永遠の原っぱを走ろう 1/2

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永遠の原っぱを走ろう 1/2

 放課後。  少しためらいながら、私は美術室に入っていった。  入る瞬間、出入口に立った(しょう)がやさしく声をかけてくる。 「説明した通りにやれば大丈夫だよ」 「うん……」  翔はそう言うけれど、私はやっぱり緊張する。  今日はこの鶯岬(うぐいすみさき)高校の大切な行事――『永遠の原っぱを走ろう』の日。  その霊媒者役に、何故か演劇部の私が選ばれた。  依頼されたのは、昨日の放課後。  あまりにも突然すぎて、断ることすらできなかった。  生徒会長である翔が言うには、どうやら誰かが私を推薦したらしい。 『ウチの演劇部に、めちゃくちゃ憑依型の女優がいる』  そんなことを言って私を推薦したのは、一体誰なんだろう?  私は少し嫌な気分になる。  何故なら小学校時代、私は『霊体質』で有名だったから。  どこに行ってもそこに霊の存在を感じれば、とても気分が悪くなる。  実際に倒れたことも何度かあった。  ひょっとしたら今回私を推薦した人は、そのことを知っていたんじゃないだろうか?  中学から高校まで、ずっとみんなに隠してきたのに……。  生徒たちが美術室に集まると、教師が二人、ゆっくりと姿を現わす。  一人は、私のクラスの担任・朝倉(あさくら)。  この男性教師は、ほとんどの生徒に嫌われている。  ルックスは、まぁ、悪くない。  だけどとにかく冷たくて、めちゃくちゃ厳しいのだ。  そのくせ、いつもチラチラと女子生徒ばかり見ている。  私も、朝倉の視線をいつも感じていた。  私の顔や体を、上から下まで舐めるように眺めてくる。  そして時折、ニヤリと口の端を吊り上げるのだ。  私は思う。  強く強く思う。  ものすごく、気持ち悪い……。  もう一人は、この美術室の管理者である仁科(にしな)先生。  彼女は、男子・女子ともに人気がある。  だけどもうすぐ結婚退職するという噂だ。  お相手は――よりによって、この朝倉。  この二人、どうやら付き合ってるらしい。  仁科先生は、朝倉の一体どこが良いのだろうか? 「さて。そろそろ始めましょう」  翔が言った。  さすが私の彼氏、めちゃくちゃさわやか。  朝倉の陰気でエロい感じとは、まったく違う。  翔が教壇に上がると、集まった生徒たちが一斉に注目した。 「生徒会長の手越(てごし) 翔です。本日はこの鶯岬高校の恒例儀式『永遠の原っぱを走ろう』の司会をさせていただきます。よろしくお願いいたします」  翔がお辞儀をすると、席に着いた生徒たちも一礼する。  ここに集まった生徒は、三年生各クラスの様々な委員たちだ。  行事が始まっていく。  だけどこれは――儀礼的なもの。  私たちがこれから行うのは、伝統的な予定調和だ。  つまりずっと昔から伝わる、単なるオカルト話。  かつてこの学校の生徒だったカップルが、飼い犬とともに自殺した。  その慰霊のための儀式だ。  私の役割は、通称:霊媒者(れいばいしゃ)。  台本はあらかじめ用意されている。  私はそれを、ただそれっぽく読みあげるだけ。  この場に集まっている生徒たちも全員がそれを知っている。  知っていても、参加しなくてはならない。  それが伝統だ。 「一体いつまでこんな行事を続けるつもりなんだ。バカバカしい……」 「朝倉先生、お静かに願います」 「しかし仁科先生、何故令和の時代にこんな無意味な慣例を――」 「長年続けられてきた大切な儀式です。私も生徒の頃、参加しています。彼らの一年間の健康と安全がかかっているのですよ?」  仁科先生の言葉に、朝倉が静かになる。  噂では、仁科先生と朝倉では、仁科先生の方が立場が上だ。  朝倉は、どうやら仁科先生の家に養子に行くらしい。  仁科先生は地元名士の子孫――つまり良家の一人娘だ。  朝倉の顔を見る。  卑屈な表情が、さらに少し歪んでいた。  たぶんこの人は……仁科先生が好きなんじゃなくて、彼女の家柄が好きなんだろうな……。  私の心は、そう確信していた。 「それじゃあ、野原。よろしく頼む」 「はい……」  翔の隣に立った男子が、納得できないような顔で教壇にパネルの束を置く。  彼の名前は、野原くん。  二年生で、生徒会副会長。  彼が私を一瞥し、なんだかイヤな笑みを浮かべた。  お手並みを拝見させていただきますよ、とでも言いたげだ。  正直、やりづらい。  彼が納得してない原因は、たぶん私にある。  本来であれば、今日ここで霊媒者役をするのは彼だった。  それなのに、私を推薦した誰かと生徒会長である翔が、ムリヤリ私をねじ込んだのだ。  野原くんの家はお寺で、彼自身は霊能力者として有名らしい。  翔の話では、生徒会において、この儀式の霊媒者役になるのはかなり名誉なことだそうだ。  