2人が本棚に入れています
本棚に追加
第一話
「この子は齢三つにして初級の火魔術を使い、先日十の歳で上級魔術を取得しましてね」
「ほほう。流石魔術の神に愛されし子、魔術の神童と名高いご令嬢だ……。先が楽しみですなぁ」
「えぇ、我が娘ながら......。先日はガルド辺境伯からもお話をいただきまして……。ありがたいことに」
「おぉ! 王家の信頼厚いガルド辺境伯家との繋がりが!? これではますますトア伯爵家の繁栄は約束されたものですな」
「まことまことありがたいお話で。……こんな魔術にしか才のない、気味の悪い七色の瞳をした娘でも……役に立つものですなぁ……本当に」
そう言って、黙って大人達の話を聞いていた少女にちらりと憎々し気な視線を向ける男。
その視線を向けられた、銀の髪をした少女は、七色に輝くオパールのような瞳に諦念を浮かべ、黙ってその視線を受け止めていた。
それから八年の月日が流れ......。
「ただいまー!! 今日も大量たいりょおぉ!!」
「疲れた……ホント疲れた……『爆裂姫』とパーティ組むのはホント洒落にならん」
辺境の冒険者ギルドに、はしばみ色の瞳を楽し気に輝かせた若い娘の明るい声が響く。
その後ろから、疲れ切った様相の燃えるような赤髪の青年のぼやきが続いた。
「えー? でもいつもわたしとパーティ組みたがるのアーレスじゃない?」
後頭部の高い位置でひとくくりにした銀の髪をひらめかせて、くるりと振り向いた若い娘が後ろの青年に文句を付ける。
「おまっ! それはなぁっ!!」
いささか顔を赤くした青年が、もごもごと口を噤む。
「おーぅおつかれー。アーレス。イリア、今日は獲物を爆裂魔法で四散させなかったかー?
採取できないとまたギルマスにしこたま怒られんぞー」
カウンターの受付嬢と話していた、がっちりとした筋肉を巨躯に纏わせた、いかにも戦いを生業としているような男が、娘の声に振り返って声を掛けた。
「もー! もうそんなへましないよー。なんてったってわたしもうB級冒険者だからねっ!」
「とか言ってこの前フェアウルフの群れを爆発四散させて、毛皮が採れないってギルド長にしこたま怒られたの誰だっけー?」
簡素な皮鎧に包まれた胸を張ってドヤるイリアと呼ばれた銀髪ではしばみ色の瞳の娘に、外野から揶揄い混じりの野次が飛ぶ。
だがそれは決して彼女を貶めるものではなく、彼女の実力を認めた上でのからかいである事は、周囲の人間達が浮かべているにこやかな表情から垣間見えた。
「そ、それは内緒にしてねってアーレスに言ったのにぃ!! アーレスっ! バラしたなぁ!!」
バチバチと手のひらに雷を纏わせたイリアが、アーレスと呼んだ赤髪の若者に迫る。
「ちょ! 待てっ! それバラしたの俺じゃねぇ!!」
髪と同じ赤い瞳に焦りを滲ませ、慌てて距離を取るアーレスに、周囲から再び揶揄い混じりの野次が飛ぶ。
そんな明るい雰囲気の騒ぎを聞きつけたのか、この辺境の冒険者ギルドのギルドマスターが奥から顔を出した。
「なんの騒ぎだってんだ一体……。こらっ! イリアっ! ギルドの中で魔術使うんじゃねぇ!! お前のは洒落にならんだろがぃ!」
厳つい熊のような、明らかに凄腕の冒険者であっただろう雰囲気を醸したギルド長が、手のひらの雷をアーレスに近づけようとしていたイリアに、言葉のカミナリを落とす。
「だってぇ! アーレスがぁ!!」
「すまんな。フェアウルフの件をバラしたのは俺だ。アーレスは解放してやれ」
「えー、ギルマスなのー。じゃあしょうがない」
そう言うとあっという間に雷を消し去る。その様を見ていたギルド内の魔術師達がごくりと息を呑んだ。
それはひとえに、イリアの行った事がどれだけ繊細で高等な魔術なのか理解できてしまうからだ。
