葉尊 8

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  そして、そんなアムンゼンの姿を、考えると、私は、悩んだ…  実に、悩んだのだ…  違い過ぎる…  違い過ぎるのだ…  今、目の前の葉問が、言った、アムンゼンの姿と、私の知っているアムンゼンの姿が、違い過ぎるのだ…  私が、知る、アムンゼンの姿は、3歳のガキ…  大人びた、口を利く、生意気なガキでしか、なかった…  なかったのだ…  それが、そんな…  この目の前の葉問の言葉を疑うわけでは、決してないが、誰が、どう考えても、そんな偉大な人物には、見えんかったのだ…  すると、葉問が、  「…お姉さん…なにを、悩んでいるんですか?…」  と、聞いてきた…  私は、  「…オマエの言うことは、わかるさ…でもな、オマエが言う、アムンゼンの姿と、私が、知っているアムンゼンの姿が、どうしても、一致しなくてな…」  「…それは、当たり前です…」  「…どうして、当たり前なんだ?…」  「…日本人は、偉人を美化し過ぎなんです…」  「…美化し過ぎだと?…」  「…そうです…政治でも、科学でも、なんでも、偉大な実績を残した人物が、私生活では、偉人でもなんでもありません…ただ、偉大な実績を残したに過ぎません…そこに偉大な人間性も、高潔な人格も、必要ありません…あるのは、偉大な実績だけです…」  「…オマエの言うことは、わかるが…」  「…身近な例で言えば、ノーベル賞です…」  「…ノーベル賞?…」  「…そうです…ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルが、作った賞ですが、なぜか、数学賞がありません…なぜだか、わかりますか?…」  「…わからんさ…」  「…数学賞を作れば、間違いなく、当時遠からず、数学賞を受賞するであろう、優勝な数学者がいて、その人物と、アルフレッド・ノーベルが、ある女性を巡って、恋敵だったと、言われています…だから、その人物に賞を与えないために、数学賞を作らなかった…それが、現在の定説です…」  「…なんだと? …定説だと?…」  「…ノーベル賞を作った人物でも、そんなところです…誰にも、光と影がある…そういうものです…」  葉問が、したり顔で、説明する…  私は、葉問が、言いたいことは、よくわかったが、それにしても、葉問は、どこから、そんな知識を得たのか?  それが、謎だった…  なぜなら、ホンモノの葉問は、子供のときに死んでいる…  今、目の前にいる葉問は、双子の兄の葉尊のもう一つの人格に過ぎないからだ…  だから、なぜ、知っているのか?  悩んだ…  そして、考えた末にたどり着いた結論は、おそらく、これは、葉尊の知識に違いないと、結論づけた…  そうでなければ、幼い時に死んだ、葉問にこれほどの知識があるわけがないからだ…  だから、  「…葉問…オマエは、葉尊と、知識を共有しているな…」  と、言った…  すると、どうだ?  「…エッ?…」  と、葉問が、驚いた…  驚いたのだ…  私の質問が、想定外だったのだろう…  呆気に取られた表情に、なった…  「…なんですか? …お姉さん…いきなり…」  「…考えたのさ…」  「…なにを考えたんですか?…」  「…オマエの知識の源さ…」  「…」  「…オマエは、物知りだ…いろんなことを、知っている…だが、その知識は、どこから、得たのか? 考えたのさ…」  「…」  「…オマエは、葉尊と、同じカラダを共有している…だから、いわば、情報源も同じ…オマエが、知っていることは、葉尊も、知っている…違うか?…」  私が、言うと、葉問の表情が、凍てついた…  明らかに、凍てついた表情になった…  「…これは、たしか、以前も言ったことが、あるな…」  私は、指摘した…  「…オマエと葉尊は、同一人物…つまり、葉尊が、知るところは、葉問も、また知る… なぜなら、オマエたちは、コインの裏と表…ジキルとハイドではないが、同一人物だからだ…」  「…それが、どうかしましたか? お姉さん…」  「…別に、たいしたことじゃないさ…驚くことじゃ、ないさ…ただ…」  「…ただ、なんですか?