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第三話
「来るぞっ! 爆裂姫に見せ場を持ってかれてばかりだと、辺境騎士団の名折れっ!
みなっ! 心してかかれっ!」
応と答える勇ましい声と共に、怒号のような大声が平原に響く。
イリアが火竜の片翼を木っ端微塵にした次の日、既に翼の再生を果たしたらしい火竜が、怨敵であるイリアを探してか、平原に姿を現していた。
が、完全にもがれた片翼の再生に力を回し過ぎたのか、身を守る炎は力がなく、飛び方もふらふらと覇気のない様子で、昨日姿を現した時にはあった、畏怖のようなものが完全に殺がれていた。
それでも凶悪な魔物である事には変わりなく、ギザギザの、一つ一つが矢じりのような歯の生えた 口元から火炎を吹き出す様は、恐ろしさに満ちていた。
が、昨日圧倒的な魔術で火竜を追い払ったイリアの実力を見て、しり込みするどころか奮起に満ち溢れたやる気ある辺境騎士団の騎士達は、アーレスを筆頭にして爆裂姫に負けてはいられぬと気合十分で火竜を迎え撃っていた。
そんな平原での戦いを後目に平原の片隅に張られた天幕の中ではイリアが火竜を誘い込む罠となる魔術陣の構築に余念がなかった。
「……全くアーレスの奴……。惚れた女にいいところを見せたいからって張り切り過ぎじゃないか?」
獅子奮迅の動きを見せるアーレスを遠目に、ミストがぼそりと零す。
その言葉に、イリアがこふりと噎せた。
その様子を微笑まし気に見るのは、辺境騎士団の魔術師を束ねる辺境騎士団魔術師団長だった。
「……それにしてもイリア殿の魔術の知識は素晴らしいですね。
その若さで、ここまで練度の高い魔術陣を構築するとは……。どこでこれほどの研鑽を積まれたのですか?」
辺境騎士団魔術師団長であるセリンティアがイリアにそう尋ねると、イリアは曖昧に微笑んだ。
「えーっと独学で……。
以前は王都に住んでおりましたので、王都図書館で文献を……」
「おぉ! イリア殿は王都にお住まいだったのですね?! そのお年ですと……『魔術の神童』と呼ばれたご令嬢のことはご存じじゃないですか? 聞いた噂によりますと『魔術の神童』もお若いご令嬢のようですし……」
魔術に目のないセリンティアが目を輝かせてイリアに尋ねると、イリアは曖昧に頷いた。
「えーっと……。わたし、平民でしたので……お貴族の方とは特に面識は……」
「あぁ! そうですね! 王都の方は貴族階級と平民階級は明らかに分かたれているんでしたね!
というか、貴族階級の方々と距離が近いのは、辺境くらいでしたっけ?」
呑気に喋り倒すセリンティアにミストが苦笑を返す。
「まぁそうだな。貴族だなんだって言うのは所詮人が決めた価値観でしかない。魔物の前では等しく人間からな」
「おぉ、怖い怖い……。それにしても本当に素晴らしい……」
怯える真似をしたセリンティアが改めてイリアの描く魔術陣に目を落とす。
魔術陣を描くために用意された大き目の魔術紙には所狭しと魔術の文言と文様がイリスの手によって刻まれていた。
「……恐れ入ります」
カツリと魔術陣を刻む筆をおいたイリアが、おおきく伸びをして、ふっと息を零す。
「お疲れ様です。あとは……魔力の注入ですね。
……少し休憩なさいますか? 坊ちゃん達が張り切っているので、今日もなんとか火竜を追い返せそうですし。
あまり根を詰めては簡単な魔術ですら失敗してしまうものですからね」
そう言ってにこやかに微笑むセリンティアに笑みを返し、イリアは飲み物を受け取って天幕を後にした。
彼女が立ち去った書き物机にはわらわらと魔術師達が集まり、あぁでもないこうでもないとイリアの描いた魔術陣について語り始める。
その為……イリアの後を追うように出ていった人影に、気づく者はいなかった。
「イリア殿……いや、イリアーヌ・トア伯爵令嬢?」
平原を吹きすさぶ風に尻尾のように結い上げた銀髪を遊ばせ、勝鬨を上げる辺境騎士団を遠くに見つめていたイリアにそう声を掛けたのは、この地の領主でもあり、れっきとしたここ、ガルド辺境領の当主・ガルド辺境伯でもあるミストだった。
その声にピクリと一瞬だけ肩を震わせ、振り返ったイリアのはしばみ色の瞳には僅かな諦念が籠っていた。