まだ年若い娘に見えるのにその卓越した魔術の腕は、この国一番過酷だと言われているガルド辺境伯が管理するこの地の冒険者ギルドでも上位に入る。
また、この辺境が過酷だと言われる由縁は、この地が接している広大な森と関係している。
どういった理由なのかは分からないが、この地の森には強くて凶悪な魔物が犇めいており、時折人里に降りてきては、作物を荒らしたり、人々に害を与えたりするのだ。
それらを駆除する必要がある事から、辺境伯が管理する騎士達はとてもレベルが高く、またこの地に来て一旗揚げようとする冒険者達も、その実力は確かだ。
そんな優れた人材の中でも、特に際立って魔術の才に優れているのがイリアだった。
特に彼女が得意としているのは、爆炎による無慈悲な蹂躙を行う爆裂魔術で、半年前森から大量の魔物が溢れ出したスタンピートでは、その威力を遺憾なく発揮していた。
そんな彼女は、揶揄いと畏怖も込めて『辺境の爆裂姫』と呼ばれていて、辺境になくてはならない人物と目されていた。
「ところでよぉ、イリア。お前あと半月くれぇ経ったら、ここを出てくって本気か?」
先程までとは一転して深刻な表情になったギルドマスターが問いかける。
そしてその言葉に内容に、周囲の空気がピタリと凍り付いた。
「イ、イリア……? ここを出るって……?」
アーレスが茫然とした表情で問いかけるも、そんな彼の狼狽には一片も気づいていないイリアがあっけらかんとそれを認めた。
「うん! あと半月で十八になるしっ! そしたらこの国を出て自由になろうかと思って!」
「十八って……。むしろなんで十八なんだ? 今だってイリアは独り立ちして生活してるんだから、十八に拘る必要ないだろう? 十八に拘るなんて……まるで貴族みたいな……」
アーレスがブツブツと呟くも、その声は小さすぎて隣にいたイリアにしか聞こえてないようだ。
「あーねぇ」
気まずげな微苦笑をアーレスに向けるイリアだったが、その真意をここで話す気はないらしい。
後ろに腕を回して、ふらふらと右へ左へと身体を動かしながら、徐々にアーレスから距離を取っていく。
「っ! ちょっと! イリアこっちこい!」
それに気づいたアーレスが慌ててイリアの手を引いて外へ出て行く。その様子をギルドの冒険者たちは生暖かく見守っていた。
「ちょっと! アーレスどこまで行くのっ?!」
アーレスによって引きずられるように連れてこられたのは、街外れの丘の上だった。
柔らかな心地の風が、拓けた草原を吹き抜けていき、イリアのさらりとした銀髪と、アーレスの短く整えた赤髪の先を僅かに揺らしていく。
穏やかに降り注ぐ陽光が、イリアの茶色い瞳をひと際美しく輝かせていた。
銀髪を風に遊ばせ、ゆらりと草原に佇むその姿はどこか儚くて、そのまま陽炎のように消えてしまいそうで……。
思わずアーレスはイリアのその華奢な肩を掴む。そして……。
「っ! あのさっ! イリアっ! 俺、お前が好きだっ! 俺と結婚してくれっ!」
炎のような髪色と同じくらい頬を赤く染めて、イリアの両肩を掴んだアーレスが必死の形相で懇願する……のをイリアはポカンと見上げていた。
「結婚って……それは無理よ」
「何故だっ?!」
ほぼ即答で断ってきたイリアにアーレスが距離を詰める。
そこそこ仲を深めてきたと思うし、イリアも嫌がって……なかったよな? とブツブツ呟き始めるアーレス。
「だって、アーレスはこの辺境を治める領主さまのご子息、お貴族様でしょう? どこの馬の骨ともわからない平民の娘を嫁にするのは無理じゃない?」
そもそも、婚約者、いるよね? と意味ありげにアーレスを見上げるイリア。
「な、何故それをっ?! ……確かに俺には婚約者がいたが……一度も会った事がないし、想いを寄せた事もないっ!
