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 夜、再び喫茶店に行くベきかどうか、迷った。もう、慎一郎さんとは会わない方がいいと思って。でも、夜また行くと言ってしまった。もし行かなかったら、慎一郎さんはきっと心配するだろう。とても、やさしいひとだから。  まだ全然住み馴れていない我が家のベッドに、コートも脱がないまま身を投げ、薄暗い天井をぼんやり見上げる。  ひとを心配させるのは、よくない。でも、今俺の中にある感情は、多分もっともとっと、よくない。  人恋しいだけだ、と、自分に言い聞かせてみる。自分の全てだと思った翔真と別れて、ひとりになって、人恋しくなっているだけ。そこに、あんなに優しくしてもらったから、慎一郎さんに執着してしまっているだけ。そう、これは人恋しさからくる執着だ。それ以外のなにものでもない。  本当は違うと分かっている理屈を、自分の頭の中に繰り広げて、なんとか感情を誤魔化そうとするけれど、上手くいかない。だって俺は、単純に、慎一郎さんに会いたい。  会う、会わない、会う、会わない。  花占いみたいに唇だけで呟いて、それ以外の思考を追い出そうとする。正確には、頭の中を占める、慎一郎さんの穏やかな顔を。  そんなことをしているうちに、いつの間にか眠ってしまったようで、気が付いたら部屋の中は真っ暗になっていた。夜中だ、と、肌で感じる。つま先が、冷たい。  慎一郎さんは、今頃人の少なくなった喫茶店のカウンターの中で、あの美味しい珈琲を淹れているのだろうか。少しくらい、俺のことを待っていてくれる気持ちはあるだろうか。頭の片隅にでもいい、ほんのわずかでいい、俺のことを考えていてくれているだろうか。  そこまで考えたら、自制は効かなくなった。会いたい。どうしても、もう一度会いたい。  ベッドから下りて、そのままの勢いで部屋の外に出た。駅までの道のりを、早足で歩く。  会うだけ。顔を見るだけ。ただ、それだけなら、許される。俺の感情を受け止めてもらおうなんて思わない。  電車の中では、ずっとそう頭の中で繰り返していた。  冷え込む夜だった。駅から喫茶店までの人っ子一人いない一本道を、震えながら歩いた。昼間も開けた焦げ茶色のドアを、なにも考えないようにして開ける。  「いらっしゃいませ。」  先客は、テーブル席のひとりだけ。カウンターの中から、慎一郎さんが俺に微笑みかけてくれる。  「珈琲でいいですか? それとも、夜中ですしなにか別のものを?」  「珈琲、ください。」  自分が本当に欲しいものは、全く違うものだと気が付いてはいた。そして、気が付くと同時に諦めてもいたのだ。
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