が、パチリと一つ目を瞬かせ、すっと腰を落とす。
それは誰が見ても完璧な……貴族令嬢が目上の立場の人間に行う礼の一つだった。
「……やはり……。
いや、頭を上げてくれ。君がここにいる事に疑問は尽きないが、君がこのガルド辺境領の為に尽力してくれる恩人なのは確かなのだから」
ミストの言葉に、思わずイリアは苦笑を漏らす。
昨日アーレスから貰った妻請いの言葉に似ていたからだろうか。
親子そろって辺境領のことを考える。そんな姿が素敵だと思う。
……自分の父親には、権力と贅と名声を上げることにしか目がない自分の父親にはないものだと思うから。
「……君は……身体が弱くて病弱で、それゆえにトア伯爵家で引きこもっているのでは……なかったのか?」
「……発言をお許しください。ガルド辺境伯様」
ミストがこくりと頷いたのを見止めて、イリアが口を開く。
「わたしは……いえ、私が病弱だった事など……」
そこまで口にして、イリアはぎゅっと口を引き結ぶ。
その様子に何かを察したのか、ミストの視線が痛ましいものへと変わる。これは独り言なんだが……と前置いて、ミストが口を開いた。
「トア伯爵は……確か最初の夫人を病気で亡くされた後……比較的すぐに後妻を迎えられたんだったか……。
確か、実子のイリアーヌ嬢と一つ違いの娘のいる……。
イリアーヌ嬢は前トア伯爵夫人によく似た銀髪の、将来が楽しみな美しさを秘めた娘だったが……。
後妻の連れ子の方は……トア伯爵そっくりの金髪に蒼い瞳で……。三人で連れ歩く様はまるで本当の親子の様であった……な……」
そこで言葉を切ると、じっとイリアの様子を窺う。
イリアは苦笑いを浮かべる事しかできなかった。
「……再婚後、イリアーヌ嬢は滅多に表に出る事も無くなったな。前伯爵夫人が存命の頃は、その魔術の才を見込まれて、王太子とすら交流があった程なのに……な」
何故だろうな? と続けるミストは、これ以上は口を開かなかった。
そんなミストの様子を見て、イリアは諦念のため息を吐く。
全て見通された上で、イリアの、イリアーヌの口から真実を聞きたいのだろう。
ガルド辺境伯家との婚約を、表向きには蔑ろにしてきた身ではあるので、ここでイリアの身に起こった事実を話すことが最善なのだろう。
「……私は……母が亡くなって、後妻……いえもうお判りでしょうが、母が生きているうちから親密な関係にあった現伯爵夫人が嫁いできた後から、屋敷の一室に軟禁されるようになりました。
母に縁のある使用人達、私の扱いに異を唱えた使用人たちは次々と解雇され、最低限の食事、最低限の身支度だけを渡される日々で……。
正直なところ……ガルド辺境伯家との婚約のお話も、使用人たちが話しているのを小耳に挟んだだけでして……。
アーレスが……辺境伯ご子息様が、一度も会った事のない、名ばかりの婚約者である私に……お手紙などでお心を尽くしてくださっていた事も、昨日初めて……」
そこまで話してぽろりとイリアの頬を涙が伝う。
「……恥ずかしながら存じ上げず。
アーレスは……ご子息様は心を砕いてくださっていたのに……」
申し訳なくて……。そう言ってふるりとイリアは尻尾のような銀髪を振った。
「……十五の歳を迎えて……平民は貴族と違って十五で成人と見做され独立が許される事を知っていたので、屋敷を抜け出しました。
その頃には……彼らにとって私は家族ではなかったのでしょう。トア伯爵家の敷地内にある小屋に追いやられ、食事も出なくなっておりました。
屋敷を抜け出して、私に残された唯一の手段、魔術を使って細々と小金を稼いでおりましたが……。
ある日聞いてしまったのです。父が……トア伯爵が、私を我が国と敵対している国に売ろうとしている事を……。ガルド辺境伯家との婚約は義妹……いえ恐らく異母妹でしょう。に振り替えて、私を……」
そこまで話してイリアははくりと息を吐いた。
「父には既に家族の情も何も残っておりませんし、トア伯爵家がどうなっても構いませんが……。王太子殿下は魔術にしか才のない私にすらお優しく接してくださり、かつ国を治めるのに相応しいお方でしたから、私自身がこの国に害成す存在にはなりたくなかった……。
だから屋敷を抜け出して……魔術の腕を活かしながら、ここまでたどり着いたのです。