…」  「…ただ、オマエが、知っていることは、葉尊も知っている…真逆に、葉尊が、知っていることは、オマエも、知っている…二人の間に、隠し事は、なにもないということさ…」  「…」  「…つまりは、オマエたち、二人とも、もしかしたら、あのアムンゼンを利用しようと思っているのかも、しれんと、思ってな…」  「…」  「…でも、それは、許さんさ…」  「…許さない?…」  「…そうさ…アムンゼンは、私の大切な友人さ…そんな友人を利用することは、許さんさ…」  「…」  「…大切な友人は、利用しちゃ、ダメさ…損得で、利用しちゃ、ダメさ…大切な友人に、利害関係を求めちゃ、ダメさ…」  私が、力説すると、最初は、葉問は、呆気に取られた顔をしていたが、すぐに、ニヤリと、笑った…  「…なにが、おかしい? 葉問…」  「…お姉さんは、つくづく善人ですね…」  「…なんだと?…」  「…お姉さんは、一見、ずるがしこい部分も、あるけれど、本質は、善人…まぎれもなく、善人です…」  「…」  「…だから、愛される…誰からも、愛される…そして、信頼される…」  「…」  「…あのリンダも、バニラも、アムンゼン殿下も、そんなお姉さんを慕い、お姉さんの元に、集まって来る…本当に、お姉さんは、稀有な人間です…つくづく、羨ましい…」  「…羨ましい?…」  「…嫌われる人間は、誰からも、嫌われます…どこに行っても、誰からも、嫌われます…でも、お姉さんは、真逆です…どこに行っても、誰からも、好かれるでしょう…違いますか?…」  「…それは、私は、他人様から、嫌われた経験は、ないが…」  「…ですよね…」  「…」  「…そして、そんなお姉さんだからこそ、葉敬も、お姉さんと葉尊との結婚を認めた…いわば、出会うなり、お姉さんの人柄を認めたんです…実に、羨ましい…」  「…羨ましい?…」  「…葉敬に限らず、リンダにしても、バニラにしても、アムンゼン殿下にしても、多くのひとを、見ています…」  「…ひとを、見ている?…」  「…葉敬は、六十代ですが、他の三人は、皆、若い…一番年上の殿下にしても、30歳です…リンダは、29歳…バニラに至っては、まだ23歳です…ですが、皆、その地位や職業柄、大勢の人間に会っている…普通なら、その年齢では、会えない数多くの人間と会っている…それゆえ、同世代の人間より、人間に対する洞察力が、鋭い…ありていに、言えば、すぐに、良い人と、悪いひとを、見分けることが、できる…」  「…」  「…そして、お姉さんは、そんなひとたちに、好かれている…誰よりも、愛されている…きっと、お姉さんは、これからも、どこに行っても、誰からも、愛されるでしょう…実に、稀有な人間です…」  「…」  「…そして、お姉さんは、これまでも、そして、これからも、そんな人間のために、尽力してください…」  「…尽力?…」  「…いえ、尽力せずとも、皆、お姉さんと、いっしょにいることで、力を得ることができます…お姉さんといることで、心が安らぎます…それゆえ、生きる力が出るんです…」  「…生きる力だと?…」  「…そうです…」  葉問が、真顔で、言う…  私は、それを、聞いて、リゲインを思い出した…    レッドブルを思い出した…  それでは、まるで、栄養剤…  この矢田トモコは、栄養剤みたいではないか?  そう、思った…  そう、思ったのだ…  だから、気が付くと、  「…私は、栄養剤なんかじゃ、ないさ…」  と、小さく呟いていた…  「…栄養剤?…」  葉問が、驚いた…  「…そうさ…葉問…オマエの言うことを、黙って聞いていると、まるで、私は、栄養剤さ…飲めば、元気になる栄養剤さ…リポビタンDさ…」  私が、キツメの口調で、言うと、葉問が、呆気に取られた表情に、なった…  それから、  「…栄養剤…」  と、呟いて、  「…さすがに、それは、思いつかなかった…でも、ありえる…例えとして、上手い…実に、上手い…」  と、独り言をブツブツ言った…  それから、私を見て、  「…お姉さんは、たしかに、栄養剤かも、しれない…」  と、呟いた…  そして、  「…でも、お姉さんは、誰にとっても、栄養剤になります…」  と、続けた…  「…なんだと?