってきていないか?」
「向こうがこちらの存在に気が付いて近づいてきているんだから当たり前だ」
「近づいている……?」
「姿が見えたらノイズ音は消える、知ってるだろ?」
琉生が首をかしげると、ソルは急にはっとして、恐る恐る口を開く。
「琉生は……まさかふざけてないのか?」
「え?」
「まさかセルフィルムから逃げ出した時に、琉生はセルフィルムにいた記憶を本当になくしたの?」
「きお……?」
「琉生は……僕とアヤカのことも忘れたの?」
怒りの中に悲しみの混じった声をあげ、俺とソルに大きな影がかかる。
ジジジ、ジジジ、ジジジジジ。
音がやみ、ソルが顔を上げた時。
「……琉生!」
見上げた先に何があるのか理解する前にソルが叫び、勢いよく俺に体当たりしてきた。
俺は地面に右肩と頬をすりつけて数十メートル後ろに飛ばされた。
俺はすぐに上半身を起こす。
「いってーな、何すんだよソル!」
地面が一度ドンと大きく揺れ、琉生は思わず目を閉じる。
何だと目を開けた瞬間、琉生は言葉を失った。
なにこの……巨人。
目の前にいるのは、人間の顔をしているような気がするけれど、あからさまに人間ではない。その顔は風船のように人間の顔の数十倍に膨れ上がり、高さは五メートル、体重は五トンを越えているかもしれない。大きな目に、人を余裕で丸飲みできそうな口を閉じたまま横に開き不気味な笑顔を浮かべた巨人は俺を覗きこんでいた。左手に二メートルの血がついた巨大な鎌を持っている。
「え……?」
「琉生、標的から離れろ!!」
ソルは標的の後ろから琉生に叫ぶ。
「何だ、これ……」
ぽかんと呟き、俺はそれから目を離せない。
「琉生、聞こえないのか!? 早く離れろ!!」
ソルは大声で怒鳴る。ソルが俺の側に来ようとするが標的は鎌を振り落とす。ソルは大きく跳ねて攻撃をかわしたが、標的は俺をじろりと見た。
「やっば!」
尻込みしながらも、俺は慌てて標的から離れる。
標的が鎌を振り下ろすと嫌悪感を抱くほどキンと甲高い音が鳴った。すぐ後ろで強い風が吹き、その後すぐにドンと激しく地面が揺れた。
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