プロローグ 夢の中で/side I

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プロローグ 夢の中で/side I

   ああ、落ちていく。  水の中にゆっくりと沈んでいくような感覚。  とてもとても心地よくて私は目を閉じたまま身をゆだねる。  あの罪人のための冷たい石室には戻りたくない。  帰ることのできない過去を、場所を、思いを振り返る。  他所の女の肩を抱く、冷たい彼の瞳。  大好きな愛しい深い海(トルマリンブルー)の瞳をゆがませた、憎々し気でそれでも綺麗な婚約者の顔。  ずっとずっと前から彼の心が離れていたのはわかっていた。  でも諦められなくて、苦しくて、辛くて、情けなくて、寂しくて痛くていたくていたくてどうしようもなくなった灰色の日々たち。  彼の口から告げられた最後通告。  それからは石室でずっと裁かれる日を待つ毎日。  惨めな気持ちで祈り続けた。  何とか隠し通した護法の魔石のペンダントを手で包み、贖罪をするでもなくただ早くこの忌まわしい人生が終わることを願っていた。  そしてようやく来た私の世界の終わり。  いつ死んだのかは覚えていないが、見覚えのない罪で大勢の前で断罪され恥をかきながら死んだわけではないのがせめてもの救いだった。  最後くらいせめて誇りのために泣いてもよいだろう。  気が抜けたらジワジワと胸の中に悲しみが湧き出してくる。  思えば短い人生の中で泣いたことなど一度もなかった。  閉じられた目から浮かび上がることのない涙が滲むのを感じる。  この涙は、私だけが知る、私だけの心(もの)だ。  そう思った瞬間、当然頬に熱を感じた。  小さくて暖かい掌の感触。細い指が涙をぬぐうように目をなぞった。  誰だろう。誰でもいい。  静かで穏やかな夢を見ながら死ねるならどうでもいい。  彼女の掌の温かみがゆっくりと広がっていく。  それは私を包むように冷めた私にゆっくりと溶けていく。  それはとてもとても、気持ちの悪いものだった。  誰かが、私の中に入ってくる感覚。  彼女が、記憶が流れ込む感覚。  私が、少しずつ消えていく感覚。  それは浸食だ。私を私でなくすための。  悲しみが消し飛び、怒りが心を塗りつぶす。  閉じていた眼を見開き、頬にかかっていた手を振り払う。   「お前まで、私を奪うな!!」  叫ぶ私にたじろぐ彼女。  そうだ、触るな、ゴミのように捨てられて落ちるところまで落ちきってそれでも最後まで残ったこの私をお前なんかが消すのは、許さない。  グラリと体制が崩れて頭から落下するように急速に水底に吸い込まれていく。  しっかりと目を開けて、水の流れに身を任せた。  そのうち真っ暗だった水底に白い点が現れ、それが徐々に広がる。  鮮烈な光の奔流。それはすぐに私を飲み込みどこかへと私を運んでいく。  もし願いが叶うなら、あの時まで私は帰りたい。  そう思いながら私は光へとまっすぐに手を伸ばす。  光がより一層濃くなり、あまりのまばゆさに私は目を閉じて…。  
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