それを部外者である私がやる。  彼の不満も、まぁ、もっともだろう。 「それでは――こちらが『永遠の原っぱを走ろう』の現物になります」  翔が言うと、野原くんがパネルの中の一枚を机の上に立てた。  その瞬間、生徒たちの間から「おぉ」という声がもれる。  学生服姿の男子、セーラー服姿の女子、そして二人の間に座る一匹の犬。  レトロなタッチの、古い児童書のようなイラストだった。  あれは半月ほど前、私と朝倉、それからたまたま通りかかった野原くんが倉庫から引っぱり出してきた物だ。  朝倉はあの時も、なんだかんだと理由をつけて私にそれを手伝わせた。 「みなさんも噂だけは聞いたことがあると思います。こちらにある数点の絵、つまり紙芝居が『永遠の原っぱを走ろう』です。今から数十年前――現在私たちがいるこの場所で発見されました」  アゴ先をつまみ、翔がもっともそうに間を開ける。 「この場所と言っても、無論この美術室ではありません。この下の地下室です。そこは戦時中、防空壕の役割をしていました。昭和、高度成長期である七十年代に、改装作業のため地下室に下りた業者が、この紙芝居を発見しました」  翔が指示し、美術室の電気が消される。  薄暗くなった放課後の空間で、彼の説明が続いた。  もうすぐ――私の出番だ。  緊張はもはや極限状態。  少し、頭痛がしてきた……。 「それじゃあ、野原。霊媒者の声に合わせて、絵を交換していってくれ」 「了解です……」  翔の言葉に、野原くんがやっぱり不満気に返す。  儀式が、始まった――。  教壇の机に置かれた一本のロウソクに、翔がマッチで火を点ける。  それによって『永遠の原っぱを走ろう』が薄闇の中に浮かび上がった。 「それでは、霊媒者の道永(みちなが)さん。よろしくお願いします」 「はい……」 「これから彼女が読みあげるのは、この絵とともに地下室から発見された文章です。おそらく紙芝居のナレーションだと思われます。なにとぞ、お静かに。亡くなったカップルと犬の霊が、これからも安らかに眠れますように……」  翔の前説が終わり、私はもうやるしかなかった。  渡された台本を机の上に置き、小さく深呼吸をする。  古くて黴臭い伝統的な冊子を開き、それを読んだ。  できるだけ霊媒者的に、感情をこめて。 「私の名前は川島(かわしま)京子(きょうこ)――鶯岬高校の三年生。私には夢があります。それは大好きな信彦(のぶひこ)さんと結婚すること。信彦さんはとってもやさしくて、素晴らしい人です」  私が語りはじめると、野原くんが素早く絵を交換していく。  彼はやはり有能で、こちらにストレスをまったく感じさせない。  二枚目の絵には、京子さんと信彦さん、それから犬が走っている姿が描かれていた。  原っぱだ。  全員が、本当に楽しそうな笑顔を浮かべている。 「ポチは、信彦さんの大切な犬。お散歩が大好き。放課後はいつもみんなで近所の原っぱに出かけます。私たちは大の仲良し。いつも三人で泥だらけです。あの頃は、本当に、とてもとても――幸せでした」  私は、声のトーンを少しだけ落とす。  台本には、すでに一通り目を通していた。  だから彼らの悲しい結末も私はすでに知っている。  野原くんが、絵を替えた。  次に現れたのは、なんだかものすごくダークな表情をした京子さんの姿だった。 「だけど――それももう終わりです。あの人が、私たちの仲をやっかみ、引き裂きに来ました。大地主(おおじぬし)のお嬢様です」  京子さんと入れ替わり、今度は意地の悪そうな女の子が現れる。  彼女は物陰から、楽しそうに遊ぶ京子さん、信彦さん、ポチの姿を、嫉妬の表情で見つめていた。 「お嬢様は信彦さんのことを気に入り、『卒業したら、彼と結婚したい』と言い出しました。信彦さんはそれを断ったけれど、どうしても結婚しなければならない事情ができたのです」  絵が、苦悩する信彦さんに替わる。 「信彦さんのご両親は、大地主さんに大変な借金をしていました。そして信彦さんがお嬢様と結婚すれば、その借金が帳消しになる。信彦さんは涙を流しながら、そう私に打ち明けてくれました」  さっきまで楽しそうだった、京子さん、信彦さん、ポチが、落ち込んだ表情を浮かべる。 「でも私たちは愛し合っていました。信彦さんは、やっぱりお嬢様と結婚したくないそうです。ポチも私たちがもう二度と会えなくなると聞いて、とても悲しそうな顔をしました」  全員が抱き合い、涙を浮かべる絵に変わる。 「『三人で死なないか?』信彦さんがそう言いました。『ぼくは京子さんを心から愛している。だからあの世で、ぼくと京子さん、それからポチの三人で、いっしょに暮らそう。永遠に、笑顔で』」  絵が、刃物を持った京子さんに替わる。 「もちろん私は、お嬢様を殺すことを考えました。だけど彼女の命を奪うことは、やはりできない。私は彼女に、自ら身を引いてもらいたかったのです。