たどり着いた先がガルド辺境伯領だったのは……やはり魔術の腕を活かせるのがこの地だったからでしょうか。
実の父にすら魔物のようだと称されたこの……」
じっと自らの広げた両手に視線を落とすイリアを、痛ましいものを見るようにミストが見つめて……一つ頭を振った。
「……それは違うぞ。イリア殿。君は……その魔術の腕だけで、この辺境で認められたわけでは無い。
……確かに実力主義ではあるが、実力があっても人としての気持ちを持っていなければ、この辺境では認められない。
二つ名を持つという事は、そんな辺境で認められた証。イリア殿は、爆裂姫は、その人となりを含めた実力で辺境の人間に受け入れられたんだ」
自慢じゃないが、辺境の人間の見る目は厳しいが確かなんだぞ? と茶目っ気を込めて宣うミストに、イリアが僅かに笑みを零した。
「……そうですね……。だからわたしは……アーレスの、ご子息様が守りたい全てを守りたい……っ!」
視線を落としていた手をぐっと握り締め顔を上げたイリアのはしばみ色の瞳が、陽の光を受けてきらりと輝く。
「……ありがとう。それでこそ、未来の辺境伯夫人だなっ!」
ばしりとミストに背を叩かれて、イリアがたたらを踏む。
「……大丈夫なのですか? こんな訳アリも訳アリな娘をご子息様に近づけて……」
不安げに瞳を揺らすイリアをちらりと一瞥して、からりとミストが笑う。
「なぁに気にすることはないっ! 今回の件で平民のイリアをアーレスの嫁に迎えても誰も文句は言わせんよ。
それどころか諸手を上げて喜ぶだろうし、反対なんてしたら、みなに反旗を翻されるのは俺だ。
ちなみに筆頭の旗印はウチのバカ息子だなっ!」
そこまで言ってから、ふと真顔に戻る。
「だが……今回の件で確実にイリアの名は売れる。お前さんの本来の身分を探る連中も出るかもしれん。
それだけは重々注意しろよ。……貴族令嬢が成人と見做され、親の承諾が必要なくなる十八まであとどれくらいだ?」
「……あと、半月ほど……」
イリアの言葉にミストは深く頷く。
「本当は他家の令嬢を諫めて家に戻すのが正しいのかもしれんが……。何せ辺境伯の未来が掛ってるからな。
……半月後、必ずイリアを実家から切り離す」
「……私の話を……信じていただけるのですか?」
不安げに見上げるイリアの視線をじっと見つめ返す。
「……もちろんだ。言っただろう? 辺境の人間は見る目があると……」
最初婚約の話し合いで会った時からあの男には胡散臭いものを感じていたんだと嘯くミストに、イリアが苦笑を返す。
「ありがとう……ございます」
深々と頭を下げて、顔を上げたイリアのはしばみ色の瞳からほろりほろりと水滴が連なって落ちていく。
「……イリア殿……」
僅かに震えるイリアのまろい頬に流れる涙に、ミストが手を伸ばそうとした瞬間……。
「何やってんだっ! このクソオヤジ!! 母上に言いつけんぞっ!! ってイリアじゃねーかっ!!
イリア泣かすなんて何やってんだこのクソオヤジっ!!」
得物の大剣を振り回して肉薄するアーレスを、巨躯からは想像が付かない程身軽なバックステップで躱してからミストが違う違うと手を振る。
「おぉ! いい太刀筋になったなぁ! アーレス!」
「うるせぇ! いいから一発喰らっとけっ!!」
「ちょ!? ちょっと待ってアーレス!! ミスト様は何も悪くないからっ!」
慌てたようにイリアが声を掛けるも、とうとうミストも剣を抜いて、親子対決が始まってしまう。
こうなると最早誰にも止められない事は明白だった。
「……イリアさん、こうなると長いので、イリアさんは天幕に戻ってくださっても構いませんよ」
おろおろと二人を見守っていたイリアの肩を叩いたのは副騎士団長のモリーだった。
「で、でも……っ! わたしのせいでお二人が誤解を……!」
「いえいえ、ああなると二人はただ手合わせを楽しんでるだけなので……大丈夫ですよ?」
そう言ってなんだかすがすがしい笑みを浮かべたモリーに促され、イリアはその場を後にした。
その後、火竜を追い払った時より明らかにボロボロになったアーレスが天幕に飛び込んできたのは、日も暮れようとする頃合だった。
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