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いつまでもマンションの裏口で、“彼”とハグしている訳にもいかないので、ボクたちは近くにある小さい公園へ移動した。幸いにも人は通らなかったが、こんな場面を誰かに見せたいとは思わない。流石に恥ずかしさが勝つ。
さて、小さな公園にポツポツと置かれているベンチに腰を下ろすと、改めてボクは“彼”の事を見つめようとして。全く同じようにこちらを見てきた“彼”と目線がぶつかった。
思わず笑みが溢れてしまう。こんなやり取りを、以前もしていたな。
「懐かしいね」
「ああ、そうだな。とても、懐かしい」
そう言って小さく笑う“彼”に、思わず見惚れてしまう。
しかし、すぐに気を取り直してボクは口を開いた。聞きたい事が山程ある。
「ねえ、――。単刀直入に聞くけど……死んじゃったの?」
「……分からない。いや、意識を失う前までは確実に死にかけていたはずなんだ。そのはず、なんだけど」
どうやら、かつてのボクと似たような状況らしい。
「本当に何が起こったんだ。聖とまたこうして会えたのは嬉しいけど、何が何だかサッパリだぞ。死にかけているあの状況から、何でいきなり引っ越す前に住んでたマンションの近くで目を覚ますんだ……」
「ボクも、以前似たような経験をしたよ。間違いなく死んだと思ったのに、何事もなかったように目が覚めた」
「聖も? なら、ここは死後の世界か?」
「最初はそう考えてたんだけど、どうも違う気がする。死後の世界で、普通に成長するとは思えないんだよね」
「……確かに、成長してるな。背も伸びたし、顔つきも大人っぽくなった」
「ありがと。 ……それと、もう1つ不可解な点がある。この世界には、何故か――の情報が影も形もないんだ。関わりが深かった友人たちも、お母さんも――の事を全く知らないでいる。名前すらも分からないらしい。可能な範囲で調べはしたんだけど、何1つ情報はなかったよ」
友人たちや、ボクの母親が存在を覚えてないどころか、まず知らない人物として認識されていると知った“彼”は、ほんの少しだけ目を見開いた。
だが、すぐに1つの可能性を考えたようだ。多分、それはボクとの同じやつだろう。
「並行世界、または別の時間軸の世界。それかIFの世界ってのが1番しっくり来るな?」
「流石。うん、現状ボクもそうやって考えているよ」
「しかし、そうなると疑問が増える。死にかけてたとしても、ピンポイントでこの世界へ俺がやって来れる理由が分からない」
「……あくまで予想、だけどね。ボクのせいだと思う」
「聖の?」
「ボクが死んで、――も死にかけている“元いた世界”。そして“――の存在だけが抹消された並行世界”。どちらにも、ボクが記憶を持った状態で存在している。そのせいで、2つの世界の間に“繋がり”でも生まれちゃったんじゃないかなって」
「ああ、なるほど……って、おい待て。聖が死んだ後も、まだ存在しているってニュアンスの言い方してないか?」
「あ、ボクは死後――の背後霊として過ごしてるよ。魂が半分しかないし、肉体もないからかなり不安定な形にはなってるけどね。向こうで背後霊として過ごしている時の記憶は、夢として見ているから……」
「情報量! 情報量が多いっ!」
頭を抱えてしまった“彼”。うーん、一気に情報を流し込みすぎたかも。
「じゃあ、あれから何があったのか。おおよそは把握してるんだな」
「まあ、ね。 ……色々、あったね」
「……もう、みんなの事をちゃんと知る人物は俺だけだよ。家族含め、みんな早く死にすぎだ」
知ってる。全部、知ってるよ。その度に、深く悲しむ貴方を1番近くで見ていたから。
その度に、霊体では何もしてやれない悔しさに歯痒い思いをしていたから。