だって彼女は信彦さんのことを本当に好きではないのだから。ただ私たちの幸せをぶち壊したかっただけなのだから」  絵が替わる。  これはたぶん、この美術室の中。  椅子に座った三人の前に、毒が入った湯呑みが置かれていた。 「私たちは、毒を飲んで死にます。本当にこうするしかなかったのです。私たちは愛し合い、互いのことしか考えられなかった。でもどうしてでしょう? 何故私たちは、ただ愛し合っていただけなのに、死を選ばねばならなかったのですか?」  続いて三人の悲しそうな絵がこちらに向けられる。 「だから私は、死ぬ前に――この紙芝居を残します。これを見ているみなさん。あなたが誰かを愛する時、相手のその手を決して離さないでください。私たちのように、ずっとずっと手をつないでいて。私たちは本当に愛し合っていたからこそ、あの世で永遠に結ばれるのです」  最後の絵は、悲劇だった。  毒を飲んで、美術室に倒れ込む京子さんと信彦さん、そしてポチ。  その絵の絶望感に、私の低い台詞が重なっていく。 「私たちの最期は、きっとこんな感じ。私は――この世界を恨みます。そして呪い続けます。私のこの祈りがあなた方に届かなくなった頃、私はこの世界に再び舞い戻ってくるでしょう。この紙芝居を見て、あなた方が真実の愛を思い出すことを祈ります」  私の最後の台詞が終わると、翔がおごそかに続けた。 「京子さんと信彦さん、それからポチは、あの世で幸せに暮らしています。彼らは今も、あの世から、この学校の青き私たちの健康と行く末を見守ってくれているのです。すべてに愛を。すべてに真実を。二人と犬の冥福を祈り――黙祷!」  これで、この学校の恒例儀式は終わる。  生徒会に残っている記録では、彼らが亡くなったとされる翌年から、この儀式は続けられているらしい。  だが途中、その儀式を中止した年は、生徒のケガ人や死者が続出した。  そのため、翌年から再開されたそうだ。  つまりこれはこの学校における、生徒たちの健康維持のための儀式でもあった。  霊媒者の役割を終えた私は――とても疲れていた。  今日はかなり体調が悪い。  こんな儀式に突然参加することになって、朝から異常な緊張感の中にいた。  儀式から解放された安堵感からか、私は突然力を失い、そのまま机の上に突っ伏してしまう。  とても大きな音をたてて。  意識は、ある。  だけど、体が動かない……。 「道永さん!」  異変に気づいた翔が、こちらに向かって走ってくる。  私は彼に「大丈夫」と言おうとした。  でも言えなかった。  体が、まったく動かない。  いや、それどころか、勝手に――私は席から立ち上がっていた。  こ、これは私の意志じゃない……。  体が、まるで……誰かに操られているみたいに……。 『許せない……やっぱりこれは間違っている……私と信彦さんは愛し合っていた……ポチだって……私は心から……愛していた……みんなで、楽しく、この世で……暮らしていくはずだった……それなのに……』  私の口から飛び出したのは、そんな言葉だった。  わ、私、こんなこと、言うつもりはない!  なのに、まるで地獄の底から湧き上がってくるように、私の低い声が勝手に口から漏れ出してくる……。 「憑依だ! 道永さんの体に、川島京子の霊が憑依した! みんな逃げろ! 危険だ!」  霊能力者の顔で、野原くんが大声を張りあげる。 「きゃああああああああ!」 「ちょ、マジかよ、おい!」  儀式に参加していた生徒たちは皆一斉にパニックに陥り、我先に教室の外へ飛び出していく。  逃げていった者たちの中に、翔の姿が見えた。  変わり果てた私の姿を見て、彼の顔が恐怖に歪む。  しょ、翔、待って!  違うの!  これ、私じゃない!  勝手に!  勝手に誰かが喋ってるの!  私の体、誰かに乗っ取られてる! 「道永! 落ち着け! 落ち着くんだ! おい、野原! お前、そっちをしっかり押さえろ!」 「やってますよ! 川島京子の霊だ! 川島京子の霊が憑依してる!」 「バカなこと言うな! 憑依なんかあるか!」  朝倉と野原くんが、暴れはじめた私の体を両サイドから押さえつけてくる。  だけど私の体は、ヒステリックにもがきながら、大量のヨダレとともに呪いの言葉を吐き続けた。 『ふざけるな……ふざけるなよ……あいつだ……あの女だ……お金持ちのお嬢様……あの女だけは……殺してやる……絶対に許さない! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやるからなぁぁぁぁ!』  それから先のことは――まったく覚えていない。  気がつくと、私は自宅の、自分のベッドの上で横になっていた。  でも、今のは決して夢じゃない。  私の手首に、朝倉と野原くんに押さえつけられた時の痕がまだ深く残っていた。
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