…」  「…殿下も、リンダも、バニラも皆、お姉さんと、いることで、安らぐ…お姉さんといっしょにいることで、元気になる…まさに、お姉さんは、みんなの栄養剤です…」  「…」  「…そして、今、おそらく、一番、精神的に、疲れているのが、殿下です…この騒動が、終わったら、殿下を癒して下さい…お姉さん…」  葉問は、言うなり、いきなり、消えた…  いきなり、葉尊と入れ替わった…  私は、呆気に取られた…  まさか、このタイミングで、葉尊に入れ替わるとは、思っても、みんかったからだ…  だから、驚いた…  同時に、葉尊に、どう対応していいか、わからんかった…  わからんかったのだ…  何度でも、繰り返すが、私は、葉尊より、葉問の方が、話しやすい…  ハッキリ言って、葉尊より、葉問といる方が、楽なのだ…  葉問と、いる方が、気疲れしないのだ…  だから、焦った…  いきなり、葉尊に戻ったから、焦った…  すると、だ…  葉尊が、私が、水割りのグラスを手に持っている姿を目にして、  「…お姉さん…ボクにも、一杯下さい…」  と、私に告げた…  私は、  「…わかったさ…」  と、言って、立ち上がって、食器棚から、グラスを持って来ようとした…  すると、  「…そのグラスで、構いません…」  と、言って、私が手にしたグラスを持って、私から、奪い取り、グイと、一口飲んだ…  私は、呆気に取られたが、考えてみれば、それは、さっきまで、この葉尊が、飲んでいたグラスだった…  だから、葉尊が、飲んで、当たり前だった…  「…うまい…」  と、一言、葉尊が、呟いた…  それから、  「…このグラスで、お姉さんも、飲んでいたから、間接キスになりますね…」  と、笑った…  「…間接キス?…」  「…そうです…」  そう言うなり、葉尊が、またグラスを口に運んだ…  そして、  「…うまい…実に、うまい…」  と、繰り返した…  私に気を使っているのは、明らかだった…  この矢田に気を使っているのは、明らかだった…  そして、私は、考えた…  この葉尊…  当たり前だが、さっきの私と葉問のやりとりを、見ていたことに、気付いた…  つまりは、葉尊の知るところは、葉問の知るところとなる…  真逆に、葉問の知るところは、葉尊の知るところとなる…  本来、同じ人物なのだから、当たり前と言えば、当たり前だった…  私は、今さらながら、それを、思い出した…  そして、私と、葉問とのやりとりを見て、この葉尊も、考えたに違いない…  思うところが、あったに違いない…  だから、いきなり、葉問から葉尊に戻った今は、私になにも、言わなかった…  さっき、危うく、バチバチの仲になりかけたことに、触れないように、した…  それに、気付いた…  だから、私も忘れることにした…  さっき、危うく、葉尊と、ぶつかりかけたことを、忘れることにした…  なかったことに、した…  その方が、私にとっても、葉尊にとっても、都合がいいからだ…  だから、忘れることにした…  そして、その夜は、葉尊と、いっしょに、飲んだ…  二人きりで、酒を飲んだ…  思えば、結婚以来、こんな夜は、初めてだった…  実に気持ちよく酒を飲んだ…  そして、酒を飲んでいると、いつのまにか、腹が減っていたことも、忘れた…  茶葉らも一時というやつだ(苦笑)…  ウィスキーの水割りで、いつのまにか、私のお腹は、いっぱいになっていた(笑)…  そして、いつしか、私は、寝込んだ…  寝込んだのだ…  そして、朝、起きると、イスラエルと、ハマスの戦闘が、始まっていることを、知った…                <続く>
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