そもそも俺の婚約者は、齢十の頃に魔術の天才、神童と呼び称されたトア伯爵家のご令嬢で、その魔術の腕を見込んで、我が家に嫁いでもらおうと思って結ばれた婚約らしいんだけど……。
十三で母君を亡くされてから様子がおかしくなったとかで、十五の頃には家から一歩も出る事がなくなって、公の場にも姿を現さず、魔術の評判も聞かなくなったから、魔術の才が枯渇したのではないかと噂になってて……。俺も婚約者として手紙や贈物をしたけど、なしのつぶてで……。
俺も、討伐があるからそうそう王都に行って直接訪問する事もできなくて……。なんとか時間を作って会いにいっても一度も会えなくて……。
向こうから何らかの動きがある訳でもなくて、何故かその義理の妹だってヤツから手紙が届いたりもしたけど、そうじゃねぇだろうって。手紙とかだって本人から来ないと義理を、義務を果たしてないだろうって。
それに……いくら神童だからって、どんだけ魔術の才があったって、表に出てこないんじゃ、討伐に参加してくれないんじゃ意味がない。そんなんじゃこの辺境でやっていけないし、誰も次期辺境伯夫人だって認めてくれない。くれるわけがないっ!
だから……このままでは辺境の益にならないと解消になったんだ。
……と言うのは建前で……。本当は……俺が、君と結婚したかったから、我儘言った。
向こうにも謝罪して、慰謝料も払って、代わりに優秀だと言われている妹の方はどうですかと言われたけど、それも断って……何とか身ぎれいになって、これからって……っ! 頑張って口説こうと思ってたんだっ! なのになんで……?!」
「あー……。なんか色々ごめん。ホント色々ごめん」
イリアの顔が気まずげに歪むも、ひと際強く吹いた風が、イリアの尻尾のように結われた髪を大きく揺らし、その顔を隠した。
「っ! それって! 俺との事は微塵も考えられないって事か?! ……て、すまん」
イリアの肩を掴んでいた両手にぎゅっと力が入ってしまった事に気づいたアーレスが、慌てて手の力を抜く。
「うーん。アーレスの事は……好きだよ? 刷り込みかもしれないけど、十五で冒険者になって、一年前にここにたどり着いてから、よそ者のわたしの色々面倒見てくれたのアーレスだしね。
だけど、いいの? あと半月年で平民になる予定の、明らか訳アリのわたしなんかで……って、聞いてる?」
イリアの『好き』という言葉に、イリアの足元に蹲って悶絶していたアーレスが慌てて立ち上がる。
「なんかじゃないっ! 俺はイリアがいいんだっ!! てか、その言い方……。イリアは貴族令嬢なのか?
もしイリアが貴族令嬢で訳アリなら……て、ここで冒険者してる時点で訳アリっぽいが、今のうちに俺と婚約して、実家と手を切らせることもできるが?」
ウチは辺境伯だけど、そこそこ発言権は強いぞ? と頼もしいアーレスの言葉に、それでもイリアは気まずげに視線を彷徨わせる。
「んー、多分だけど……辺境伯様が、アーレスのお相手が平民で構わないなら、半月待ってわたしと実家の縁が切れてからの方が、色々都合がいいと思う。
むしろその方が……ね。平民出身の実力で見込まれた婚約者なら、そんなに詮索されないだろうし……。って、実力よね?」
「実力もあるが、俺はイリアの前向きな笑顔が好きだっ!
