七人目の主

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七人目の主

私は、不老不死のごく普通のメイドです。 西暦1932年。 私は何とか新たな主人に出会うことができました。 今度のご主人様は、女性の方です。 そして、今まで私がお仕えしてきた中で最も幼い方でもありました。 私がお仕えするようになった時点で、御歳8歳でした。 ご主人様…もといお嬢様はこの土地で代々続く地主の一族である「アムール家」の跡継ぎの方だったので、生活環境は恵まれたものでした。 そのため、学校にももちろん通う事ができる。 本来ならば、そのはずでした。 しかし、それが叶わない理由があったのです。 1929年ごろから世界的な不況が起きており、現在の一族の当主であられるお嬢様のお父様もまた、その影響を受けていました。 それまで借地で農作物を生産し、主に外国に輸出していたのが、恐慌の影響で輸出ができなくなったために借地を返却し出ていってしまう人々が急激に増えたせいで一族の主な収入源がなくなり、お父様は頭を悩ませておられました。 そのため、やむを得ずしてお母様やお嬢様の姉上様も外部へ働きに出られるようになりました。 一方で私は、日中の家事の合間にお嬢様に勉学を教えるよう命じられました。 お嬢様に勉学を指導していく中、私は、かつてお仕えした主人の娘様にもこんな感じでものを教えたなと、懐かしく感じました。 さて、お嬢様は少々物覚えが悪く、勉学をお教えするのにはなかなか苦労しました。 お嬢様が10歳になられた時、私が不老不死であり、これまでにも複数の主人に仕えてきたと話すと、お嬢様は驚きと同時に関心した、という表情をされ、こう仰いました。 「あなた、とっても凄い人だと思うよ」 私は、その言葉の意味がわかりませんでした。 1939年には大戦が始まりましたが、幸いにもこの辺りは辺境の農村であるせいか爆弾が降ってくるような事もなく、あまり深刻な被害は受けませんでした。 戦争が長期化してくると、私達もまた物資の不足や敵国の攻撃の脅威に悩まされるようになりましたが、紆余曲折の末、どうにかご家族全員が生き残る事ができました。 そして月日は流れ、1955年にお嬢様はご結婚なされました。翌年にはご子息も産まれ、1963年には学校に通われるようになりました。 お嬢様と旦那様、そしてご子息の御三方は、とても幸せな毎日を送られていました。 1978年にはご子息が結婚され、またご家族が増えました。 さらに1980年には娘様が産まれ、お嬢様は孫ができたと大変喜んでおられました。 そんな幸福の中、ある日突然お嬢様は血を吐いて倒れてしまいました。 ー以前から咳や痰などの症状が出ておられるのは存じ上げておりましたが、訪ねても一種の風邪だとばかり仰るので、その言葉を鵜呑みにしていました。 まさか結核だったなんて… 私の七人目の主人は結核を患い、血の中に倒れました。 私はご子息にお仕えするようになり、生き続けました。
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