弟子に抜かれた師匠のメンツ。

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弟子に抜かれた師匠のメンツ。

 すると先輩は口を噤んだ。組んだ足の膝に肘をつき、右手で顔を隠す。しかし、駄目でしょ、と押し殺した声が響いた。意味が分からず、え? とこっちは首を捻る。 「抜いちゃ、駄目でしょ」 「抜く?」 「弟子が、師匠を、抜いたりしたら、駄目でしょ」  えらく苦しそうだ。具合が悪いのかな。先輩、と俯いた彼女を覗き込む。途端に先輩は掴みかかってきた。怖い! 「何で君の方が優秀になっているの!? 私、同じ賞に応募した! でも一次審査を通らなかった! 橋にも棒にも引っ掛からなかったんだよ!」  勢いよく揺さぶられる。先輩、華奢な割に力が強いな。 「ま、まあまあ」 「どうして!? あんなに文章がへったくそだった君が、君らが、メキメキ実力をつけて選考を通過したりウェブ上で掲載をされるようになったのに、何で私は何一つ引っ掛からないの!? どんだけごぼう抜かれているの!? ごぼうだってこんな勢いで引っこ抜かれないよ! そもそも何よごぼう抜きって!」  また変なところに引っ掛かったな! ちなみにごぼう抜きは本来、大勢の中から一人を引き抜くという意味なので一気にぶち抜いた時の表現として使うのは実は誤用だったりする。それはともかく。 「落ち着いて下さいって! 偶々ですよ! ほら、選考者との相性もあるでしょうし」 「じゃあ私には運も無いんだ! 実力も運も無い奴が、どのツラ下げて師匠を名乗れるのさ! 逆に弟子だって言うなら抜かないでよ! 私を見下ろしながら、師匠なんて呼ばないでよぉ!」  気が付けば灘田先輩は泣き出していた。おかげで悲壮感はあるものの、発言自体は果てしなくダサい。いつものクールさは何処へ行った。口調も崩壊しているし。もしかして。 「あの、先輩って普段、クールぶっています?」 「うるさい! 今、そこはどうだっていいでしょ!?」 「いや、気になりますって」  わあぁ、と胸元を叩かれる。痛いがな。 「そうだよ! 格好いい先輩を演じていたよ! 文芸部の部長ってクールな感じのイメージがあったから!」  えらい偏見だな。 「だけど何度も何度も煮え湯を飲まされるような気分にさせられて、それでも演じきれるほどクールキャラに思い入れは無いんだよ! それに何さ、君の作家になりたい理由! 働きたくないから、ってそんなバカみたいな理由で頑張っている人にどうして実力で抜かれちゃうわけ!? 私、小学生の頃から作家さんになりたくて、ずっと書き続けて来たのに! こんなアンポンタンが一次審査を通って賞金山分けとか言い出して、何で私がキャラまで崩壊しているのよぉぉぉぉぉ!!」 「キャラ崩壊は先輩の責任じゃないですか」 「急に正論を言うなぁ!! あと、いつも真っ黒な格好をするのも飽きたよ! 色柄物が着たいよ!! 夏場は死ぬ程暑いんだよ!!!!」  知らんがな、とツッコミたいのをかろうじて堪える。先輩は床に女の子座りをして、両手で顔を覆ってしまった。超気まずいんですけど。その時。 「お疲れ様でーす! やったよ! 六万円、ゲット!」  同級生にしてもう一人の文芸部員たる矢加部がスカートの裾を翻らせながら飛び込んで来た。全部員が揃ったな。 「カツアゲでもしたのか」 「何でさ。見てこれ! 小説投稿サイトで大賞を取れた!」  あ、マズい。タイミング、最悪。と、思った時には既に遅し。うわあああ、と絶叫が響いた。 「な、何? どうしたの?」 「何で私だけ通らないのぉぉぉぉ!!」  どこまでも悲痛な叫びだ。ちょっと、と矢加部が顔を寄せて来る。 「灘田先輩、だよね? 武本、あんた何したのさ」  おっと、とんでもない濡れ衣だぞ。 「俺は何もしてないよ」 「いいや、嘘だね。わかった、先輩に痴漢でもしたんでしょ。女の敵め!」  せいっ、とローキックを入れられた。これも痛い。だが体より心の方がダメージを受けた。痴漢をする男、と矢加部に認識されているのだから。俺を蹴った当の本人は、泣き崩れる灘田先輩に優しく寄り添った。 「先輩、私が来たからにはもう大丈夫です。ほら、安心して下さい。女子を泣かせるなんて、あいつ、最低ですね」  そっと先輩を抱き締めた矢加部だったが。わあぁ、と速攻で突き飛ばされた。尻もちをつき、勢い余って俺の足にぶつかる。お前が蹴ったところに当たるなよ、痛いから。しかし矢加部は、え、とその姿勢のまま俺を見上げた。 「何で私、突き飛ばされたの。先輩を慰めようとしただけなのに」 「それは、先輩にとって今のお前は棘付きの鉄球みたいなものだからだ。若しくはハリネズミ。お前が先輩へ寄り添う程に、先輩は傷付いてしまうのだ」 「ちょっと、意味が分からないんだけど」  おいおいと泣く先輩を矢加部が指差す。 「説明してもいいけど、先輩を傷付ける羽目になるんだよ」 「いやでも私も納得いかない。何で優しくしたのに暴力で応じられなきゃいけないのさ」 「デリケートな問題なのだ。ね、先輩」  目元を何度も擦った灘田先輩はやがて、ごめん、と呟いた。 「でも、我慢出来なかった。優しくされたくない。今、絶対、寄り添わないで欲しい!」  喋っている内に再び感情が盛り上がってきた。頑丈な声帯だな。落ち着いて下さいよ、と無駄とわかりつつ一応宥める。 「ただ、先輩。矢加部も戸惑っているので俺から説明してもいいですか?」  その問いに、鼻を啜りながら頷いてくれた。あのな、と俺が口を開く。 「先輩は悔しいんだそうだ。俺はこないだ募集のあった文芸賞の一次審査を通過した。だが先輩は通らなかった。そして矢加部、お前は小説投稿サイトで大賞を取った。だけど先輩は何にも引っ掛からなかった。そうですよね?」  確認をすると、そうだよぉ、とヤケクソ気味な返事を寄越した。 「それで、八つ当たりされたわけ?」  矢加部はまだ釈然としていないらしい。優しくしたのに突っぱねられたらそりゃあ引っ掛かりもするか。まあまあ、と宥めると、わかんないよね、と先輩がゆらりと立ち上がった。鼻をかみ、大きく息を吐いてようやく俺達に向き直る。白い顔には涙の痕がくっきりと残っていた。
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