六人目の主

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六人目の主

私は、不老不死のごく複数のメイドです。 西暦1890年、私は六人目の主に出会いました。 今度のご主人様は、私からすれば「ごく普通」の方でした。 ごく普通に仕事をされており、資産もそこそこあり、結婚もされており、お子さんもおられる、どこにでもおられるような方でした。 また、自然をこよなく愛する方でもあり、庭に小さいながらも素敵な庭園を作られたり、近所に山を購入して様々な木を植えられたりもされていました。 勿論、私もそれらの手入れのお手伝いをさせて頂きました。 ご主人様が所有される山は自然が豊かで、空気も澄んでおり、とても居心地がよかったです。 故に、私は休暇を頂いた時ひそかに入山し、澄みきった空気と豊かな自然を一人楽しむ、という事をよくしていました。 今思えば、ご主人様は私が休みの時にご自身の山に立ち入っている事に気づいておられたのかも知れません。     1900年にご主人様は、ご自身の山を町の人々に無料で公開されました。 当初はさほど人が入らなかったものの、その素晴らしさが広まったのか、次第に人が入ってくるようになりました。 そしてその誰もが、ご主人様の山を誉めて下さいました。 私としても、とても光栄でした。 しかし一方で、親と一緒に入山した子供が迷子になる、ゴミがそのままにされる、などの問題も起きてしまいました。 どうにかならないかと考えたのですが… いい答えは出ませんでした。 また来訪者によるゴミの放置、植物や虫などの生物の無断採取などの問題行為がどんどん増えていき、結局1910年には公開をやめることになりました。 そして月日は流れ、1928年。 ご主人様がご自身の山でキノコを採取されたので、私はそれを用いた料理を作り、ご主人様とご家族にお出ししました。 ところが、そのキノコは有毒だったようで、皆様は食中毒を起こしてしまいました。 料理は私も食べていたのですが、全く平気でした。 皆様は病院にて決死の治療を受けたのですが、まるで回復せず… 結局、ご主人様はご家族と共に亡くなってしまいました。 私の六人目の主人は、キノコの毒にあたって亡くなりました。 私は、死の床となったベッドに泣きすがり、生き続けました。
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