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第一話 渚が呼んでいる・1
“障害は個性”。
“個性を活かして誰もが輝ける社会に”。
––––俺の国語力では説明できない“なにか”を感じる。
会場に木魚の音が鳴り響く。僧侶の読経を聞きながら航也は焼香をする。
壇上には彼の写真。いつもにこにこ笑っていた彼の巨大な写真が花に囲まれている様を見て、航也はいよいよ現実を目の当たりにする。ああ、もう航平はいないんだな、と。
手を合わせて、目を瞑る。
航平と過ごした、ほんの短いささやかな日々を思い出す。本当に、彼と関わった日数なんて数えるぐらいしかない。いま自分がここにいるのもなんだか不思議な気がしている。確かに友達ではあった。しかしまるで長い付き合いではない。ほんの束の間、ちょっと話をしていただけだ。それでも––––あいつは俺の友達だった。航也は、確かにそう思う。
会場の外にはちらほらとマスコミも来ている。そうだろうな、と、航也はなんとなく思う。なんといっても県内コンクールよりもっとすごい全国コンクールで賞を取った航平なのだから。会場中に航平の描いた絵が飾られているし、それなりのニュースになる、ということだろう。親族席に座っている姉の史生のなんとも言えない悲痛な表情を見ながら、航平はマスコミが海川家に突撃しないことを祈る。家族を亡くした人間のもとに突撃取材などとんでもない。しかし、仮にそうなったとしても自分には無神経な人間たちを止める術はない。俺にはなにもできない。
––––俺は、航平になにかしてやれたことなんてあったのだろうか。
『航也さん、フォレストですぅ』
結局、彼の「フォレスト」という口癖がなにを表していたのかを知ることはなかったな、と航也は心の中でちょっと微笑む。航平にとってネガティヴな意味合いの言葉でないことは確かだったが、それ以上のことはわからない。でも、あいつが「フォレスト」と言うとき、あいつはいつもにこにこしていた。
航平にとって大切な言葉だった、ということは、よくわかる。
その意味が、わからなくても。
両側の親族席に会釈をし、航也は会場を立ち去る。ふと史生の方を見ると、彼女は微笑を浮かべて自分を見送る。
どうもありがとう、と言っているような気がした。
こちらこそありがとう、と、航平は心の中で呟いた。
僧侶の読経は続く。
その日の土曜日はたまたま仕事が休みで、切れていた煙草を買いに航也は馴染みのコンビニに出かけていた。朝食もまだだったのでとりあえずパンとコーヒーを買う。さすがに店の前で食べようとは思わない。ただ、とりあえず一服しようと思った。ちょっと疲れていた。
昨日は仕事が大変だった。利用者が二人も急変し、真夜中に救急車を呼び、その事後処理に追われていた。航也の直感では二人とも命の危機まではいっていないように思ったが、しかし、声をかけても返事がなくずっと意識があやふやな状態だったためそんな呑気なことは言っていられない。無事退院できるといいのだが、と思う。そしてそのまま夜勤を終え、いまこのコンビニの前にいる。
大変だが、やりがいも充実感もある。本当にこの仕事に就いてよかった、と、航也は数年前たまたまポストに入っていた広告になにかシンパシーを覚え速攻で連絡したことを思い出す。
あのころと比べて、いまはだいぶ落ち着いたなあ、と、思う。
そんなことを考えながら店の前の喫煙所で一服していたとき、向こうの道でよたよたと歩いている青年を見かけ、航也はただそれを視界に入れるだけで特になにも思わず煙草を吸い続けた。
ところが次の瞬間、猛スピードの自転車が彼の隣を走り去り、瞬間、彼は転んだ。
む、と、航也が思うより先に、彼の持っていたなんらかの道具たちが道に散らばる。彼は慌てている。慌てていると同時に、右足を軽く引きずっている。
これは––––声をかけてみた方がいいのだろうか、と、航也はやや逡巡した。
しかし、その間にも彼の持っていたなにかが車道の方へところころと転がっていく。こうなってくると、目撃してしまった以上、見逃せない。航也は吸いかけの煙草を灰皿に入れ、青年のもとへと向かっていく。
「大丈夫?」
明らかに年下だろうと思い航也は砕けた調子で青年に声をかける。かわいい顔をしていた。散らばった荷物を集めながら青年は恐る恐る顔を上げる。二十代だろうか。まだ学生、といった印象を受ける。ふと散らばった荷物を見ると、それは絵の具や筆だった。
航也も一緒にその絵画道具を集める。もたもたしている青年より航也の方が仕事が早い。あっという間に道具を集め、航也は彼に「はい」とそれらを手渡す。
「あ。ありがとうございまっす!」
思いの外大きな声で青年は感謝の言葉を述べる。そんな大声を出すほどのことだろうかと航也は思ったが、それより彼が右足を引きずっていることを思う。見逃せない。
「足、大丈夫?」
と訊くと、彼は、
「痛いですー」
と呑気に答える。
この時点で、航也は“この子は普通ではない”と思った。
ふと脳裏に中学生時代の同級生が浮かぶ。
青年は立ち上がり、埃をパンパンと叩きながら、航也に頭を下げる。
「ありがとうですぅ」
にっこりと微笑む彼と、かつての同級生の表情がリンクする。
こういう人たちは全体的に似ているものなのだろうか、と、よくテレビの特別番組などで見かけるこういう人たちを思い浮かべる。
荷物を全て取り戻し、改めて彼は航也に頭を下げた。
「ご親切にですぅ」
「はい、とんでもない」
職場の利用者と若干イメージが被る。領域自体は異なるが、航也は日々接している利用者たちと彼がダブる。
じゃあ、と言って元いた喫煙所に戻ろうとすると、彼が自分の右腕を引っ張っていた。
「ん?」
「お礼しますぅ」
「え」
彼はにこにこしているのが常態のようだった。
とんでもない、と再び言おうとした直前、彼は力を強めた。
「ぼく、お父さんと、お母さんと、お姉ちゃんに、誰かが親切にしてくれたらちゃんとお礼しなさいって言われてるです。だからお礼しないといけないです」
「いや、それほどのことじゃ」
「ぼく、お礼したいので、お礼したいですぅ。ぼくの家、あっちの方、ちょっと歩くけど、でも近いです。だからお礼しますぅ」
「ええと……」
参ったな、と航也は困惑する。まさかこんな展開になるとは思っていなかった。もちろんこのまま着いていくつもりはさらさらない。自分はあくまでも通りすがりの人間でしかないのだから。
しかし、航也が彼に興味を持ったことも事実である。それは、中学生時代の同級生とリンクしたこと、自分の仕事の利用者たちともリンクしていること、そして––––おそらく彼が絵描きであるということによるものだった。
しかしそうは言ってもやはり自分はそんなに大したことをしたわけではないのだから、と思ったが、しかし彼は右足首をさっきより強くさすり始めた。
「足、大丈夫?」
と、航也は心配そうに訊く。
なんだかんだ、我ながらお人好しだな、と思った。
「痛いですぅ」
にこにこしているがさっきよりさする力が明らかに強い。これは––––骨折はしていないまでも、変なふうに捻った可能性ぐらいはあるのではないか。そう思った矢先、彼は食い気味に言った。
「お礼しますー」
「えーと……」
そこで航也は考えた。お礼をされるまではいかなくても、とりあえず家まで送った方がいいのではないかと。なんといっても怪我をしているのだし、声をかけた以上放ってはおけない。
「じゃ、とりあえずお家まで送るよ」
夏のある日。
要するに、これが日置航也と海川航平の出会いであった。
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