正直、魔物討伐ばっかの人生が嫌になった事なんていくらでもあった。特に酷かったのはイリアと出会った頃で……。
あの頃は、なんで俺ばっかって思ってた……! なんでたまたま辺境伯家に生まれただけで、毎日毎日魔物とやり合って、傷だらけになって……て。
そんな燻ってた時にたまたま冒険者ギルドでイリアに会って……よそ者丸出しって感じでオロオロしてるのに、一度討伐に出たら、キラキラした笑顔で……とんでもない威力の魔術をぶっ放して……」
アレは正直引いた……とアーレス。
「だけど……。辺境伯領の人間の負傷が減るようにって考えて魔術を使ったり、怪我をした人達に分け隔てなく治癒魔術を使ったり……、すっげぇつぇぇ魔物が出た時に、嬉々として前に出て、魔術で魔物をぶっ倒していくイリアを見て……」
あの時は皆も結構引いてた……とアーレス。
「さっきから褒めるか貶すかどっちかにしてくれる?!」
とうとうイリアが拗ね始める。ぷすりと頬を膨らませて、はしばみ色の瞳を眇めてみても、アーレスからすれば愛らしくしか見えない。
「いや、ホントに……。誰かを守る為にって魔術を使うイリアはいつもキラキラしてて……いつからか可愛いなって思うようになってたよ」
本当に……。そう言ってはにかんだ笑顔をイリアに向けるアーレスの顔は、彼の髪色と同じくらい赤く染まっていた。
「だから……俺は辺境伯の人間で……それは多分死ぬまで逃げられない事実で……この辺境をずっと守りづつけなくちゃいけなくて……でも守り続けたいと思う自分もいて……。
そんな俺の側にいて欲しい、隣に立って欲しいって、俺が守るモノを一緒に守って欲しいって……そんな相手がイリアだったらいいなって……思ったんだ」
いや、一緒に守るって言っても、イリアに討伐に出て欲しい訳じゃないし、魔術の才が凄いから欲しいって意味じゃないんだけど?! と、急に慌てだすアーレスを見て、クスリとイリアが笑みを落とした。
生まれてこの方誰もが己の魔術の才しか見てこなかった。
だけどアーレスは違う気がした。そうだと信じたかった。
もちろんきっかけは自分の魔術の才だったかもしれないけど、真っすぐこちらを見つめる赤い瞳には、ちゃんとイリア自身が、銀髪ではしばみ色の瞳をした自分が映っていて……。
だから......。
イリアは覚悟を決めた。
「ふふっ。ありがとっ! わたしも『辺境の爆裂姫』の名に懸けて、アーレスの大事なものを一緒に守るよっ!
……どんなことがあっても……」
イリアの言葉に破顔するアーレスが、思わずとイリアに手を伸ばした。
鍛え上げた両腕に、あれほどの魔術を使いこなすとは思えない程華奢な体躯を閉じ込めて、小さな頤を掬って……。
ところで……。と二人の唇が触れる寸前で、イリアが悪戯っ子のような表情で口を開いた。
「元婚約者の名前って覚えてる?」
「……え?」
突如イリアの口から出てきた意外な人物に、その紅い唇だけに視線を寄せて、イリアを囲い込もうと腕に力を込めていたアーレスが顔を上げて驚きを露にした瞬間。
カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!
草原に、緊急を告げる鐘の音が響き渡った。
荒々しくなり続けるそれは、冒険者ギルドの鐘楼に吊るされた、街の近くに出現した魔物の存在を知らせる、緊急時の鐘の音だった。
「っ! くっそっ! 魔物のヤツも空気読めよなっ! これからって時にっ!」
「……これからって……何するつもりだったのよ……?」
二人で草原を駆け抜けながら、イリアがアーレスにジトリとした視線を投げる。
「ん? だってプロポーズ受けてくれたんだろう? イリアを抱きしめて口付けの一つや二つくらいしてもいいじゃないか!?」
今そんな雰囲気だったよな?! と、若者らしい率直な意見に、走りながらイリアがため息を吐く……も。
「……この討伐が終わったら……しようね?」
悪戯な表情でそう告げると、イリアはアーレスの横を一陣の風のように走り抜けていった。
ポカンとその背を見送ったアーレスだったが、鐘の音に急かされるように再び足を速める。
遠ざかっていく華奢な背中にぐんぐんと迫って、そして……。
「絶対だからなっ!!」
「きゃあっ! ちょっ!?」
イリアの身体を抱き上げて、アーレスが走り出す。
慌てたようにアーレスの首に腕を回して仰ぎ見れば、ちらりと嬉し気に赤の瞳を眇めたアーレスに見下ろされて。
イリアの胸はほわりと温かくなった。
だから……と、アーレスの頼りがいのある腕の中で大きく一つ頭を振ってはしばみ色の目を伏せる。
あと半月経てば、自由になれる……と。そうすれば、アーレスの隣で……と、アーレスの首に回していた腕にきゅっと力を込めた。
イリアーヌ・トア伯爵令嬢。
将来を嘱望された魔術の神童として、未来の大魔術師として名高かった彼女が、辺境伯家との婚約を白紙に戻されるより随分前に伯爵家から失踪していた事が発覚するのは、もう少し先のことであった。
最初のコメントを投稿しよう!