生命の終わり

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生命の終わり

 ——彼女は天才故、孤独だった。 「生きるとはなんだと思う?」  彼女は私に語りかける。私はギギギという鈍い音を立てながらゆっくりと手を上げた。 「はい、博士。『生きる』とは人間や動物などの生き物が生命活動を保っている状態のことです。つまり生きるとは、死んでいないということです」  博士は「興味深いね」と頷いた後、再び口を開きこう言った。 「私は、『生きる』とは記憶に残ることだと考えている。私の姿が、声が、言葉が。そして私の発明が人々の記憶に残り続ける。そうしている限り人は死なない」 「はぁ……」  私は首を傾げる。誰かの記憶に記録されたとしても、生き物の心臓が止まったら生きてはいないのだから。  博士はそんな私に優しい目を向け、壊れた私の右手に新しい手を取り付けた。 「よし。これで完全に治った」 「ありがとうございます。博士」  手の不具合は完璧に直り、試しに拳を開いたり閉じたりしても変な音はならない。 「今回、手を治すのとついでに、君に新しいプログラムを書き込んだ」 「なんです?」 「君には私が死んだ後、お墓を建てて、その手入れをしてもらいたい。何、難しいことはない。君はそのお墓を時折磨いたり、綺麗に保つだけでいいんだ。そうやって君にプログラムすれば、君は私を忘れない。そうだろう?」  私が博士のデータを無くすということは、私が故障して使えなくなる時だろう。なぜなら私のデータを作ったのが博士だからだ。  私の中には、博士の紡いだ数列だけが入っている。 「ええ。忘れません」  そう頷くと、博士は優しく私を抱きしめた。長いため息の後、私を抱きしめる手にグッと力がこもる。 「……私は、死ぬのが怖いよ」  彼女の声は小さく、酷く震えていた。  博士は死んだ。あっけなく。  そして、孤独だった彼女はあっという間に人々の記憶から消えていった。  私はプログラムに従って、墓地に博士の墓を建てた。他の墓と変わらない普通のものだ。墓石には彼女の名前が彫られている。  彼女は死んで、彼女の灰になった脳に私のデータはない。 「博士、私も死んでしまったのでしょうか」  返ってくるはずのない博士の声を思い出す。 ——まだ、彼女は生きている。  博士の残してくれた機械のおかげで、私は自身でメンテナンスを行うことができた。よって、私が死ぬことはない。  それからメンテナンスの後、毎日のように墓に向かうようになった。  彼女は死んだのだ。生命活動は停止している。そして灰になった今、生き返ることはない。ただ私は、墓が汚れていないかを毎日確認するだけの日々を過ごすことになった。  時が流れても、博士のデータが消えることはない。  しかし、彼女の声や温もり、表情が彼女のものではない気がしてくる。データの中の博士は、私と共に過ごした博士ではないように思えてきた。  私の中に残っているのは博士ではなく、データなのだ。 ——やはり博士は死んでしまったのかもしれない。  月に一回、博士の墓に水をかけ、磨く。プログラムに従って動く私を見て街の人々は口々に言った。 「持ち主がいなくなっても毎日お参りに来てるらしいわよ。健気ねぇ」 「きっと心が芽生えたんだわ」  このプログラムが心だというなら、人間もプログラムに従って動いているのだろうか。だとしたら人間とロボットの違いとはなんなのだろう。  人々の噂によって、私は生かされている。生きるとは一体なんなのだろう。 「博士、私は生きているのでしょうか」  博士の灰が返事をすることはなかった。  それから二十三年と八ヶ月と四日が経った。 「博士、私は死んでいるでしょうか」   人々はすぐに私に飽き、私を忘れた。機械である私はそもそも生きていない。元々生きていないということは死んでいないということ。  死とは生きていたもののみに起こる現象だからだ。  共に眠ってしまえたらという選択肢もあった。しかし、私はプログラムに沿って何年も何年も博士の墓の手入れを続けた。  水と洗剤をかけて、磨く。それの繰り返し。きっとこれから何年も、私が活動を停止するまでこの行動を続けるだろう。  美しいままの墓石に添えられたシオンの花が、今日も静かに風で揺れている。
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