本編

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 その後、お母さん手作りのクッキーを頬張りながら談笑する時間は穏やかに過ぎていき、気がつくと時計は夜の7時を指していた。  この短い時間で“彼”の事を気に入った両親は、夜ご飯も食べていくかと提案したが、それを――は穏やかな表情で断っていた。食べれば良いのにとは思ったが、何となく断った理由に察しが付いたので、特に何か口にはしていない。  さて、家まで送るという名目で一緒に外へ出たボクは、現在“彼”とゆっくり歩きながらとある場所へ向かっている。 「変わらないな、この辺は」 「強いて言うなら、青信号の継続時間が延びたぐらいだね。小学生の集団下校で不便すぎるって苦情がいっぱい入ったみたい」 「俺たちが小学生の時に改善して欲しかったな、そりゃ」 「ホントね。渡るの大変だったし」  かつてボクが死ぬ原因となった交通事故。それに遭った交差点へ足を運んでいた。  2人して傷口を自ら抉るような行為だが、案外落ち着いた気持ちで交差点を眺めていられる。  まあ、あれから3年近い年月が経過しているのだ。互いの存在を振り切れずとも、こうして現場を眺めるぐらいは問題ない。 「それにしても、また会えるなんて思わなかった。いや、死んだ時に会えるって言い聞かせてはいたけど。でも、こんなに早くだなんて」 「……ねえ、何をして死にかけたの? ボク、そこについては何も聞かされてない」 「そう大した話じゃない。体調面がヤバい状態で延々と器械体操を頑張りすぎた。息をするだけで呼吸器が痛くて苦しいのに、それでも辛さをひた隠して。そのツケが大会中に回ってきてな。全部の種目が終わってから、みんなの前で血を吐いて倒れた」  サラリと言う事じゃないだろ、それ。  そうは思うが、口にするのは思い留まる。向こうの世界で“彼”がどんな風に過ごしているのかを多少は知っているボクは、死にかける羽目になった原因を察した。 「……やっぱり、――の両親含めて誰も信用できない?」 「うん。親もコーチも、辛いって顔を見せると露骨に嫌がるから。学校の奴らも一部を除いて全く信用できないし、その一部とも関われる時間がそもそも短すぎる。そして関われる時間が短すぎるのは、今の恋人にも当てはまる」  頼れる人がいなかったのだ。“彼”には。  中学生になっても生き残っていたボクの親友は、亡くなるその直前まで“彼”の良き理解者だった。おそらく、誰よりも“彼”が信用している人物だったのだろう。その彼女も、もう手が届かない場所に逝ってしまった。  どこか身体に異常が起こったとしても、辛いとも、痛いとも、苦しいとも口にする事が許されない。人を信じる事も、小学生時代に味わった地獄が原因で難しい。孤立無援の状態で器械体操のような激しい負荷を人体に強いる競技を、非常に高いレベルで続けたのだろう。文字通り血反吐を吐きながら。  肉体的にも、精神的にも酷く疲弊した“彼”が、遂に限界を迎えた。それだけの話だ。  躊躇わず、ボクは“彼”の頭を撫で回した。 「お疲れ様。頑張ったね」 「うん。 ……ありがとう、聖」  ボクの手を抵抗なく受け入れる“彼”は、不意に少し寂しげな笑みを浮かべた。 「多分だけど、俺はまだ生きてる」 「……何か感じるの?」 「まだ早い時間なのに、猛烈に眠いんだ。何となくだけど、向こうの世界で俺の身体が目を覚まそうとしてるんじゃないかって感じる。あまり、戻りたくはないけどな」 「そっか。ボクとしては、生きていてくれている方が嬉しいから、そうである事を祈ってるよ」  無論、寂しくもある。肉体がある状態で久しぶりに会えたのに、もうお別れの時間かもしれないだなんて。  だが、やはり“彼”には生きていて欲しかった。生きて、色んな“幸せ”を体験して。天寿を全うした後に、生まれ変わるまでの時間を使って、ボクに色々な話を聞かせて欲しいのだ。  こうして予定にない形で会えてしまったがために、その思いは揺らぎそうになっているが。 「……聖。背後霊としての記憶は、夢として見るって話してたよな」 「まあ、うん。毎日見れる訳じゃないけど」  認識している限りだと、1度背後霊として過ごしてから最短で2日、長くて5日ぐらいのスパンを空けてからまた背後霊として過ごす夢を見るようになっている。 「それ、俺にもできないかな。普通に生きてる人間じゃ無理だろうけど、死にかけてから蘇生した人間なら、生と死の境界線が曖昧になってるから可能性あるんじゃないかと思って」 「……分からない。分からないけど、もし可能なら。ボクとしては、すごく嬉しい」  貴方と過ごせる時間か増えるかもしれない。嬉しくない訳がないだろう。  これで懸念点がゼロなら、一も二もなく食い付いたんだけど。 「でも、貴方への負担の大きさも看過できない。生きながら魂を半分に割ってこちらに来る方法を使った場合、どんなリスクがあるのか想像もつかないのが怖いんだ」 「それは確かに。でも、リスクがあっても君と過ごせる時間が手に入るなら、俺はいくらでも命を懸けられる」 「それが誇張表現でも何でもないから怖いんだよ、ボクは……」  一応、否定的な態度は取る。魂の形を変えた結果、仮に人格の崩壊でも引き起こしたら、それこそ目も当てられない。  まあ、この人はそれでも実行するだろうという確信も同時にあるのだが……。  祈る他ない。“彼”の無事を。  大きくあくびをした“彼”に、ボクは抱き着いた。少しずつ、その身体が透明になっていくのが見えたのである。  もうすぐ、向こうの世界で意識を失っていた“彼”が目を覚ます。 「仮に死んだら君がどんな顔をするのか。今回、想像できるようになってしまったからね。流石に危ないと感じたらすぐに止めるよ。約束する」 「……絶対だからね」  ボクとの約束を、この人が破った事はこれまで1度もない。破る寸前まで行く事は度々あるが、必ず直前で立ち止まってくれる。  そう信じてるからこその約束である。 「ねえ、――」 「なんだ、聖」 「あの日あの時。最後まで言えなかった言葉、今ここで言わせて」  希薄となっていく――の身体が完全に消えてしまう前に。ボクは“彼”の両頬を手で包み込むと、久しく浮かべる事のできなかった心からの笑顔を、世界でただ1人しか存在しない最愛の人にぶつけた。 「――、愛してる。何度生まれ変わっても、どの世界に転生しようとも。ボクは貴方だけを、誰よりも愛してる」  そして、捧げた。  これまで誰にも許さなかった口づけを、貴方に。
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