ボクが死んでから、何か負の連鎖でもあるのかと疑るぐらい立て続けに友人たちも亡くなっていき。最後に残っていた親友も、1年前ぐらいに命を落とした。
亡くなる際、家族も同時に死んでしまう事がほとんどだったため、本当にボクたちの存在を正確に把握しているのは“彼”しかいない。唯一と言っても良いぐらいに仲の良かった、“彼”の親友も既に没しているし。
「この世界は、みんな元気に生きてるし、何事もなく成長してるよ。誰も、――の事を知らないけど……」
「それが聞けただけでも十分だ。元いた世界じゃ、決して叶わない未来があると分かれば、俺はそれで良い」
寂しそうに笑う“彼”の頭を、昔の癖で無意識に撫で回して。すぐに手を引っ込めた。
ボクは知っている。“彼”には、もう新しい恋人ができている事を。
「……ごめん」
「謝らないでくれ。気を遣わせた俺も悪い」
「優しいね。今も昔も変わらず」
「君もな。相変わらず、自分の本心は奥深くに封じ込めて、誰かのためにって」
お互い、別れたあの日から何も変わってない。
変わったのは、その関係性だけか。
キュッと自分で手を握る。ダメだ、今は泣くな。
自ら捨てたんじゃないか。恋人関係も、その先にあったであろう未来も。
他に方法を取るとするならば、友人や母親を犠牲にしなければ、本来であれば死ぬ運命だった“彼”は救えなかった。それが嫌だから、自分が死んだのだ。あの時、何度も決意を固めただろ。やり残した事は多少あっても、絶対に後悔はするなと言い聞かせたじゃないか。
目を伏せて、揺らぎそうになっている心に再度、強く言い聞かせようとする。
「っ……」
「聖」
そして、止められた。頬を優しく撫でられた事で。
指先から伝わる、変わらない優しさと愛情。思わず呑み込まれてしまいそうになる。あれだけ心の奥底では欲していた、他でもない貴方からの愛情に……。
「ダメ、だよ。――、恋人さんがいるでしょ。ボクはもう、貴方の恋人じゃないんだ。気安く、女の人を触ったりなんかしたらダメ。他の人にやったら、デリカシーないって怒られちゃうよ」
「恋人とは確かに違う。死別したのも理解している。でも、恋人と同じぐらい大切な人には、今も変わりない。そもそも、君じゃなきゃこんな事はしない。 ……言い方が、完全に二股かけるクズと同じなのが心苦しいけど」
ああ、その美しい瞳をボクに向けないでくれ。
もうずっと前に、ボクは脳を焼かれてしまったのだ。心を曇らせる出来事ばかりが年単位で重なって、ボクが死ぬ頃には濁ってしまったけど。色々乗り越えてきた今の貴方は、あの当時に近い美しく輝く瞳を取り戻していた。
「今でも、ずっと変わらないんだ。聖、君は俺にとって。 ……“僕”にとって、誰よりも大切な人なんだ」
「っ、――」
「今の恋人だって、最初はどことなく君の面影が見えたから惹かれるようになったんだ。そのぐらい、聖の事をまだ引きずってる」
許してくれ。そう言って、“彼”は一筋の涙を零した。
ボクは、頬に未だ触れたままになっている“彼”の手を両手で包むようにして握る。
「誰よりもは、ダメ」
「……うん」
「2番目以降にして。今、こうして生きているとしても。貴方にとってのボクは、死者だから」
「2番目以降なら、良いのか」
「……ボクも、貴方に特別視されて嬉しいから」
ボクは死者。変えようのない事実である。
そんなボクを、今でも誰よりも大切だと言われて。貴方にそんな事を言われて、嬉しくない訳がないだろう。
順序の制約は、浮かれそうになるボクの脳がギリギリの所で自制して、何とか口にできた妥協案だ。
ボクの事は綺麗さっぱり忘れろと、冷たく突き放せない辺り。相変わらずボクは、この人に対しては甘すぎる。
それでも、まあ良いかとすぐになってしまうボクは、本当にバカだな。
どんだけ、好きなんだよ。
“彼”の事が。
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